ティアの本来の任務は創生暦の時代より行方知れずとなっている第七譜石の探索だ。
 ローレライ教団の始祖ユリア・ジュエの詠んだ預言スコアのうち、世界の未来史が描かれた長大な七つの譜石は、さまざまな影響で破壊され世界のあちこちに散った。
 今ではそのうち第六譜石までが教団の手で保護されているが、第七譜石だけは未だにその行方が知れない。
 ユリア自らが隠したと言う説もあり、様々な勢力が手に入れんと二千年の昔から捜索を続けている。
 瘴気の渦巻くアクゼリュスに到着してすぐ、それらしき物を発見したので確認して欲しいと誘い出されたティアは、気がつくと十名余りの神託の盾オラクルの兵士に囲まれてしまっていた。
「………ここは危険です。私達と共に来ていただきます」
 言葉こそ丁寧だったが手には武器を携え、抵抗すれば実力でと言わんばかりの様子だ。
 ――――― ではここで、何かが起こるのだ。
 それがとても恐ろしいことで、そして兄に関係があることなのだと直感する。
(何とか切り抜けて、大佐に伝えなくては…………)
 ぐっと杖を握る手に力を込めて、囲みの手薄な場所を探して辺りを睥睨したティアの頭上が陰る。
 何事かと頭上を振り仰いだ男達とティアの間に、赤い影が落ちた。
 ザッと土を踏み締めて立ち上がった男の背は、長く伸ばした朱い髪に覆われていて。
 仮面に覆われたその顔を確かめずとも、それが誰なのかはすぐに知れた。
「………ルー………」
「アッシュ響士! ではタルタ…………」
 みなまで言わぬうち、男は彼が振り抜いた太刀の背に薙ぎ飛ばされていた。
 彼を乗せていたらしいグリフィンが舞うのを視線で追ったティアは、その先に砂煙を上げながら近づいてくるタルタロスの姿を見る。
「な、何をなさるのですか!! 総長はあなたに………」
「………悪いけど、師匠せんせいの計画は俺が止める」
 予想外の出来事に焦る男を剣の柄で殴り倒し、彼はそう言って痛みを堪えるように口を引き結んだ。
 ――――― その横顔に、記憶にあるのと同じ、我侭な癖に優しくて、強がりの癖に気弱な子供の面影を見出して、安堵にも似た深い息が漏れる。
 姿形も、立場も、何もかも変わってしまったけれど…………彼は変わっていない、そう思えたから。
「アッシュ!」
 彼が兵士達を片付けている間に近づいてきたタルタロスが彼らのすぐ間近に停泊する。
 開いたハッチから烈風のシンクと妖獣のアリエッタが顔を覗かせて、思わず身構えかけたティアだったが、その背後からマルクト軍と神託の盾オラクルの混合部隊が雪崩出てきたのを眼にして困惑の表情を浮かべた。
「………い、一体、何がどうなって………」
「話は後だ。師匠せんせいと、お前の仲間達は?」
 強い口調で問われ、ティアはおずおずと自分達がアクゼリュスに着いた時ヴァンを含んだ先遣隊は既に坑道に入ってしまっていたこと、ティア以外の仲間達は彼らと合流すべくそちらに向かったことを告げる。
 途端、彼は眉を顰めて自身の掌に拳を叩き付けた。
「………くそ、後手に回ったか! ………シンク、こっちは頼むぞ。俺は師匠せんせいを追う」
「了解。さ、時間がないんだからさっさと行くよ!」
 シンクはアリエッタや混成部隊を率いて街の方へと向かっていく。
「危険だからティアはシンク達と一緒に住民の退避を手伝ってくれ。事情は後で………」
「いやよ! 私も行くわ!」
 ティアは咄嗟に走り出そうとする男の腕を掴んでいた。
「………兄さんが何か、しようとしてるんでしょう? 兄さんのことだから私が、止めなきゃいけないの」
 真っ直ぐに相手を見やり、強い決意を持って告げる。
 彼は一瞬逡巡して、だがすぐに仕方ないと息を吐いた。
 彼女が真面目すぎるほど真面目で、強情なのはよく知っている。
 ――――― 彼女にはここに残って欲しかったが、今は問答している時間が惜しい。
「はぐれるなよ!」
 それだけを言い放ち、走り出す。すぐ後ろから、彼女が追いかけてくる気配がした。


 駆け込んできた彼とティアに最初に気付いたのはアニスだった。
「鮮血のアッシュ! 何でティアといるのぉ!?」
 アニス、ガイ、ナタリアの3人は坑道内に残っていた坑夫達の救援活動の真っ最中だった。
 探していた相手の姿が無いことに嫌な予感を感じながら、アッシュはアニスに詰め寄る。
「それより大佐殿とアイツ………ルークは!?」
「た、大佐は上で騒ぎがあったみたいで呼ばれて………ルーク様は……あれ!? イオン様も居ないし!」
 アッシュの剣幕に押されて答えたアニスが、守るべき主の不在に気付いて声を上げる。
「………クソ、最悪だ!」
「……………こちらも最悪の事態ですよ。先遣隊が殺されていました………と、あなたは………」
 声に振り向いたアッシュに、ジェイドは言葉を切った。
 どうやらルークだと思い込んでいたらしい。
 陽の下でみるとアッシュの方が幾らか明るい朱なのだが、暗い坑道で見ると同じように長く髪を伸ばした後姿は瓜二つで、見間違えるのも無理からぬことだった。
「………とにかくあいつらを探す。お前らも手伝え! さっさとしねーと皆死んじまうぞ!!」
 苛立ったような声を上げて走り出したアッシュを追って、ティアもまた走り出す。
「ちょ、待ちなさいよ! どう言うことなのか説明しなさいよっ!!」
 何がなんだかわからないまま、けれど吐き出された単語の不吉さに押されるようにアニスもそれを追って走り出した。ジェイドも、ナタリアもガイも慌ててそれに続く。
「………兄は………兄さんは、アクゼリュスを消滅させようとしてるのよっ!」
 震える声で、泣きそうな声で叫んだティアの声が、暗い坑道に広がって反響する。
 仮面をつけたアッシュ以外の誰もが、驚愕の表情を浮かべて息を飲んで。
「それは………そのようなことが出来るはずが………」
「…………出来る。ルークの超振動を使えば、出来るんだ」
 まさかと呟いてナタリアが頭を振るのにアッシュが硬い声で答える。
 到底信じられる内容ではない。
 だが笑い飛ばすにはそれは余りに真剣な声で、暗い坑道と充満する瘴気が不安を煽って、嫌な予感は増す一方だ。
「ここはセフィロトだから、パッセージリングが………! 封呪が……クソ、やっぱイオンも一緒か!」
 何かを言いかけて立ち止まった彼が、坑道の脇にあった横穴に駆け寄り、吐き出すように呟く。
「イオン様もって、どういうこと!?」
 慌てて駆け寄ったアニスは、彼が覗き込む先に坑道とは明らかに違う空間が広がっているのを見た。
「…………っ……これ……何……?」
 それは見たことも無い造りの、神殿の一部の様にも見えた。
 美しい硝子細工を思わせる不思議な質感の壁でちらちらと淡い光が踊っていて、何とも言えない静謐な空気が漂っている。
 螺旋状の下り坂が遥か下方まで続いていて、随分と深度がありそうだった。
「………パッセージリングはダアト式封呪で護られてたんだ。だからイオンの力が…………!?」
 ぐらっと大きく足元が揺れた。男が言葉を切る。次の瞬間、彼は顔を顰めて駆け出していた。
「………………駄目だ……ルーク、師匠せんせいの言うことを聞いちゃ駄目だっ!!」
「あ、ちょっ…………もぅ、待ちなさいよッ!!」
 嫌な予感に急かされて、彼の後を追って不可思議な空間に足を踏み入れる。
 坑道と違って空気が澄んで、少しだけ呼吸が楽になったけど。
 でも押し寄せる不安と圧迫感の様なものが胸を塞いで、ひたすら走ってきたこともあって息は上がりっぱなしだ。
 一瞬何か言いた気な様子をした大佐も、けれど急がなくてはならないことを察したらしく黙ったままで、焦燥を煽るような荒い呼吸音だけが辺りに響いている。
 どれだけ走ったのか、足が縺れそうになってよろめいた瞬間…………光が、視界を焼いた。
(え…………)
 螺旋状になった坂の下から、その中央を劈くように真っ直ぐに、白い光が頭上に伸びる。
 同時に眼下にあった巨大な黄金の音叉の様なものが光を失い、轟音を伴い崩れ落ちてゆく。
 アニスは少し離れた壁際に守るべき主が倒れているのを見た。
 音叉の足元にはルークが ――――― その傍らにはそんな二人がまるで見えていないように悠然と、神託の盾オラクル騎士団総長ヴァン・グランツが佇んでいる。
「畜生、間に合わなかったか!」
 アッシュが叫んで、最後の幾重か飛び降りる。
 アニスは直感に従ってトクナガを巨大化させてその背に飛び乗るとガイやジェイドと共にそれを追った。
「……………師匠せんせいッ!!」
「………アッシュ! 何故ここにいる、お前にはティアを連れて退避しろと命令したはずだぞ!」
 飛び降りてきたアッシュを眼にして、それまで喜悦に満ちていた男の眼に驚きの色が浮かんだ。
 続いて現れたアニス達に眉を顰めて頭上を伺う。
「…………ティアも、一緒です。俺は師匠せんせいを、止めたくてッ……」
 けれど、叶わなかった。
 それ以上言葉が出てこない様子でアッシュは黙り込んだ。
 音叉が崩れ落ちたときからずっと続いている振動が徐々に酷くなって、頭から幾つも岩の塊が落ちてくる。
 どうやら先程の光で坑道から空まで貫く穴が開いたらしい。
 落盤を避けながらアニスはイオンに駆け寄ろうとしたが、それより早く駆け寄ったガイがぐったりと力を無くした導師の身体を抱き上げた。
 大丈夫、と言う様に笑う彼にほっと安堵の息を吐く。
「…………頃合だな」
 呟いたヴァンが指笛を吹くと空へと続く大穴からグリフィンが二頭、飛び込んできて。
 彼は慣れた様子でそのうちの一頭の背に飛び乗った。
「……兄さん! やっぱり裏切ったのね!」
 遅れて駆けつけてきたティアの、悲痛な声が響いた。
「この外郭大地を存続させるって言っていたじゃない! これじゃあ皆死んでしまうわ!」
「…………メシュティアリカ」
 ヴァンは泣きそうな声で叫んだティアに、そう呼びかけた。
 今にも崩壊しそうな坑道の中、聞き覚えの無い、音楽的な響きを持つ音は不思議と柔らかく響いた。
「……お前にもいずれわかるはずだ。この世の仕組みの愚かさと醜さが。それを見届けるためにも、お前にだけは生きていて欲しい、お前には譜歌がある。それを使え」
 怒りと驚愕と、恐怖と、悔恨と。
 たくさんのものが入り混じって何とも言えない表情でティアは杖を握り締め、血の繋がった兄を睨む。
 ヴァンはそのティアから、唇を噛んで立ち尽くすアッシュへと視線を移した。
「お前には今暫く自由をやろう。何れ迎えに行く………ガイラルディア様、お早く!」
 鷹揚に、まるで決まったことであるかのようにそう言って、彼はこれまた聞き慣れない名前を呼んだ。
 それに応えるよう動いたのは、ガイだった。
 足元の揺れは一層酷くなってアニスは立っているのもやっとだと言うのに、彼はイオンを抱いたまま、器用に落盤を避けながらヴァンの下へと向かっていく。
 何が起こってるのかわからなくて、アニスは呆然と彼を見つめていた。
「…………ガ、イ……?」
 その時、意識を失っているのかと思っていたルークが掠れた声を上げた。
「………悪いな、ルーク坊ちゃん。こう言うことだ」
「っ………」
 いつも通りの柔らかなそれでガイが笑う ――――― でも眼は全然笑ってなくて、酷く、冷たい。
 ルークの表情が驚愕と絶望に歪んだ。
 駆け寄ったナタリアがその上体を支え、ガイに強い視線を向ける。
「…………ガイ! これは一体どういうことですの!?」
「ガイラルディア! お前、それでいいのかよ!」
 詰め寄るようなナタリアの声にアッシュの声が続いて、ガイは弾かれたように二人を見た。
「………師匠せんせいと行くってことがどういうことか、わかってるだろ! お前それで、いいのかよ!」
 立ち尽くしていたアッシュが、必死の様子でガイに駆け寄って行く。
「ペールもエリーさんも、皆死ぬんだぞ………お前を守ってくれた人達も皆、死んじまうんだぞ!! お前それで満足なのかよ! 違うだろ………ガイはそんな奴じゃねーだろ!!」
 搾り出すような、懇願するようなそれにガイの視線が揺れる。
 その隙を、ジェイドは逃がさなかった。
「………狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」
 秘かに行っていた詠唱を完成させ、ガイの足元を掬う。
 何がなんだかわからなくて、頭の中はぐちゃぐちゃで、でもイオン様を連れて行かせちゃいけないというのはわかって。アニスはトクナガを駆って彼に突っ込んだ。
 振り上げられたトクナガの腕を避け損ねてバランスを崩したガイの腕からイオンが投げ出されるのを駆け寄ったアッシュが受け止めて、泣きそうな………仮面で隠れてよく見えなかったけど………顔でガイを見る。
 それにちらりと視線を向けて、だがガイはそれ以上何も言わずもう一頭のグリフィンの背に飛び乗った。
「…………っ、みんな、私の周りに!」
 叫ぶように言ったティアが俯いて譜歌を紡ぎ始める。
 倒壊していく坑道の中、アニスはイオンを抱えたアッシュを庇いながらそちらへと走った。
 呆然と床に蹲ったまま動けないアッシュを、ナタリアとジェイドが引き摺ってくる。
 譜歌が完成し、静かに広がった光の輪が彼女の周りを取り囲み ――――― 同時に、足元が崩れた。
「きゃああぁっ!」

 あとは真っ白に埋め尽くされて、何にも覚えてない。

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 エリーさんは外伝小説で子供の頃のガイの面倒を見てくれていたお姉さんの名前です(笑
 さりげにガイ様、六神将ルートにも入ったりするわけです。
 や、だってガイはルークにほだされて(笑)復讐をやめた人ですから、当初からルークがオリジナルのままならこの展開しかないと思っていたのです。

2009.12.18

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