意識を取り戻して、最初に見たのは淀んだ紫色の空だった。
 頭がズキズキと痛んで、意識が朦朧とする。身体が鉛でも詰め込まれたように、重い。
 アクゼリュスに充満していたような胸の悪くなるような空気に浅い息を吐いて、のろのろと重い身体を起こしたルークはそこに仲間達の姿と、幾人もの兵士の姿と ――――― 朱い髪の男の姿を見た。
「………ッ、テメェがなんで、ここにっ………」
 掠れた様な声に応えたのは、彼ではなかった。
「おや、ようやくお目覚めみたいだね、お坊ちゃん」
 皮肉と侮蔑の棘を塗した酷薄な声。人の輪の中から小柄な、金の仮面で顔を隠した少年が歩み出てくる。
「烈風のシンク……!」
 驚愕の声を上げ、腰の剣に手を伸ばそうとして、ルークは其処でようやく誰も………ルーク以外の誰も武器を手にする気配が無く、何とも言えない表情でこちらを見ていること、そしてその中に幼馴染兼使用人の男の姿が無いことに気づいた。
「………何が、どうなっている……? ここは……ガイは…………そうだ、師匠せんせいはッ……」
 途端、押し寄せてきた鈍痛に頭を抱える。
『…………ルーク………お前の超振動でアクゼリュスを救うのだ。お前ならできる………』
 師匠が、穏やかな笑みを浮かべて手を差し伸べている ――――― ズキンズキンと顳が脈動する。
『 ――――― さぁ、今こそ……その力を解放するのだ!』
『………悪いな、ルーク坊ちゃん』
 師匠が見たことも無いような顔で嗤っていた。
 見たことも無いような冷たい目をしたガイが居た。
(……………一体、何が起こった? 何をした?)
「お………俺は、師匠せんせいに言われた通り、瘴気を消そうとして…………」
「………貴方は兄に騙されたのよ」
 ティアの、酷く沈んだ声が聞こえる。
「バカな! そんな、そんなはずがあるかッ!!」
「いいえ………すみません、僕が封呪を解いたりしなければ…………」
「やらなきゃアンタが殺されてたよ。ま、100%悪くないとは言わないけどね。間に合わなかった僕らにも責任はあるし……………第一、本当に悪いのはヴァンだろ」
 音叉を模した杖を強く握り締め、青褪めた顔で俯くイオンにシンクが肩を竦めて見せる。
師匠せんせいを悪く言うな!」
「…………この状況を見て、アンタはまだそんな事が言えるの!!」
(え…………)
 反射的に上げた声にシンクの痛烈な声が跳ね返って、ルークはハッとしたように辺りを見回した。
 其処はタルタロスの甲板だった。
 重く立ち込める紫色の雲に覆われた空の下、淀んだ紫色の海に、タルタロスと幾つもの瓦礫や建物の破片、大地の欠片とも言うべきものが浮かんでいる。
「ここは…………一体………」
 甲板ではマルクト軍と神託の盾オラクルの兵士達が入り混じって忙しく動いてはいたけれど。
 瓦礫や大地の上には動くものはなく、この船だけを残して世界が滅びてしまったかのようだと思った。
 否 ――――― 実際に滅びたのだ、アクゼリュスは。
「…………パッセージリングが消えて、アクゼリュスは消滅した………私達は崩落したの。生きているのは、ここにいる人たちだけよ」
 僅かな震えを帯びたティアの声が、響いた。
 誰も口を開かない。ナタリアとイオンは痛まし気に視線を落として俯いている。
 赤い髪の男の表情は仮面に隠れて見えない。ジェイドはこちらに背を向けたままだ。
 シンクの、アニスの、兵士達の、向ける敵意にも似た視線に、悟る。
「………………俺が、やったんだな」
 足元が崩れ落ちていくような感覚がした。
 ――――― 既に何もかも崩れ落ちてしまった後だったけれど。


 ここは魔界とよばれる瘴気に覆われた大地 ――――― 本来の、大地。
 二千年前、この世界は原因不明の瘴気に包まれ、人類は滅びへの道を歩み始めた。
 混乱の最中、ローレライ教団の始祖ユリアは七つの預言スコアを詠み、滅亡から逃れる術を見出した。
 音機関によってセフィロトを制御し、外郭そのものを浮上させて瘴気から逃れたのだ。
 そうして生まれた空中大地が、魔界では外郭大地と呼ばれる ――――― 今の大地。
 二千年が経った今、そのことを知る者はローレライ教団の詠師以上と、そして魔界の………魔界にある唯一の街、監視者の街ユリアシティの出身者だけとなっている。
 それもそのはず、自分達の住む大地が宙に浮いていて、足元に何もないのだと言うことがわかれば人々は恐慌状態に陥りかねない。
 イオンとティアは、最初からそのことを知っていた。
 ローレライ教団の最高指導者であるイオンはともかく、段位で言えば響長でしかないティアがそれを知ると言うことは、即ち彼女が魔界の………ユリアシティの出身だと言うことを示している。
 ならばその幼馴染だと言うアッシュも、彼女の兄であるヴァンもまた然り、だ。
 それが何を示すのか、今のルークにはわからなかった。
 ………………わかっているのは、自分が利用されていたのだと言うこと。
 この手で、アクゼリュスの数千の人間を死に追いやってしまったということだけだった。
『…………せめて、事前に相談していただきたかったものですね』
 眼鏡の薄い硝子の向こうで赤い瞳が冷たくルークを一瞥して、離れていった。
 アクゼリュスに居た人間で生き残ったのは、ティアの譜課によって守られたルーク達と、タルタロスに居たシンク達…………彼らが収容した数百人余りの住民と兵士達だけだった。
『……………あのっ……』
『………行きましょう、イオン様っ』
 何か言いかけたイオンの手を引いて、アニスが去っていく。
 タルタロスはシンクが万が一の時の為ディストの元からくすねてきた増幅装置で譜術障壁の威力を増幅させ、神託の盾オラクルの兵士達の中に紛れ込ませていた数人の音律士クルーナーの譜歌を重ねることによって事なきを得たと言う。
『…………行くよ』
 シンクがアッシュを促して、艦内に入っていく。戸惑う素振りを見せながらもティアも、その後を追った。
 ――――― 驚くべきはその乗員。
 神託の盾オラクルの兵はアッシュとシンクが潜り込ませておいた第六師団員………特務師団の兵はヴァンの子飼ばかりで信用できないとカンタビレに借り受けたのだと言う………マルクト軍の兵士はタルタロスが六神将に奪われた際に皆殺しにされたと思われていたジェイドの部下の一部だった。
『……………ルーク………』
 困惑と混乱と、悔恨だろうか。或いは憐憫か。
 名前を呼んで、けれどそれ以上何を言えばいいかわからぬといった様子でナタリアは言葉を切った。
 ――――― アッシュとシンクは初めから、ヴァンを失脚させる為に動いていたのだと言う。
 タルタロスを襲う計画を聞かされた際、それを好機と見た彼らは自分達の担当していた右舷側の兵士を全て………マルクト兵も神託の盾オラクルも分け隔てなく………昏倒させ、タルタロスの倉庫に放り込んだ。
 その後リグレット達の隙を見て彼らの説得に当たり………神託の盾オラクル兵達に関してはまだ拘束してある………証言の約束を取り付けた。
 曰く、神託の盾オラクル総長ヴァン・グランツが導師イオンを拘束し、独断でマルクト軍に敵対行動を取っていることを証言して欲しい、と。
 当時はまだ、彼がここまでのことをするつもりだと言うことはわかっておらず。
 動向を探る為にも逆らうわけには行かず。
 結果としてたくさんの兵士を死なせてしまったことを詫び、全てが終わった暁には自身も処分を受けると膝をついたアッシュに、彼らは一時的な協力と言う形でそれを受け入れたのだと言う。
 そうして彼らはヴァン師匠の計画を止めるべく、アクゼリュスに向かい………崩落に巻き込まれた。
 住民の避難作業中、犠牲になったものも居た。助かった住民は極一部だった。
『………………』
 ユリアシティに着くまでの道中、ナタリアはずっと、黙ってルークの隣に座っていた。

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 久し振りのストック更新です(笑。
 現在最終巻ざくざく執筆中です。長かったような、あれ、書き始めてから半年しか経ってない……(笑。

2010.01.28

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