夢を見ていた―――――。
あいつがいて、俺がいて。
他愛もないことで喧嘩して。笑いあって。
好きだと告げて、抱き締めあってキスをして。互いの熱を感じあって。
このまま時が止まってしまえばいいのにと、願ってしまうほどに幸せな、満ち足りた情景―――。
これが夢だとわかってしまうのは、現実の世界では叶うはずもないことだと、わかりすぎるほどにわかっているから。
それでも。
願うだけ無駄なことだと知りながらも、願わずにはいられない。
せめて夢の中だけでも幸せな自分を、と―――――。
眠りの淵から緩やかに浮上した意識が、ゆっくりと目蓋を開かせる。その下から現れた蒼氷の瞳が何かを探すように彷徨い、そこが見慣れた己が寝室だと認識すると、落胆したように再び目蓋が閉じられた。
夢を見ていた。
それがどんなものかは忘れてしまったが、ひどく幸せな夢だったことだけは憶えている。何故目を覚ましてしまったのかと、思わず悔やんでしまうほどに。
己が思考の取り留めのなさに溜息を吐いたイザークは、ふと目尻に感じた違和感に指を当てた。
「―――――――涙?」
微かに残っていた雫が濡らした指先を見て不思議そうに呟いた途端、困ったような微笑みを浮かべた少年の姿が脳裏に浮かんだ。紺青色の髪と翡翠の瞳を持つ端正な面立ちの少年は、イザークが今一番会いたくて、そして一番会いたくない存在だった。
―――――――アスラン………。
胸のうちでそっとその名を呟くと、遣る瀬無い思いとともに胸が痛んだ。
蒼氷の瞳が悲しげに歪み、そのままぎゅっと握りこんだ拳を胸に当て、何かを堪えるかのようにきつく瞳が閉じられる。
「―――――――俺は、一体いつまで………」
苦しげに吐き出された言葉が応える者のいない室内に切なく響くのを、イザークは未だ癒えぬ胸の痛みを抱えながら、苦い思いで聞いていた―――――。
* * * * * * *
最高評議会ビルの廊下を早足で移動しながら、イザークは斜め後ろを歩く秘書から告げられる本日のスケジュールに耳を傾ける。
「―――国防委員会の事前打ち合わせの後、午後からザフト本部で新型MSの進行状況の説明を受け、終了後幹部との会合。18時からはマティウス市の市民連合の代表との会食が予定されています」
「わかった」
淀みなく述べられるそれに短く了承の意を返した銀の髪の青年は、会議室の重厚なドアの両側に立つ警護の人間の敬礼を受け返しながら中へ入った。
イザークが評議会議員の任に着いて1年以上になる。戦後復興の仕事は多岐に渡っていて寝る暇もないほど忙しいが、余計なことを考えないで没頭できるだけ彼にとってはありがたかった。
それでも、ふとした瞬間に思い出してしまう紺青色の髪の少年の面影に、胸が締め付けられるように痛む。彼の不在にもういい加減慣れてしまってもいい頃なのに、未だに慣れない自分の不器用さには苦笑するしかない。
今朝のように夢で起こされることも珍しくなく、その度に自己嫌悪に陥る。いつまでも過去に拘っている暇などないのに、引きずられてしまう自身の弱さが恨めしかった。
あの時の選択を決して後悔はしないと誓ったのに、後悔してしまいそうな自分がいる。
もし違う道を選んでいたのなら、今頃はアスランと共に歩いていたかもしれないのに―――と、埒もない考えが脳裏の片隅から離れない。
―――――何をいつまでも馬鹿なことを考えている、イザーク・ジュール!!
自ら選んだ道を否定しかねない思考の堂々巡りを強引に断ち切ったイザークは、会議室のテーブルに座る面々をさり気なく一瞥する。
ここに座す評議員の中で間違いなく一番年少な自分。流石に議員に成り立ての頃のようにあからさまなに値踏みするような視線を向けられることはなくなったが、それでも一挙手一投足を注意深く見られていることには変わりはない。
先の戦争の責任を取って引退したとはいえ、国防委員長の任にまで就いたエザリア・ジュールの息子として、また散っていった仲間の遺志を受け継ぐ者として、決して無様な姿は見せられなかった。
イザークは深く嘆息して気を引き締め直すと白い玲瓏たる面を上げ、厳かに口を開く。
「―――アーモリーワンの軍事基地の配備状況について、一言申し上げます」
イザークの孤独な闘いは、まだまだ始まったばかりだった―――。
* * * * * * *
「――イザーク!」
視察を終えたイザークが馴染んだザフト本部の建物の中を護衛官のシホを伴って歩いていると、耳慣れた声に呼び止められる。振り返るとそこには緑の軍服を来たディアッカが立っていて、立ち止まった自分に笑顔で駆け寄ってきた。
「視察お疲れ様です。ジュール議員」
おどけて敬礼してみせる幼馴染みの肩を肘で軽く小突いたイザークは、穏やかな笑みを浮かべた。
「久しぶりだな」
ディアッカはザフトに復帰してすぐにイザークの護衛の任に就いていたが、現在はMSパイロットの教官として毎日元気にひよっこ達を怒鳴りつけている。
頻繁に連絡は取りあっているものの、こうして直接会うのは1ヶ月ぶりの幼馴染みは、精悍な顔つきに磨きがかかり、どこから見ても立派な青年将校といった風情だ。後輩達から寄せられる信頼は絶大で、忙しい日々を過ごしているらしいことは、折に触れ伝え聞く。アークエンジェルとの交戦でMIAの認定を受けた後、第三勢力に組してZAFTと争ったという事実に、復帰を許されたとはいえ微妙な立場に立たされていた彼だったが、そんな空気も払拭するディアッカの活躍にイザークは安堵していた。
今はそれぞれ評議会とZAFTで離れてしまっているが、抱く思いは変わりない。共に目指すのは、もう二度とプラントに戦火を及ぼさないこと。そのために、自分達は持てる力の全てを尽くす。互いにそう誓ったのだ。
「顔色悪いぞ。また無理して寝てないだろ?」
心配そうに顔を覗き込むアメジストの瞳にイザークは苦笑を返した。
「そんなことはないさ」
「どうだか。お前は前科持ちだから信用できない。なあ、シホ?」
急に話をふられたシホは面食らったように明るいブラウンの瞳を軽く瞠ったが、すぐに頷いてみせた。
「はい」
「―――お前達…」
優美なラインを描く眉を顰めてみせても、気心の知れている二人には何の牽制にもならない。それどころか怖いもの知らずのディアッカは、イザークの目元に指先でそっと触れると、さらりと言った。
「大体、目の下にこ〜んな隈作ってたら、折角の美貌がダイナシじゃん。睡眠不足は美容の大敵ってね♪」
「……っ! ディアッカ、何をふざけたことをっ!!」
即座にその手を叩き落し、頬を紅潮させて憤然と喰ってかかるイザークに、調子に乗ったディアッカは更なる爆弾を落とす。
「えー。だって、イザークが美人なのは事実でしょ? うちのルーキー達の間でも凄い人気があるんだぜ? 月の女神―ディアナ―の如きジュール議員ってさ♪ 勿論、迂闊に手ぇなんかださないよう、俺が全員に牽制かけてるけど」
「いっ、言うに事欠いて何をほざくか、貴様っっ!!! 今すぐその減らず口を噤め、今すぐっっ!!!」
緑の軍服の襟をぐいぐいと締め付け、顔を真っ赤にさせて喚きたてるイザークに、それを苦笑しながらさしたる抵抗もせずに受け入れているディアッカ。その様子は端から見れば仲の良い友人がじゃれあっているようで、年相応の姿を見せる二人をシホは微笑ましく見つめていた。
僅かな気の緩みからか、つい零れてしまった笑みの気配を敏感に察したイザークに剣呑な視線を向けられ、恐縮しまくったシホは、ほぼ直角になるほど深く頭を下げる。
「もっ、申し訳ございません、隊長。そんなふうに大声を上げられる姿を拝見するのは随分久しぶりでしたので、懐かしくてつい……。すっ、すみませんっっ!!!」
「そうそう。イザークは時々癇癪起こすくらいが丁度いいんだって。あんまり大人しすぎると、らしくなくてこっちの調子が狂っちまう」
アメジストの瞳に労るように見つめられ、イザークは今ほどのやり取りが自分の肩の力を抜かせるためにディアッカが一芝居打ったものだと察する。気付けば、先ほどまで張り詰めていた気負いが跡形もなく消えうせていた。
どうしてこいつはこうも自分を甘やかすのだろう…。
その懐の深さに叶わないと内心白旗を上げながら、それでも素直になれない口からはついつい憎まれ口が零れる。
「―――馬鹿者」
襟を締め上げていた手を外し、涼やかな目元をほんのりと紅く染めてそっぽを向いたイザークの銀色の髪をくしゃりと撫ぜたディアッカは、視線を上げた彼に満面の笑みを浮かべてみせた。
多くを語らずとも心情を察してくれるこの関係が面映くも心地よくて、イザークは彼が幼馴染みであるとことを感謝する。覚悟の上で飛び込んだ政治の世界だが、多分自分ひとりだけだったら、駆け引きや腹の探りあいばかりの日々に耐えかねて、今頃は潰れてしまっていたかもしれない。
「さて、と。暇があるなら、パイロット訓練室によってくか? 今年のルーキー達は威勢がいいのが揃ってるぜ」
そういって誘うディアッカに、イザークは今後のスケジュールを素早く頭の中で確認する。
「少しくらいなら大丈夫だ」
「じゃ、決まりだね」
緑の軍服を翻えすディアッカの横に並びながら、イザークはやけに楽しげな彼の様子になんとなく嫌な予感を感じてしまうのだった。