運命 3






気が付けば、シンは暗闇の中に一人立っていた。
 自分の手指すらも見る事の叶わない、完全な漆黒の世界。それでも恐怖を感じないのは、頭のどこか片隅でこれは夢だと思っているせいだろうか?
 夢で夢を自覚するのも変な話だと自嘲した彼の耳に微かに聞えた音。
「――――――――――――ちゃん………」
 それは確かに人の声で、誰か他にいるのかと辺りを見回しても静寂な闇が広がるばかりでなにもない。気のせいかと息を吐いたシンの耳に、その声が今度ははっきりと届いた。
「――――――――――――お兄ちゃん………」
 それは、忘れるはずもない可愛い妹の声。
 声のする方へ振り向いたシンの目の前に突然白い光が射し込んだ。眩しげに目を細め掌をかざした彼は、その光の中から現れた三人の姿に愕然とする。
そこに現れたのは、懐かしい父と母、そして妹の姿だった―――。
 いるはずのない家族が現れたことにシンは戸惑った。
 これは夢だ。それも性質の悪い夢。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 あの日、突然喪ってしまった家族。もうみんないないのに。自分の目の前で死んでしまったのに!!
 悪夢を振り払うかのように激しく首を左右に振り、シンは後ずさった。
「お兄ちゃん。早くおいでよ」
 マユが手を振って無邪気に自分を呼ぶ。
「シン、早くいらっしゃい」
 優しく微笑んだ母が手を差し伸べる。
「何をぼーっと立っているんだ。仕方のない奴だな、お前は」
 苦言を述べつつも穏やかな苦笑を浮かべる父。
 彼らの仕種、口調は懐かしい生前のそのままで。とても夢幻とは思えない。
「お兄ちゃん、何してるの? マユと一緒に行こうよ」
 甘えるように手を伸ばされ、咄嗟に後退する足が止まる。
「マユ…」
 引き寄せられるように足を踏み出しそうになったその時、白い閃光がシンの行く手を遮った。
「…っ!」
 思わず目を瞑り顔を背けたシンが恐る恐る視線を戻すと、そこにはあの日見た悪夢が甦っていた。
「父さん、母さん! マユっ!」
 爆発の衝撃で見るも無惨に四散した父と母と妹の体。何度自身を呪ったかわからない惨劇が目の前で再び繰り広げられ、絶望に打ちのめされたシンはその場に崩れ落ちた。
「――――――や、めろ……」
 力なく頭が振られ、苦しげに細められた柘榴色の瞳に涙が溢れる。
「やめてくれーーーーーっっっ!!!!!」





「――――――――――っ!」
 自分の悲鳴で眠りの深淵から引きずり起こされたシンは、一瞬呼吸を止めた後、まるで溺れかけた人間のように荒い息を繰り返した。大きく見開かれた柘榴色の瞳は未だ現実を知覚することができないのか、虚ろな視線を彷徨わせていた。
「――――――――――夢……?」
 暫くしてダークレッドの双眸に意思の光が甦る。そこが自分の部屋だと認識できたシンは、深い息を吐くと痺れたように重い身体を起こした。動いた際に肌を滑り落ちる汗の冷たい感触が気持ち悪く、自分が大量の汗をかいていることに漸く気付く。着替えなければと頭の片隅で妙に現実的なことをぼんやりと思いつつ、また同じ夢を見てしまったのかと酷く沈んだ気分に捕らわれた。
 悪夢に魘されるのはこれでもう何度目だろう。最近になって毎晩のように訪れるそれに、もう数えることも億劫になってしまった。
 原因は誰に訊ねなくても自分がよくわかっている。あの日が近付いているからだ。
 あの日―――シンが大切な家族を喪った、あの忌まわしい日が。
 何度泣き叫んだだろう。何度後悔しただろう。何度絶望に打ちひしがれたことだろう。
 もう少し早く逃げ出していたなら。いや、あの場所に着くのがもう少し遅かったなら。あの時、マユの携帯を拾いに行かずに強引に先へ進んでいたなら、もしかしたら助かっていたかもしれないのに―――。
 考えても仕方のないことなのに、考えずにはいられない。
 もしも、と―――――。
 唇が白くなるほどきつく噛み締めたシンは、込み上げる涙を隠すように抱えた膝に顔を伏せた。
 あの日からもう二年が経とうとしているのに、彼の心の中の傷は癒えることはなく、今も血を流し続けている。
 まるで時が止まったままのように―――――。




     □□□□□




 『WINNER!!』
 MSシュミレーションマシンの画面に映し出された終了を告げる文字を見て、思わずシンは大きく息を吐いた。
 一機対五機のハンデ戦とはいえ、かなり手こずってしまった。今までの自分ならば半分の時間で壊滅できたことを思うと、不甲斐ない自分が腹立たしい。
 舌打ちしたい気分のままマシンから降りた先にレイが立っていた。無様な結果を見られたかと思うと恥ずかしくて顔が合わせられないシンは、無言で傍らを通り過ぎようとした。
「調子が悪そうだな」
 思いもよらず声を掛けられ、足が止まる。
「―――うん。情けないと自分でも思う」
「顔色が悪い。無理せずに早く休んだ方がいい」
「……え?」
 てっきり馬鹿にされると思っていたシンは、レイの意外な言葉に振り返った。視線の先にあるのは労るようなアクアブルーの眼差し。
「最近よく眠れないんだろう?」
 同室者であるレイが毎晩のように魘される自分に気付かないはずがない。けれど今まで何も言わなかったのは、過去に何があったのかを多少なりと知っているからだろう。自分自身で解決するしかない問題だということを彼はわかっているから、敢えて黙ってくれていたのだ。
「――ごめん。ひょっとしなくても俺、レイに迷惑かけてたよな」
「別に、気にすることはない」
 素っ気ない返事がいかにも彼らしくて、シンは思わず苦笑を浮かべた。
「何だ?」
「いや、お前っていい奴だなっーて思ってさ」
「……………」
 怪訝そうに問い掛けるレイに思ったままを言ってやると、彼は秀麗な顔を顰めて黙り込んだ。余程意外な言葉だったらしい。そんな態度がまた堅物の彼らしくて、シンは口元を綻ばせた。
「そういや、今日は随分と人数少ないよな。みんなどうしたんだ?」
 今頃気付いたかのように自分達以外誰もいないシュミレーションルームを見回したシンの疑問に気を取り直したレイが答えた。
「ああ。お前が手こずっている間に、ジュール議員が闘技室にいらっしゃるって話が飛び込んできて、みんな訓練そっちのけで野次馬に出かけた」
「ええーっ!! なんで教えてくれないんだよ!」
 思わず食ってかかったシンを呆れたようにレイは見下ろした。
「お前はシュミレーションの真っ最中だったろうが」
「それとこれとは話が別! まだいるかなー? って、あれ? 何でレイは行かなかったんだ?」
「俺もシュミレーションの途中だったからな。中断してまで行くほどのこともないだろ?」
 どこまでもクールなルームメイトに、シンは軽く脱力する。
「…お前ってそういう奴だよ。それより俺達も早く行こうぜ。上手くすれば対戦してもらえるかもしれないし」
「ああ」
 先ほどまでの不機嫌さは綺麗に消え失せたシンは、憧れのジュール議員に一刻も早く会いたいと闘室へ急いだ。





 闘技室は予想通り黒山の人だかりで、中に入りきれずに入口に人が溢れ出ているほどだった。
「うっわ、すげ…」
 急いでやって来たはいいが中に入れず遠巻きに様子を窺っていたシンは、室内の中心の方で突如湧き上がった歓声に何事かと中を覗き込もうとして人の垣根に邪魔され、その試みは敢えなく失敗に終わる。
「くっそー。レイ、わかるか?」
「この人混みじゃわかるはずがないだろ」
 どこまでも冷静な彼にあっさりと返され、聞いた自分が馬鹿だったと早々と後悔する。見えないとなると余計に気になるもので、飛んだり跳ねたり果ては下に潜ったりとあれこれ試して最終的に強行突破しかないと決断を下したシンは、特攻よろしく人山の中へと突進して行った。
「…ったく、どうにかならねえのかよ。あ、ルナめーっけ!」
 人垣を掻き分けながら強引に前に進んでいたシンは、さすがというか最前列を確保していた同じ赤を纏う同僚の姿を見つけると彼女を呼んだ。
「ちょっと、シンったら。どこ行ってたのよ? 遅いわよ!」
 彼に気が付いたルナマリアが、人垣の中で埋もれそうになっている同僚の腕を掴むと外に引っ張り出す。その後ろにちゃっかりと続いていたレイも、ついでとばかりに引きずり出した。
「さーんきゅ。助かったよ。お前の怪力もタマには役に立つなあ」
「なんですって!?」
 つい軽口を叩くと早速勝気な彼女に睨まれ、慌ててシンは胸の前で両手を小さく上げて降参のポーズを取った。
「やだなー、冗談だよ冗談。ありがとうざいます、ルナマリア様。お陰で助かりました。ところで何があったの?」
 感謝の気持ちの欠片も見えないシンの態度に眉を顰めたルナマリアだったが特に気を悪くした風もなく、すぐに自慢げな笑みを浮かべて二人に向き直った。
「ふふ〜ん。いいトコを見逃したわね、あんた達。今ね、エルスマン主任とジュール議員がナイフ戦で対戦されてね、そりゃあ凄かったのよ。さすがは歴戦の勇者って感じ? どちらが勝つかハラハラドキドキだったんだけど、ジュール議員が華麗な身のこなしでエルスマン主任の攻撃をかわしてね、ナイフを一閃させて喉元にピタリで決着がついたのv もう興奮しちゃった!」
 まるで自分のことのように誇らしげに話すルナマリアからふと視線を移したその先で彼の姿を見つけた途端、シンは柘榴色の瞳を大きく見開いてその場に固まった。初めて見る赤い軍服姿の彼に目が釘付けになってしまったのだ。
 青の評議員服も優雅でよく似合っていたが、ZAFTのエリートの証である真紅の軍服を纏ったその姿は清冽で気高く優美で、まさに鑑賞に値する。しかし、シンが目を奪われたのはそんな外見的なことばかりではなく、イザークの身に漂う冴え凍るような凛とした空気――生死の境を潜り抜けた歴戦の戦士だけが持つ独特の迫力にシンは圧倒された。
 やはりこの人には軍服こそが、赤がより似合うと食い入るように見つめながら彼はそう思った。
「酷いなあ、イザーク。現役の俺の立場ないじゃん」
「ふん、貴様の鍛え方が足りんだけだ」
 衆人環視の中を気安げに会話をしながらこちらに近付いてくる彼に、自ずと心臓の鼓動も速くなる。嬉しい反面、いきなりで心の準備もまだできていないと内心焦るシンをよそに、皆の注目を一身に集めていた二人は期待のルーキー達の前で足を止めた。
「ごめん、ルナマリアちゃん。負けちゃったよ〜。こいつ、強すぎ!」
「貴様が弱すぎるだけだ。まったく、現役軍人のくせに情けない」
 いつもの砕けた調子で苦笑を浮かべるディアッカに、イザークは呆れた視線を投げかけた。その皮肉げな仕種もまた彼に合っていて、シンはまたどきりとする。
「いえ、お二人とも凄かったですっ! 良い対戦を見せて頂き光栄です」
 話し掛けられたルナマリアは頬を染め、緊張した趣で答えた。まるでアイドルを目の前にしたファンさながらに目を輝かせ畏まるその姿は、普段の勝気で威勢のいい彼女からは想像もできないほどのしとやかぶりだった。
「慰めてくれるんだ。ありがと、やさしいね」
 ZAFT一のタラシの名をほしいままにしているディアッカは、その名に恥じないタラシっぷりをここでも披露する。褐色の美丈夫に顔を覗き込むように微笑まれたルナマリアは赤面し、周囲にいた女性士官達からは黄色い悲鳴が上がった。その様子を彼の隣で眺めていたイザークは、いつどんな時でも女性を口説くことを忘れない戦友に呆れた視線を投げかける。
「ま、俺としてもこのままじゃあ引き下がれないから、とっておきを出すことにするよ」
 ふいにイザークに顔を向けたディアッカは、意味ありげな眼差しを送ってきた。こんな顔をする時の彼はロクなことを考えていない時だと経験上知っているイザークは、思わず眉を顰める。
「おい、シン。出番だ」
「は…?」
 上官に突然名指しされたZAFT期待の星は、意味がわからず首を傾げた。
「イザークの相手をしてやってくれないか? こいつ、まだまだ暴れたりないみたいでさ」
「ええっ!」
 今度こそ驚いたシンは、素っ頓狂な声を上げた。
 確かにうまくすれば相手をしてもらえるかもしれないとは思ったが、どうせ無理だと高をくくっていた。まさか本当にそんな機会に恵まれるとは思ってもいなかっただけに、驚きを通り越して茫然としてしまった。
「おい、ディアッカ。勝手なことを言うな!」
 よりによってシンを相手に模擬戦とは。先日のこともあり、正直言ってシンとはあまり近付きたくなかったイザークは慌てて噛み付いた。
「いーじゃん、訓練なんだから。ひよっこ達の腕を見るのに丁度いいでしょ。どうするシン?」
 イザークの反論など軽くあしらったディアッカは、驚いた表情のまま固まっているルーキーを面白そうに見やる。唆すような視線を向けられて、ふと我に返ったシンは身を乗り出さんばかりに即答した。
「やります。やらせてください!」
「そうこなくっちゃ」
 やけに楽しそうに頷くディアッカをイザークは睨んだ。
「貴様…」
「まあまあ、そんな顔しないで。ちょっとくらい可愛い後輩の相手をしてやってもいいだろ? それとも何? 負けるかもしれないから嫌とか?」
「何だとっ!?」
 聞き捨てならないディアッカの言葉にイザークの眉が吊り上がる。その仕種に挑発に乗りやすい性格は相変わらずだなとディアッカは内心苦笑した。
「貴様と一緒にするな! いいだろう、相手になってやる」
「そうこなくっちゃ」
 予想通りの答えにディアッカは不敵に笑った。その笑みを見て彼の挑発に乗せられたことを今更ながらに悟ったイザークは、忌々しそうに幼馴染みを睨みつけた。しかし一度承諾した以上、それを取り消すことはプライドにかけてできない。まんまと彼の思惑に嵌まってしまった愚かな自分を悔やんでも後の祭りで、そもそも長い付き合いで自分の操縦の仕方を心得ているディアッカに、初めからイザークが勝てるはずがなかったのだ。
「お相手して頂いて光栄です。よろしくご指導願います」
 嬉しそうに頬を紅潮させて敬礼するシンに、いつまでも大人気ない態度を取ることはできないと判断したイザークは、取り繕うように顔を引き締めた。
「こちらこそ。お手柔らかに頼む」
 優雅に答礼しながら、できれば避けたかった相手と模擬戦をすることになってしまったイザークは、心の中で溜息を吐いた。





 どちらかというとナイフ戦はあまり得意ではないシンだったが、それでも現役軍人しかも赤を纏う身としては、いくら相手がかのヤキンの英雄イザーク・ジュールであろうと負けるわけにはいかない。
「はじめ!」
 フロアの中心で向かい合っていた二人は、審判役のディアッカの掛け声で互いにナイフを片手に構えた。すると、それまで透明感すら湛えていた静かな蒼氷の瞳が一変した。獲物を狙う猛禽のように鋭く威圧的な眼差しの力に、一瞬シンは圧倒される。その隙を逃さず攻撃を仕掛けてくるイザークを何とか躱したシンは、体勢を立て直しながら背中を冷や汗が伝うのを感じた。
 ――早い! そして、的確に急所を狙ってきている。
 もしもここが戦場でシンが敵兵だったら、あとほんの僅か躱すのが遅れていたら、今頃は冷酷に薙ぎ払われたナイフで喉を掻き切られ息絶えていただろう。
 熾烈な戦場を戦い抜き生き抜いてきただけに、たとえ模擬戦であろうと手加減を一切しない彼のその迫力に背筋に震えが走る。
 蒼氷の死神に冷酷に見据えられ、ともすると怯みそうになる自分を叱咤したシンは、ナイフを構え直し反撃のチャンスを窺う。しかし、流石に付け入る隙を見せてはくれず、逆に攻勢に出れないシンを嘲うかのようにイザークが床を蹴った。ふわりと舞った銀の弾丸にいきなり懐に飛び込まれ、心臓目掛けて突き出された鋭い切っ先をシンは横に飛び退って躱す。すると、まるでそれを予測していたかのように、イザークが身体を反転させ下方から斜め上へナイフを閃かせた。
「うわっ…!」
 続けざまの攻撃をなんとか躱したものの、上体が大きく揺らいでバランスを崩してしまう。が、そこは仮にも赤を纏う戦士。無様に倒れこむような真似はせず、咄嗟に床を蹴りバック転で後方に逃れた。
「やるねぇ」
 審判役の褐色の美丈夫が口笛を鳴らして、さも面白そうに口角をつり上げた。
 普通ならここでジ・エンドのはずだが、流石にスーパー・ルーキーの異名は伊達ではないらしい。
「ちょっと、シン! 防戦一方なんて情けないわよ!」
 勝気な同僚の叱咤に「勝手なこと言うなよ」とシンは内心ぼやいた。実際、なんとか突破口を見つけたいのだが、なにしろイザークに隙がないのだ。闇雲に突っ込んでいっても返り討ちに合う危険性の方が高い。
 どうしたものかと銀髪の麗人の動きを注意深く窺いつつ、間合いをじりじりと詰めていく。
 相手の呼気の音さえ聞えそうなほどの集中力の中こうして睨みあっていると、この世界にイザークと二人だけになったような錯覚を起こす。それは、妙な陶酔感さえ呼び起こして、この蒼氷の宝玉に認められる存在になりたいという強く激しい思いとなってシンの心を揺さぶった。
 今は取るに足らないルーキーだが、今にきっと彼に並び立てる人間になる。そのためには、ここで勝たなければ…!
 カッと柘榴色の瞳を見開いたシンは、一気にイザークとの間合いを詰めた。今までの受け身の姿勢からの突然の豹変ぶりに一瞬虚を突かれたイザークは、切りかかってくるナイフの切っ先を辛うじて躱した。その失態に短く舌打ちしながらもすぐに気を取り直した彼は、続けざまに襲ってくる鋭い白刃を華麗なステップで躱しつつ、シンの繰り出す攻撃の隙を冷静に見定める。
 と、何閃目かのナイフの軌跡を正確に読み取ったイザークは、繰り出されるシンの右手首を掴むと体勢を低くしその懐に入り込み、突進する勢いを借りるようにして少年の身体を投げ飛ばした。
「うわっ!!!」
 突然の浮遊感に目を瞠ったシンは、その直後に背中と後頭部を襲った衝撃に息を詰まらせる。
「…っ!!!」
 間を置かずして床に投げ出されたシンの身体に乗り上げたイザークは、すかさず彼の喉元にナイフを突きつけた。
「勝負あり!」
 静まり返った室内にディアッカの声が響き渡った途端、揺るがすような歓声が上がる。
「お疲れさん」
 近付いてくるディアッカにちらりと視線を向けたイザークは、身を起こすとまだ横たわったままのシンの顔を覗き込む。
「おい。大丈夫か?」
 ところが応えはなく、不信に思って軽く頬を叩いても反応がない。眉を寄せたイザークは、頚動脈に指を当てて脈を確認するとほっと息を吐いた。
「あ〜らら、どしたの?」
「気を失っているだけだと思うが、頭を打っているかもしれん。あまり動かさない方がいいから、すまないが担架を用意してくれ」
「了解」
 冷静な口調と裏腹に心配げに瞳を曇らせるイザークに苦笑を漏らしたディアッカは、世話の焼けるルーキーのために担架の準備をすべく踵を返した。




     □□□□□




 何かに引き上げられるかのように唐突に浮上した意識に瞳を開けたシンは、飛び込んできた見覚えのない白い天井にここはどこだろうとぼんやりと部屋を見回した。
「……あ、気付いた?」
 かけられた声の方向に顔を向ければ、そこには心配げなルナマリアとレイの姿があった。
「――――ルナ?…レイ?」
 横たわっていたベッドから身体を起こすと途端に後頭部に鈍い痛みが走り、思わず後頭部に手を当てて顔を歪める。
「…っ」
「当然でしょ。こーんなおっきなタンコブできてんだから」
 肩を竦めたルナマリアが親指と人差し指で輪を作りながら言った。
「でも、頭蓋骨も脳波も脊髄にも異常はないって。石頭でよかったわね、シン」
「――――俺……ジュール議員とナイフの模擬戦をやって、投げ飛ばされて……そっから記憶がないや。…ここ、医務室?」
 目が覚めたばかりで上手く状況が掴めないでいたシンが確認するように呟くと、ルナマリアはさもあきれたような口調で言った。
「そうよ。誰かさんがのびちゃったから、ジュール議員が担架を用意するように仰ってここまで運んだってわけ。なかなかあんたが目を覚まさないから、御自分の所為だと心配なさって、レントゲンから脳波チェックまで一通り精密検査をするように指示なさったうえに、お忙しいのにさっきまで付き添ってらしたのよ?」
「……そっか」
 無様な醜態を晒した上に迷惑をかけまくってしまったことに、シンはがっくりと項垂れた。イザークに自分の存在をアピールするべく奮起したはずが、空回りに終わったばかりか最悪の結果になってしまったことに酷く落胆してしまう。そんな彼に更に追い討ちをかけるように、ルナマリアが怒鳴りつけた。
「そっか、じゃないでしょ、そっかじゃ! シン! あんたねえ、いくらジュール議員が相手とはいえ、手玉に取られた挙句にのびちゃって。満足に受け身もとれないなんて、『赤』の面汚しもいい所よ! もう恥ずかしいったらないじゃない! しかも、少しは反省しなさいよね!」
 語気も荒く叱りつける彼女をレイが宥めた。
「ルナマリア、もうそのくらいにしておけ。あの場面じゃ、誰だって上手く受け身をとれやしなかったさ。それだけジュール議員の攻勢は鋭かった。反省すべきは、平時に甘んじて自己の鍛練を怠っていた俺達全員だ」
「…レイ」
 沈着なレイの言葉に、ルナマリアも舌鋒を収める。
「シン。医務室の使用許可は明日まで取ってあるから、今夜はもうここで休め。身体を起こすとまだ少しふらつくだろう?」
「…うん。レイもルナも、迷惑かけてごめん」
 しゅんとした様子のシンに流石に言い過ぎたと思ったルナマリアも舌鋒を収める。
「あたしも少し言い過ぎたわ、ごめんね。でも、ジュール議員は本当に心配なさってたんだから、明日になったらちゃんとお詫びするのよ?」
「うん、そうする」
 生真面目な顔で頷くシンに頷き返したルナマリアは、レイと一緒に医務室を後にした。
 その姿を見送ったシンは、はあ…と大きく溜息を吐くと、がっくりと肩を落とす。
「……俺って、馬鹿っ!」
 いくらイザークが強いとはいえ、冷静になればもう少し戦いようがあったはずなのに、それを気負って突進していった挙句にあのザマ――。情けないにもほどがある。
 折角ディアッカ主任が気を利かせてチャンスをくれたのに、それを生かせないばかりかあり得ないほどの無様な醜態を晒してしまうなんて、もう呆れられて振り向いてもらえなくなるかもしれない。ようやく顔と名前を覚えてもらって話もしてもらえて、さあこれからだという時にみすみすチャンスを潰してしまうなんて、不甲斐ない自分が腹立たしかった。
「―――せめて、MSシュミレーションだったら、どうにかなったかもしれないのに」
 ポツリと零した負け惜しみは虚しく部屋に響くだけで。
 もうあの綺麗な蒼氷の瞳で真っ直ぐに見つめてもらえないかと思うと、情なくて地の底まで落ち込んでしまうシンだった。











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