ユリアシティは外郭から流れ落ちてくる海水の滝の中に佇む半円球状の屋根に覆われた街だった。
「…………ご主人様ぁ〜〜〜!」
 一先ずアクゼリュス住民の受け入れを願い出、落ち着ける場所で今後の話しをしようと艦を降りたルーク達………と言ってもその先頭を歩いているのはユリアシティの出身であるティアとアッシュだったのだが……の耳に、薄暗く静かなそこに不釣合いの明るく甲高い声が飛び込んできて。
 のろのろと声のした方 ――――― 今しがた後にしたばかりのタルタロスの甲板を見上げたルークはそこに不気味なぬいぐるみを抱いたアリエッタの姿を見た。
 ヴァンの元に置いておいては利用されるだけだから、とシンクが連れ出したらしい。
 彼女もまだ状況に適応しきれない様子でちらちらとイオンを気にしながら、不安そうに視線を揺らしている。
 他に女子供の姿はないが、彼女があんな甘えた声を出したところは聞いたことが無い。
 ぼんやりとそう思った時、彼女の抱くぬいぐるみの中から青緑色のボールの様なものが飛び出した。
「アリエッタ? ミュウと中で待ってろって…………ッ!?」
 それは真っ直ぐ、弾丸のようにアッシュに向う。
 息を呑み、身体を捻って躱した彼のすぐ側でどごっと妙に重く鈍い音が響いた。
 ………何で出来ているか良くわからない材質の床が、めり込んでいる。
 呆然とする一同を他所に、アッシュは素早く床に落ちたそれを踏みつけた。
「………全力で飛びついてくんなつってんだろッ!!」
「みゅぅぅ〜………ごめんなさいですの〜。また置いていかれると思って、ミュウ、慌ててましたの………」
 足の下でうごうごと青緑色の物体が揺れる。
 アッシュに怒鳴られて踏みつけられて泣きそうな声を上げているのはボールではなく。
 小さな身体に不釣合いの大きな耳を持った小動物 ――― ローレライ教団で聖獣とされるチーグルだった。
「ル、ルーク、それ………」
 当然個人で飼うような生物ではないし、こんな所にいるのは不自然だし、何より言葉を発しているのが異様だ。
 確かに高い知性を持つと言われているが、人語を解すると言う話は聞いたことが無い。
「あ? ………あー、言っとくけど攫ってきた訳でも、好きで連れ歩いてるわけでもねーぞ? 色々あって助ける形になっちまって、そしたら恩返しするんだーってくっついてきちまってさ」
 アッシュはそう言ってチーグルの仔を踏みつけたまま面倒臭そうにガリガリと頭を掻いた。
「………と、そにかく、そんな小さい子を踏みつけるのはやめなさい。可愛そうでしょう!」
「……………お前、こいつの破壊力みたろ? 踏まれたぐらいでどうこうなりゃしねぇっての」
 ティアの言葉にぶつぶつと文句を連ね、飛びついてくるなよと念を押して足をどけたアッシュだったが。
「ご主人様ぁっ!!」
 途端、小動物は飛び上がって見事に彼の腹部にぶつかった。
 どすっと鈍い音がして、男が身体を折る。
「……………っ、から、飛びつくなつってんだろッ!!」
「みゅぅぅぅ、ごめんなさいですの〜〜!!」
「…………それにしても興味深いですね。チーグルが人語を解するとは知りませんでした」
 今度は左右に両耳を引っ張られ。
 甲高い悲鳴を発しながらじたばたと暴れていた聖獣が、興味深気なジェイドに視線に大きな瞳を瞬かせる。
「みゅ。ミュウはホントは人間の言葉は喋れませんの。でもこのソーサラーリングのお陰でご主人様達とお話したり、火を吹いたりが出来るんですの!」
「………ふむ、なるほど。これは音機関の一種でしょうか?」
 自慢気に小さな腹を突き出してリングを示してみせるチーグルの、どこか能天気な声に。
 常と変わらぬ様子のジェイドの声に、無償に苛立ちを誘われてルークは低い声を発した。
「………………んで、だ」
「………どうかしましたの?」
 覗きこんでくるナタリアにも応えず、ルークは足を踏み出す。
 ――――― 自分の居場所であったはずの場所に、自分に良く似た男が居る。
 言いがかりなのかもしれない。けれどその感覚が、どうしようもなくルークを苛立たせる。
「………何故ついこの間まで敵対してた野郎とそんな風に話せる。幾らそいつ幼馴染だからと言って、どこの馬の骨ともわからん輩の言葉を鵜呑みにする! なんでっ……!!」
「鵜呑みにした覚えはありませんがね。話を聞く価値があると判断したに過ぎませんよ」
 ルークの激昂に呆れたように、ジェイドが大袈裟な仕草で肩を竦めて見せる。
「っ、あはははは!」
 その時。それまでどこかきょとんとした表情でルークを見つめていたアッシュが弾けるように笑い出した。
「何だお前、まだ気付いてなかったのかよ? それとも気付きたくないだけか? 被験者オリジナル殿?」
「………なんの……何の話だ!!」
「大佐殿はとっくに気付いてるみたいだぜ? ティアも、導師守護役フォンマスターガーディアンだって何かあるって思ってたんだろ?」
 ジェイドは動じなかったが、ティアとアニスは気まずそうに視線を反らした。
「………お姫様はともかくとして、アンタにはわかるはずだぜ?」
 無造作に小動物を投げ捨てた男が、歩み寄ってくる。
 チーグルはぽてっと転がって、みゅぅと小さく鳴いた。
 酷くゆっくりとした、その一歩一歩に圧力を感じて、ルークはぐっと唇を噛み締めた。
 仮面で隠された男の口元が、暗い歓喜と嘲笑と、自嘲に、僅かに歪んでいるように見える。
「俺はレプリカだ。フォミクリーで作られた、あんたの複製だよ」
 得体の知れない恐怖の様なものに動けなくなる。
 ルークの耳元で聞き慣れた声がした。
 そうだ、慣れているはずだ。これは自分の声なのだから。
「っ……うわああぁぁッ!!」
 ルークの跳ね上げた腕が眼前の男の仮面を弾き飛ばす。
 見たこともない、泣き出しそうな、笑い出しそうな何とも言えない表情をしていたが、其処にあったの顔は間違いなく、自分の顔だった。
師匠せんせいが作ったんだ。アクゼリュスで死ぬ、お前の代わりにする為に」
 口元を押さえて息を呑んだティアが、ふらついて。それを隣に居たジェイドが支えた。
 ルークの眼に映っていたのは、眼の前の、自分に良く似た男と、その奥でつまらなそうに腕を組む緑の髪の少年。
 小柄で、華奢と言ってもいい身体つきが、記憶の中の誰かに重なった。
「…………さか、ソイツ、も……」
「そうだよ、僕もレプリカさ。二年前に死んだ導師の、ね」
 皮肉めいた響きは、記憶にある穏やかなものとは違ったけれど。
 確かに同じ音をしている。
 アニスが、ナタリアがハッとしたように目を見開いて、イオンを見た。
 ――――― 彼は今、何を言った?
 イオンは黙って足を踏み出し、シンクの隣に並ぶ。
「…………イオン、様……?」
「………今まで………黙っていて、すみませんでした。僕はイオンであって、イオンではない………亡くなった被験者オリジナルのイオンの代わりに、ヴァンとモースが造ったレプリカの一体です」
 アニスが信じられないと言った様子でへたり込む。
「………………ん、な……ことがッ! そんなことが、信じられるかあぁぁッ!!」
 混乱のまま引き抜いた剣が男の胸元を掠めて、細い線を描く。
 僅かに避けた其処から赤い色が覗いた。
「ッ………」
 後ろに飛んで第二打を避けたアッシュが、左手で剣を引き抜き、ルークの斬撃を受け止める。
 右手にしたそれと、左手にしたそれが打ち合い、火花を散らすさまはまさに鏡のようだ。
「ルークッ………!」
「危険です、おやめなさい!」
 飛び出そうとしたティアを、ジェイドが押し止める。
「…………アンタは平然としたもんだね。ま、とっくに気付いてたんなら当然か」
 シンクが嗤うように言って、イオンもまた彼を見た。
 へたり込んだままのアニスも、それを支えるナタリアも動揺の色の濃い瞳で彼を見上げる。
「………確証はありませんでしたが、符号は幾つもありましたからね」
 同じ顔、同じ色彩を持つ二人。
 記憶のない少年。
 噂とはまるで違っていたイオン。
 その、異常とも言える身体能力の低さ。
 眼の前の少年の持つ色彩 ――――― 。
 それはどれも、一つの可能性を指している。
「流石、と言うべきかな。ジェイド・バルフォア博士?」
「………やれやれ、ご存知でしたか」
 古い名前を呼ばれ、ジェイドは深く嘆息を落とした。
 それは彼がカーティス家に養子に入り、ジェイド・カーティスを名乗る前の、少年の頃の名前だった。
「大、佐………?」
「フォミクリーの技術はね、私が生み出してしまったものなんですよ。…………それより、いいんですか? 助けに入らなくても」
 呆然として声もない女性陣を他所に一方的な攻撃を受ける一方で、攻めあぐねている様に見えるアッシュを顎でしゃくる。
 と、シンクはニッと口端を引き上げた。
「レプリカは被験者オリジナルに劣る……それはアンタがよーく知っているはずだものね」
 暗い笑いを浮かべる彼の視線の先で、アッシュがルークが振り上げた剣を受け止めるのが見える。
「………けどね、基礎能力は別にしても、お屋敷の中でのうのうと生きてきたお坊ちゃんにアッシュが負けるはずないだろ。能力が全てじゃないってとこ、見せてあげるよ」
 ギイィィンっと金属のぶつかりあう高い、耳障りな音が響いた。
「ぐっ……」
( ――――― 造られた? 誰に? 何の為に? 代わりに? 俺が死んだ、後に!)
 それはどう言う意味だ?
 ルークが死ぬことはわかっていた?
 決まっていた?
 アクゼリュスが崩落することも?
 それがわかっていながら、叔父上はルークを送り出した?
 幾つもの疑問が渦巻いて、生まれた苛立ちと激昂はまるで決められたことのように眼の前の男に向う。
 同族嫌悪、とでも言うのだろうか。
 ただ、目の前の男の存在が許せない。
 それだけは、彼が何者かを知る前から………始めてあった時から変わらない事実だ。
「クソッ……!!」
 模造品になどに、負けるはずがない。負けるはずが、ない。
 耳障りな音を立てて鬩ぎ合う剣を一度引いて、打ち込む。
 型通りの美しい流れは、けれど最後まで続かなかった。脇腹にぶち込まれた衝撃に、膝を折る。
「ぐッ…………て、めえッ……!」
「バーカ、剣の試合でもやってるつもりかよ? 実戦なら譜術でも弓でも何でもありだぜ?」
 男が笑う音が聞こえた。
 男の剣先は常に視界の端にあった。どんな動きをされても捌く自信があった。
(おれは、あの人の、師匠せんせいの弟子なんだっ………)
 けれどルークを襲ったのは鈍く光る剣先ではなく、死角から叩き込まれた右足だった。
 一見防戦一方に見えていたが、どう手を出せばいいか迷って為らしい。
 動き出したアッシュのそれは、激情に駆られたルークの直線的なそれとは違う、実戦的で機知に富んだものだった。
 脇腹を押さえながらも転がるようにして離れたルークが、譜術の詠唱を開始し、その周りに水を司る第4音素が集まり始める。
 察したアッシュも同様に剣を捧げ持ち、第5音素を集め始めた。
「………氷の刃よ、降り注げ、アイシクルレイン!」
「全てを灰塵と化せ、エクスプロード!」
 氷の刃がアッシュを襲う。けれどそれは彼の呼んだ業火によって溶け消え、蒸発した。
 詠唱が終わると同時に走り出していたアッシュは、その白い蒸気に紛れてルークに肉薄していた。
 そうしてルークがそれに気付いた時は、既に。
 彼の剣の柄が、鳩尾に捻じ込まれていたのだった。
「ぐっ…………」
「………っ、ルーク!」
 ぐったりと力の抜けたルークの身体をアッシュが抱き止める。
 ナタリアが我に返って駆け寄ってきた。
 ティアも走り寄ってきて、二人の身体を確かめる。双方共に目立つ外傷はなかったが、アッシュの胸元が避けて、そこから覗く肌に僅かに赤いものが付着しているのが見えた。
「……っ……!」
「え……」
 治癒術をかける為、傷口を確かめようとしたのだが。
 アッシュは何故か腕を跳ね上げ、過剰とも言える反応でそれを拒んだ。
 しまった、と言う様に表情が歪む。
 それに驚いたのはティアだけではなかった。
 今まで平然とした風を保ち続けていたジェイドが、顔色を変えて駆け寄り、有無を言わせぬ勢いでその腕をどけさせる。
 ルークを抱えていた所為でロクな抵抗が出来ず、肌蹴させられた布の合間から覗いたのは、ティアが予想していたような刀傷ではなく ――――― 血にも似た赤い色で描かれた、複雑な譜陣だった。
 本来あるはずのない、音素フォニムを操る力を上昇させる為に、ジェイドが自身の目に刻んでいるのと同種のものだった。
「…………自分で、入れたのですか」
「………師匠せんせいに ――――― 入れてもらった。俺は譜術に関する才能が劣化してたから、それ補う為に」
 低い声に、言い訳は聞かないと知ってかアッシュが苦笑交じりに返す。
 入れてもらったというが、入れられた、が正しいのだろう。それを察したティアの顔が蒼白になる。
 ――――― これは一生消えない、傷跡だ。
「…………これで納得が行きましたよ。体術に関しては経験や技術で補えるでしょうが、譜術に関してはそうは行きませんからね」
 そう言ってジェイドは溜息にも似た息を落とした。
 髪や目の色が若干薄く明るいことを覗けば、彼には目立った劣化がなかった。
 譜陣で力を底上げしていたと言うのなら、納得もいく。
「………納得したんなら放せよ、おら。男ひん剥いて何が楽しいんだっつーの」
 ぱしっと小さく音を立てて、アッシュがジェイドの手を払う。
 辺りには何とも言えない重く、居心地の悪い空気が漂う。
「…………話し合いになりそうな雰囲気じゃないね」
 それを破ったのはシンクだった。
「シンク………」
 困ったような表情を浮かべて、イオンがシンクの袖を引く。
「少し時間を置こう。全員疲れてるだろうし、気持ちの整理もつけたいだろうしね。住民の受入れは僕達で頼んでおくよ、それでいいね?」
 それを無視して告げたシンクに、反論の声を上げる者はいなかった。

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 外伝のシンクの胸の譜陣の話から、
 人様のを見る分にはいいのですが、自分で書くなら無敵キャラよりリスクを背負う方が好みだったりします。
2010.04.04

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