「そういえば、そろそろ演習じゃなかったっけ?」
来賓室からガラス越しにMSパイロットの訓練の様子を見学しているイザークにディアッカが声を掛ける。
「ああ。再来週から一週間の予定だ」
評議員になったイザークは、現在ZAFT軍の予備役扱いになっている。兵役は免除されているが、年に一度軍の演習に参加しなくてはならず、スケジュールの調整を重ねて漸く確保できた日程だった。
「ふ〜ん」
思わせぶりなディアッカの視線に、イザークは眉を顰める。
「何だ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え!」
「いや。また騒がしくなるだろうなって思ってね」
「?」
イザークはまったく気付いてはいなかったが、昨年の演習はそれはもう大変な騒ぎだったのだ。何しろ、地球軍の核攻撃からプラントを守ったZAFTの英雄が参加したのだ。終戦後評議員となって第一線から退いてしまったその勇姿を一目見ようと、新参兵はもとより参戦して生き残った若い兵達が色めき立つのも無理はないだろう。今年も昨年同様の混乱が起こるだろうことは容易に想像できる。
短い期間で人心を掌握するために「カリスマ」の存在は不可欠だ。その意味では容姿端麗で名門出身、かつ穏健派に戦争の責を取らされ辞任したとはいえ国防委員長を務めたエザリア・ジュールの息子であるイザークは、「ZAFTの英雄」を冠するにまさに打ってつけの存在だった。
イザーク自身はそういった軍の情報操作に相当反発したが、母親の処遇とディアッカの処分を交渉の材料に使われては甘受せざるをえなかった。
ディアッカがそれを知ったのは彼がイザークの護衛官になって随分とたった頃で、自分の力が足りないばかりにイザーク一人に全てを負わせてしまったことを酷く後悔し、結局は彼の負担にしかならない自分の立場が歯痒かった。
だから、イザークの護衛官を辞任し、一介の兵としてZAFTに在ることを決断した。今までのように傍にいて支えることも確かに大切だが、外側から彼を支える事の方がより重要だと考えたからだ。イザークは評議会に在って海千山千の政治家共と対峙し、自分は軍で頭の固い古狸共を牽制する。
目的はただ一つ。プラントの平和のために。
道のりは決して平坦ではないことも、困難を極めることもわかりきっている。それでも、自分達は歩いていかなければならない。失った戦友達の思いを無駄にしないために。そして、かの地で一人奮闘しているだろう、かつての同僚を見返すためにも。
ディアッカの脳裏に藍紫色の髪の少年の姿が浮かんだ。
アスランとイザークの関係を初めて知った時、とにかく驚いた。何しろ犬猿の仲を絵に描いたような二人なのだ。百歩譲ってアスランが好意を持っていたとしても、イザークの方は毛嫌いしているようにしか見えなかったから。
それでもよく注意して見ると、確かに腑に落ちない点はあった。アカデミーに入学する前のイザークならば、嫌いな相手は自分の中で完璧なまでにその存在を抹消していた。ところがアスランに対しては、どんなに彼を罵っていても無視をするようなことはせず、逆に些細なことであっても喰ってかかっていたのだ。ニヒルでスマートさを信条とする彼らしくない態度。実際ディアッカも、イザークがあれほど熱くなれる人間だとは気付かずにいたのだ。
幼馴染みの自分でさえ知らなかった、イザークの隠された一面を晒け出させたアスラン。
アスランに対してだけ、取り澄ました仮面をかなぐり捨てるイザーク。
二人の間に何か特別な感情があることは、むしろ納得できた。
とはいっても、二人の関係を諸手をあげて賛成できたかと言えばそうではない。男同士だし、親は誰よりも外聞を憚る評議員、ましてアスランにはラクス・クラインという婚約者までいた。反対するなと言う方が無理な状況だ。
でも、人前では決して泣かないイザークの涙を初めて見てしまったら、反対などできなかった。何より、素直に感情を露にするようになったことは、とても喜ばしいことに思えたから、アスランにならばイザークを安心して預けられると、様々な障害もきっと二人でなら乗り越えられるだろうと、一抹の寂しさとともに大切な幼馴染みを託したのに―――。
大切な人達を喪った長い戦争の果て、互いの信念を貫いた二人の歩む道は完全に分かれてしまった……。
イザークがどんな思いでアスランとの別れを選んだのか。それは終戦後評議員となった彼の仕事ぶりを見ていれば容易に想像がついた。身体を神経を酷使して仕事をこなし、限界がきたら僅かな時間泥のように眠り、そしてまた仕事に赴く。アスランを忘れようとギリギリまで自分を追い込んでいるのは明白で、そんな彼の姿を傍で見ているのが辛かった。でも自分にできることといったら軽口を叩いて彼の張り詰めた心をほんの少し和らげることくらいで、イザークのために何もできない無力な自分が歯噛みするほど悔しく、また大切な幼馴染みをこんなにも傷付けて置き去りにしたアスランが心底憎らしかった。たとえ彼にどんな理由があろうとも、イザークを哀しませたという事実だけで、ディアッカはアスランを許すことができなかった。
こうなったら誰でもいいからイザークの前に現れて、一日も早くアスランのことを忘れさせてほしいと思う。他力本願は自分の役不足を認めるようで面白くはないが、この際そんな悠長なことは言っていられない心境だった。これだと思う人物がいたらそれが男であれ女であれ手助けをしてやるつもりだったが、アスラン・ザラを選んだイザークの審美眼にかなう人間がそうそういるはずもなく、手をこまねいたまま現在に至る。
どうしたもんかなと傍らに立つ幼馴染みの硬質な横顔を盗み見ていると、ふいに声を掛けられた。
「―――ディアッカ。何時から軍服の仕様が変わったんだ?」
「は?」
物思いに耽っていたため反応が遅れたディアッカに、イザークは視線で濃紅色の髪と紫の瞳を持つ少女を指し示した。上着はアカデミートップ10の証である赤い軍服を纏ってはいるが、ボトムが明らかに違う。女性士官の制服など詳しく見たことがないため断言はできないが、あんな制服は見たことがなかった。
素朴な疑問をぶつけてきたイザークに、ディアッカは「ああ」と頷いた。
「ルナマリア・ホーク。今年のルーキーの一人で、あの軍服は自分用にカスタマイズしたんだと。曰く、自分に似合った格好をしてどこが悪いってね。可愛い顔して、まあ気の強いこと強いこと」
神聖な軍服になんてことを…と、イザークは優美なラインを描く眉を顰めた。
「ま、赤を着る実力を持った子だから、黙認してるって面もあるんだけどね。何より似合ってんだから、いいじゃん」
「―――お前はそういう奴だ」
溜息を吐きつつ、指揮する立場になってもお気楽さが抜けない幼馴染みを軽く睨む。絶対こいつが率先して許可を出したに違いないと決め付け、そしてその読みはまさに正しいのだった。
女好きは相変わらずだと呆れたイザークは、視線を訓練室に戻した。何気なく彷徨わせた視界の端に人影を捉え、そしてその人物を認識した途端、驚きに目を瞠った。
―――――あれはっ…!
そこには、赤を身に纏った少年が立っていた。明るい漆黒の髪にどこか陰を孕んだ柘榴色の瞳―――アカデミーの桜並木の下で出会った、自分の心に強烈な印象を植え付けた少年が。
名前は―――。
「イザーク?」
その場に固まってしまったイザークをいぶかしんだディアッカが、彼の視線の先を辿り、そこに立っていた少年に気付いた。
「ああ、シン・アスカね。あいつに目をつけるなんて、相変わらず目が高いな、イザーク」
ディアッカの声に我に返ったイザークが、意味がわからず視線で問いかける。
「入隊早々並み居る先輩パイロットを差し置いて、その天才的なMS操縦技術でエースパイロットの座に就いたZAFT期待の若手ナンバーワンのルーキーさ。ついでに言うと、例の新型MSのパイロット候補生」
「おい」
いくらZAFT本部内とはいえトップシークレットをぽろっと零したディアッカに、イザークが非難の眼差しを向ける。
「ああ、悪い。でも、新型MSの開発は公然の秘密じゃん」
「だからといって、無用心に口に出していいものではないだろう」
「そういうとこ生真面目だからな、イザークは。ま、いい機会だから紹介するよ」
そう言ってマイクのスイッチを押して訓練室内のシンを呼び出すと、さほど待つこともなく軽い空気音とともに来賓室のドアが開き、少年が現れた。
「お呼びですか? エルスマン教官」
突然の呼び出しに少し緊張しているのだろう、硬い表情の少年の敬礼を受けたディアッカが、その緊張を解すように口を開いた。
「訓練中すまないな。珍しい人が来てるから、紹介しとこうと思ってね。彼がイザーク・ジュール議員。お前も顔くらいは知っているだろう?」
上官の真横に立っている佳人を認めたシンは、驚きに目を見開いた。桜並木の下でその姿を一目見て以来、ずっと会いたいと思っていた憧れの人がすぐ目の前にいることが信じられず、少年はただ呆然とイザークを見つめた。
「シン?」
自分を呼ぶディアッカの声に我に帰ったシンは、慌てて姿勢を正して敬礼した。
「初めまして、ジュール議員。シン・アスカです」
真っ直ぐに自分を見つめるダークレッドの瞳に射貫かれて眩暈にも似た感覚に襲われたイザークは、それでもすぐに気を取り直すと、何事もなかったかのように右手を差し出した。
「宜しく、イザーク・ジュールだ」
握り返したシンは、緊張した面持ちで口を開く。
「第二次ヤキン・ドゥーエの攻防でのジュール議員のご活躍は伺っております。ザフトの英雄にお会いできて光栄です」
「―――俺は英雄なんかじゃない…」
寄せられる純粋な好意が眩しすぎて、胸の奥底に蟠る苦い思いを吐き出すように呟いたイザークは、辛そうに眉を顰めアクアマリンの瞳を伏せた。
「ジュール議員?」
明らかに自分の言葉に瞳を曇らせてしまった目の前の佳人に、シンの心が鈍く痛んだ。
「あの…」
何か悪いことでも言ったのだろうか?
気にしてしまったシンを気付いたイザークは、取り繕うように苦笑を浮かべた。
「……すまない。―――あの戦いでは皆がプラントを守るために命をかけた。俺だけが特別な訳じゃない」
その儚い笑みに彼もまた戦争の傷を抱えていることを感じ取ったシンは、己が迂闊さを後悔した。失言の非礼を詫びようと少年が口を開くより先に、平常心を取り戻したイザークがその玲瓏な面に外交的な笑みを浮かべながら言葉を重ねた。
「それより、その若さで入隊してすぐにエースパイロットとはたいしたものだな。エルスマン教官からは、天才的なMS操縦技術を持つZAFT期待の星だと聞いているぞ」
「いえ、そんな…」
告げるタイミングを失ったシンは、困ったように顔を伏せる。
「謙遜するな。こいつは大言壮語の気はあるが、嘘は言わない。過剰な自信を持てとは言わないが、自分に自信がなさすぎるのも困りものだ」
「…はい」
気落ちしたシンをフォローするかのようにディアッカが、少年の肩を叩いた。
「あんまりうちのルーキーを苛めないでくれよ、イザーク。相変わらず自分にも他人にも厳しい奴だな」
「別に苛めたわけじゃない。ただ、最前線で頼りになるのは自分の力だけだから、常に自分に自信を持てと言いたいだけで…」
ディアッカの揶揄に反論しようとした途端、イザークの携帯端末のアラームが鳴った。
「…すまない、時間だ」
胸ポケットから携帯端末を取り出してアラーム音を切ったイザークが、申し訳なさそうに告げた。
「ああ」
頷いたディアッカに退出する旨を視線で告げると、イザークは立ち尽くす少年に向かって言った。
「今日は会えて嬉しかった。俺の言葉が足りなくて不快な思いをさせてすまない。機会があったら、一度ゆっくり話でもしよう」
「いえ、俺の方こそ議員のお気持ちも察せず、申し訳ありません」
深く頭を下げたシンの目の前に再び差し出された白い右手に少年が顔を上げると、そこには先ほどまでの冷たい笑みではなく、穏やかに微笑むイザークがいた。その美しい笑みを呆然と見上げたシンは、はっと我に返ると慌てて握手を返した。
「また、会おう。…じゃあな、ディアッカ」
そう言い置くと、銀色の佳人は青い評議員服を翻して来賓室を後にした。
* * * * * * *
イザークの姿が扉の向こうに消えた途端、張り詰めたものを解くようにシンは大きな息を吐いた。
「き、緊張したぁ…」
胸に手を当てながら年相応な表情を浮かべて息を吐く少年の背中を、ディアッカは軽く叩いた。
「なーに緊張してんだ少年?」
「仕方ないですよ。あんな綺麗な人に会ったの、初めてなんですから」
「―――それ、イザークの前では絶対に言うなよ。殺されたくなったらな」
低い声で忠告するディアッカに、シンは頷いた。
「でも、俺の不用意な一言で、ジュール議員のご不興を買ってしまったようですね」
「お前のせいじゃないさ。その辺はまあ…色々と複雑な事情があってね。あの戦いから立ち直ったようでまだ立ち直りきれていないんだ、あいつは」
「複雑な事情って?」
「これ以上は言えない。知りたかったら、直接イザークに聞くんだな。もっとも、聞いたところで素直に答えてくれやしないだろうケド。聞きだせるかどうかは、今後のお前の努力次第だろ?」
まさか自分の気持ちが気付かれているとは思いもしなかったシンは、ディアッカの言葉に目を瞠った。
「イザークが気になるんだろ? あんな嬉しそうな顔をしてたらバレバレだぜ。イザークもお前のこと知ってる風だったし、いつの間に会ったんだ?」
「いえ、会ったというよりは、アカデミーの卒業式にジュール議員が来賓でいらして、お見かけしたと言った方が正しいんですが…」
シンの脳裏に桜並木での出会いが甦る。
満開の桜の下で佇む美しい人。その眼差しは何処か遠くを見ていて、とても哀しそうだった。あの時の彼の切ない表情を思い出すと、今でも胸が締め付けられる。
自分の姿を認めた彼が発した言葉―――。よく聞き取れなかったそれが、ディアッカの言う複雑な事情なのだろう。そしてそれは彼が大切に思っている人間に違いなく、未だに彼を哀しませているその存在が妬ましく思えた。
「ふーん、それで一目惚れしたってワケ?」
「…っ! 一目惚れって!///」
からかうような上官の言葉に、シンは顔を真っ赤にして喚いた。
「照れない照れない。男同士とか、無粋なコトを言わないよ? 俺は」
「だから、そうじゃなくてっ!」
「でも、気になるんだろ?」
「そ、それは……そうですけど」
口篭もるシンに、ディアッカはひどく楽しそうに言った。
「イザークも理想が高いけど、まあお前なら大丈夫だろ? なにせZAFTのエースパイロットだ。もとトップガンの奴と比べて能力的に劣ることはないし、容姿だって悪くない。問題があるとすれば3つも年下ってことだが、その辺は誠意あるのみだな。押して押して押しなくれば、そのうちほだされるって」
やたらと自分を煽るディアッカの真意がわからないシンが訝しげな視線を向けると、一癖も二癖もある教官はにやりと笑った。
「俺とイザークは幼馴染みでね。あいつがいつまでも元気がないと、俺も調子が狂って困る。いい加減、この辺でケリ付けさせるのもいいかなって思ってね。それには新しい存在が一番いい」
「それが俺だと?」
「話の早い奴は好きだよ。まあ、実際どうするか決めるのはイザークだし?」
「つまり俺は、使い捨て可能な駒の一つってことですか?」
身も蓋もない言い方をするシンに、ディアッカは愉快そうに笑った。さっきイザークの前ではしおらしい態度を取っていたが、この少年の本質はそんなものじゃないはずだ。
「カケラほどもそんなこと思ってない奴が何を言うんだか。自信がないわけじゃないんだろ? ZAFTのトップガン」
明らかに面白がっている金髪の美丈夫に揶揄されて、シンの柘榴色の瞳にキツイ光が宿る。
初めてその姿を見た時から、あの人に近付きたいと思った。彼の戦歴を知り、直接会ってその思いは更に強まった。
自分の一歩先を行く、美しい孤高の人。もし彼に振り向いてもらえるのなら、自分はなんだってするだろう。
「もちろんです」
先程までの殊勝な態度を豹変させて不敵な笑みを見せたシンに、ディアッカは満足そうにアメジストの瞳を眇めた。
イザークには悪いが、そろそろアスランを思い切ってもらわなければ。これ以上アスランのことで思い悩むイザークの姿を見たくはなかったし、いい加減気持ちを切り換えなければならないことは、彼自身十分わかっているはずだから。そのためならば、利用できるものは全て利用させてもらおう。
「古い恋を忘れるには新しい恋が一番ってね」
まったくもって至言だと、ディアッカは心の中で呟いた。