「………イッテエェェェ!!」 タルタロスの廊下を歩いていたシンクは、室内から響いてきた奇声に呆れたような息を吐いた。 「うるさいよ! 外までダダ漏れじゃないか!!」 声の発生源は間違いなく自分が目指していた部屋だ。扉を蹴り開けて、怒鳴りつける。 室内には自身と色違いの仮面をつけた男が一人、長い朱い髪を掻き毟る様に頭を抱えて蹲っていた。 この男の偏頭痛持ちは有名だから………本当はそんな生易しいものではないのだが………例え聞き咎めたとしても誰もそれ程疑問に思わないのが救いだが、この大事な時期に不審な行動はやめて欲しい。 「イテェもんはイテェんだよ! ディストの奴、こんなに痛ェなんて言ってなかったぞ!」 「僕に言わないでよ! 僕は研究者でも同位体でもないんだから知らないよ!!」 八つ当たり気味に食いかかられて、相手以上の音量で怒鳴り返してやると、頭痛に耐え切れなくなったのか、男は本格的に頭を抱えて硬いベッドに突っ伏してしまった。 「………その様子だと、ダメみたいだね」 嘆息しつつ問えば、彼は億劫そうに上半身を持ち上げ、こめかみを揉むような仕草をしながら頭を振る。 「や、集中すれば覗ける。かなりクるけど。さっき………ケセドニアに居るのが見えた」 何かを考え込むように視線を落とし、がしがしと頭を掻く。 「でもこっちの声は全然届かねーでやんの。やっぱこーゆーの関しちゃあっちが上みてーだな」 アリエッタとディストに協力させて やがて顔を上げ、事も無気に言い放った男にシンクは苛立ちを含んだ視線を向けた。 それは自分達にとって、一番向けられたくない言葉であるはずなのに、彼は時々何でもないことのようにそれを口にする。 「………それより、ヒゲが来てるよ。甲板に集合だってさ」 「ヒゲってお前………」 呆れたように呟く男を放置して、シンクは踵を返した。 「あ、おい、ちょっと待てよ!!」 慌てて追いかけてくる足音が聞こえたが立ち止まってなどやらない。 「………リグレットが先走ったらしいよ。彼女を迎えに行ったって」 男が隣に並ぶのを見計らい、シンクは聞こえるか聞こえないかの極々小さな声で告げた。 途端、気怠るそうだった男の顔付きが変わる。 「予定を繰り上げて僕はダアトに戻る。ディストのとこから色々くすねておきたいし、アリエッタ達も回収してこないとね。………ラルゴは任せたよ」 「…………わかった」 すっと背を正して甲板に足を踏み出した男の背で、朱い髪が風に煽られ獅子の鬣のように揺れた。 (………そう言う真面目な顔してればカッコ良くないこともないのに) そう思ったが、言うとまた五月蝿そうなので黙っておくことにして、シンクは無言でその後を追った。 視線の先には二人の男。二人とも見上げる程に大きいが、顔も身体も岩山のように厳ついラルゴに対して、もう一人はすらりとして均整の取れた身体つきだ。 ラルゴに並ぶと小さくさえ見えるのに、けれど発する空気は余程物騒で、存在感がある。 ――――― シンク達がこれから敵に回そうとしている男、だ。 「………計画は予定通り進んでいるようだな」 ヴァンは歩み寄ってきた朱い髪の青年にそう言って、笑みを向けた。 「………今のところは。タルタロスは制圧、我々の指揮下にあります。シュレーの丘とザオ遺跡のダアト式封呪は解かせました。導師イオンは親善大使一行と共にアクゼリュスに向かっています」 「……………ところで、だ」 一礼した青年に満足気に頷くと、男はゆっくりと彼に向き直る。 「………何故あのような真似をした? アリエッタはお前の指示だと言ったが」 決して強い口調ではない、けれど有無を言わせぬ圧力を持ったそれに痛いような緊迫感が走った。 「…………消える前に、一度 兵達が緊張の面持ちで自分を見つめているのを知りながら抑えた声で返せば。 その答えに満足したのか、仕方のない奴だと言う様に笑って彼はくしゃりと青年の頭を撫でた。 ――――― 大きくて優しい手は、昔と変わらない。変わらないから、苦しくなる。 「………… 唐突に懐かしい名前を呼ばれて、アッシュはハッとしたように顔を上げた。 「………わざわざ 顔の上半分を覆う銀の仮面を指して問えば、男が鷹揚な仕草で頷く。 「リグレットが足止めに向かったが、あれは止まらぬだろう。あれは生真面目な娘だからな」 だがお前なら。そう言ってヴァンが低く笑うのを、今は鮮血のアッシュと呼ばれる、嘗てルークだった青年は、黙って見つめていた。 (さて、どうやってラルゴを降ろすかなー………) 行動を起こす為にはまずラルゴを排除しなくてはならない………のだが。 生憎、他の一般兵と違いラルゴには気絶させてどこかに閉じ込めるという手が使えない。 そんなことをしたって意識が戻った途端ライガよろしく隔壁を引き裂いて出てくるに決まっているからだ。 (………武器を取り上げても無駄だろうし…………) 「お前と総長の妹は幼馴染だそうだな………」 手摺に上体を投げ出すように預け、青空に溶け入っていく師匠を乗せたグリフィンの影を見送りながらそんなことを考えていたアッシュは、突然かけられた声に心臓が飛び出そうな思いを味わった。 「っ、ラ、ラルゴ………」 見上げた先の、鬼瓦の様な厳つい顔には確かに案じるような色が浮かんでいて、僅かな罪悪感を感じる。 ラルゴは顔は恐ろし気だが、優しい男だ。真面目で実直で、面倒見が良くて部下の評判もいい。 アッシュにとって剣の師匠はヴァンだが、戦場で実戦を教えてくれたのは彼だった。 ――――― だから、殺したくない。 否、そうでなくてもアッシュは人を殺すのが苦手だった。 どれだけ経っても、どれだけ殺しても、どれだけ血に塗れても、アッシュは人を殺すのが苦手だった。 「………ま、ね。一緒に居たのは二年足らずだったけど」 溜息の様に返し、身体を返して今度は背中を手摺に預けて空を仰ぐ。 空は高くて、青い。幼い頃、彼女と見ていたそれとは違って。 (………二年、か) ――――― たった、二年。 けれどそれはアッシュの短い人生においては何物にも代え難い二年だった。 あの二年が無ければ、きっと自分は何の疑問も抱かず、師匠の人形として生きていただろうと思う。 人を殺すことも、力を揮うことも、怪我をしたらみんな同じように痛いんだってことも、命が一度きりの、限りあるものだってこともちゃんと知らないままだった。 ルークの器をを作ったのは師匠だったけど、ルークの中身を形作ったのは間違いなく彼女だった。 だから、 ――――― 師匠を、そして彼女を止めるために。 「…………シンクは怒るんだろうなー」 「………ん? なん……!?」 あまりに小さな声だったから、何を言われたかわからなかったのだろう。 訝し気な表情を浮かべたラルゴの足元で素早く体を落とし、ルークは全力でその足元を払った。 あの人形使いの少女だって大丈夫だったのだ、相手はラルゴだ、死にゃあしない。 心の中でそんな言い訳をして、バランスを崩して浮いた身体に手加減無しの烈破掌を叩き込む………100キロを軽く越す巨体を吹き飛ばそうと思ったら全力でも足りないぐらいだ。 「なっ………」 一連の衝撃を受け止めきれず、男の背後にあった金属製の細い手摺は拉げ折れ、彼は驚愕の表情を浮かべたまま宙に投げ出された。 ちゃんと止めを刺しておかないと後で苦労しても知らないよ、なんて皮肉めいた少年の声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにしておく。 「………ごめんなー!」 小さくなっていくラルゴに両手を合わせてそんな声をかけて………小さくなりすぎてラルゴがどんな顔をしていたかはわからなかったが、まさか味方だったはずの相手に突き落とされるとは、ましてや落とした本人に謝られるとは思っても居なかったことだろう………ルークはくるりと振り返った。 一部始終を見ていた数人の兵士達が、何が起こったのかわからないといった様子で呆然と立ち竦んでいる。 「…………さてと、始めますか!」 ぱんっと拳を打ち鳴らし。ルークは手近な兵士に躍り掛かった。 |
やっとレプリカ・ルークを書けて、何だかやたらとテンションが高かったことを覚えています……わーい(笑)! しかしテンションの高さが軽くお笑いに向かいがちなのはいかがなものかww |