第一合流ポイントであるセントビナーにアニスの姿はなかったが、ジェイドのかつての上司であるマクガヴァン元元帥の下に彼女からの手紙が残されていたことからその無事が知れた。
 手紙には神託の盾オラクルが町を封鎖しようとしているため、先に第二合流ポイントへ向かうが記されていた………ルークに当てたラブレターも同封されていたのだが、精神の安寧の為、見なかったことにする。
 国境へと向かった彼女を追い、ルーク達もフーブラスを超えカイツールへと向った。
 三日あまりをかけ、ようやく見覚えのある背中に追いついたのは、国境の砦でのことだった。
「証明書も旅券もなくしちゃったんですぅ、通してください、お願いしますぅ〜」
 アニスはちょうど門番と何か話しているところだった。
 いかにも子供っぽく可愛らしく、計算づくの仕草で身をくねらせる。これが小さな店の主か何かだったのなら上手言ったのだろうが、生憎と相手は軍人だ。
「残念ですが、お通しできません」
 きっぱりを断られて肩を落とす仕草にツインテールが揺れて、不機嫌に揺らされる猫の尻尾のようだった。
 彼女はルーク達には気づかず、後ろ髪を引かれる演技をしながら門を離れ……チッと小さく舌を打った。
「………月夜ばかりと思うなよ」
 アニスの常の声しか知らないものなら目を丸くするだろう低く凄みの聞いた声だった。
(やっぱり猫かぶってやがったか………)
「アーニス♪ ルークに聞こえちゃいますよ?」
 楽しそうにジェイドが言い放った途端、彼女はぎょっとしたように顔を上げた。
 視線が絡み、一瞬固まったかと思うと、次の瞬間何かのスイッチでも入ったかの様な見事な変貌振りで甘い表情を作るとルークに飛びついてきた。
「きゃわーん、ルーク様ぁv ご無事で何よりでした〜! 心配してたんですよぅ〜」
 ぶつかってくる勢いによろめきつつもどうにか彼女を受け止め、ルークは低く溜息を吐いた。
「……………女ってこえぇ……」
 一連の動きを見守っていたガイが呟く。
「大変でしたね、アニス」
「ええ。もう少しで心配するところでしたよ」
「ぶー。最初から心配してくださいよぉ〜」
 穏やかなイオンの声に今度は紛れもなく本物の笑みを浮かべたアニスは、けれど続くジェイドの台詞にわざとらしくぷくりと頬を膨らませ、腰に手を当ててみせる。
「ところで大佐。どうやって検問所を超えますか? 私もルークも旅券がありません」
 それを尻目に、ティアは国境の砦に向かうことを決めた当人に視線を向けた。
 この様子ではどうやら自分達ではなくアニスも旅券を持っていないらしい。
 この男に考えがあるのだろうと思っていたのだが………けれど男が答えるより早く、上空から押し潰さんばかりの圧力がかかって、ティアは言葉を切らざるを得なかった。
「ッ……!?」
 ばさりと何か大きなものを振るような音が聞こえて頭上を見上げると、其処にはここら一体を飛び回っている魔物とは明らかに違う、青い翼を持つ巨大な魔物の姿があった。
「…………イオン様っ!!」
「………うわっ!?」
 アニスがイオンを庇う様にその身体を投げ出す、同時に悲鳴の様な声を上げたのはルークだった。
 魔鳥は金属を思わせる光沢のその太い足でルークを掴みあげ、中空へと攫っていく。
「…………この人は、もらって行く、です」
 聞き覚えのある甲高い声が振ってきて、ルークはそれが妖獣のアリエッタのものであると気付いた。
「クソッ、放せッ!!」
 逃れようともがくが魔鳥の握力は凄まじく、腕を動かせる範囲が限られていて剣を抜くことも出来ない。
 下手に手を出せばルークが地面に叩きつけられる、と誰もが動けないで居る。
「どういうつもりだ、アリエッタ! 私はお前にこんな命令を下した覚えはないぞ!!」
 其処に、毅然とした男の声が響き渡った。
「っ……」
 アリエッタが小さく息を飲む気配がする。心なしか魔物にも緊張の色が走った。
「………師匠せんせいっ!!」
 声の方に顔を向けたルークは、其処に師の姿を見出して目を輝かせた。
「ヴァン……!!」
 張り詰めたようなティアの声が上がる。
 けれど流石に現状彼に手を出すことは躊躇われたらしく動かない。
 それを一瞥し、ルークに安心しろと言う様に穏やかな笑みを向けたヴァンは、涼し気な目元をきつくしてアリエッタをねめつけた。
「………誰の許しを得て、こんなことをしている?」
「っ、ごめんな、さい………アッシュに、頼まれて………」
 鋭い声にただでさえ泣いてしまいそうな声がますます細く消え入りそうなものに変わる。
「アッシュだと……!?」
 思いがけない名前を聞いたとでも言うようにヴァンが目を見張り、その隙を突くようにアリエッタのフレスベルグは空高く舞い上がった。
「返して欲しければ、コーラル城へ来い、です!!」
「………っ!!」
 翼が空気を打ち、突風となって一同を襲う。巻き上げられた砂や小石に反射的に目を瞑り………それを開けた時には、既にアリエッタとルークの姿は見えなくなってしまっていた。


 ルークは、意外にもあっさり取り戻すことが出来た。
 六神将の長たるヴァンが居たこと、そしてその場に居たのが死神ディストただ一人だったことが幸いした。
 ディストは一行の姿を見るなり逃げ出してしまったから、戦いにすらならなかったのだ。
 けれどそれ以来、大佐の様子がおかしいとティアは思う。
 正確にはディストをではなく、コーラル城の地下でルークが寝かされていた巨大な音機関を見てからだ。
 嘗てはファブレ家の別荘であったが、マルクトとの関係が悪化したため何世代にも渡って捨て置かれていたと言うその城は一見朽ち果ててはいたが、地下に研究施設の様なものが作られていた。
 ――――― そこでディストはルークに何をしようとしていたのか、あるいはしたのか。
 ティアにはわからなかったが、それ以来、人で遊ぶのが好きで、人を煙に巻くのが得意な男の口数が急に減ったことと、彼が時折ディストから奪った音譜盤フォンディスクを見つめて何やら考え込んでいることは知っている。
 一方のルークはと言えば、助け出されて以来ヴァンにべったりだった。
 兄が好きで仕方がないのが半分、目を放した隙にティアが何かするのでないかと思っているのが半分と言ったところだろう。
 兄に問わねばならぬことがあったのだが、それもままならない。
 タイミングを伺っているうちに数日が経ち、カイツールを、ケセドニアを超えてバチカルに着いてしまった。
(………ルークをお屋敷に送り届けたら、兄さんと話す時間も作れるはず……)
 今度こそ兄の真意を問わなくてはと思いながら、ティアは普段は苦虫を噛み潰したような顔で実際の年齢より幾分上に見えるのに、兄と居る時はどこか無邪気な顔さえ覗かせる青年のことを考えた。
 以前、彼が幼馴染の少年に似ていると思ったことがあったが、それよりも今は自分自身に似ているのではないかと思う ――――― 兄に疑惑を持つ前の、何も知らなかった頃の自分に。
 ティアは兄が大好きだった。二人きりの兄妹だったし、血の繋がった唯一の家族だった。
 それでなくても兄は優しかったし、強くて格好良くて、ティアや彼の憧れだった。
( ――――― でもいつの頃からか、兄さんは変わった………)
 ダアトに言って何年か経ってからだったように思う。
 相変わらずティアには優しかったが、時々祖父の部屋で言い争うような声を聞くようになった。
 彼と手を繋いで息を潜めていると、それに気付いたのだろう、争っていたのが嘘の様な穏やかな笑顔で出てきて「大人の話だから戻っていなさい」と部屋に追い返されてしまったこともあった。
 ――――― やがてその片鱗は、ティアにも姿を見せ始める。
 預言スコアについて語るうちに激昂して、今思えば狂気にも似た色を覗かせてティアの肩を押し掴み、その痛みにティアが脅えるのを見てようやく我に返る………そんなこともあった。
 その頃はまだ、兄は預言スコアに並々ならぬ思いを抱いているのだとしか思わなかった。
 疑惑がはっきりとした不信に変わったのは、つい半年程前のことだ。
 士官候補生としての訓練を終え………兄の反対により士官学校への進学はかなわず、兄の副官のリグレットに直接の指導を受けて………実地訓練の為、ダアトに出向いたティアは一人の女性と逢った。
 第六師団、師団長カンタビレ ――――― 嘗て兄の直属の部下であったと言うその女性に兄が秘かに超振動の実験を行っている事実を突きつけられ、促される形でその現場を垣間見たティアは混乱した。
 ゆっくり考えたいと思ったが人の気配の濃いダアトの宿舎ではそれもままならず、卒業試験前の短い休みを使って故郷に帰った時………誰も居ないはずの自宅の庭で、ティアは聞き覚えのある声を聞いた。
『………アッシュが何かに勘付いているようです』
『……あれは妙なところで潔癖だ。この計画が外殻の住人を消滅させると知れば、大人しくはしていまい』
 リグレット教官と、兄の声だった。
 それがどう言う意味なのか、ティアにはわからなかった。
 ――――― 否、もし言葉通りだとすればそれは恐ろしいことだと言うことだけはわかった。
 言葉の意味を………その真意を問おうと飛び出したティアに、けれど彼は明確な答えを返さなかった。
(だから、私は…………)
「ティア……ティア!!」
 名前を呼ばれて、ティアはハッとしたように顔を上げた。
「もー、ティアってばどうしちゃったの? 大丈夫?」
 心配そうに覗き込んでくるアニスに笑み返し、ティアは緩く頭を振る。
「なんでもないわ。少しホッとして………気が抜けちゃったのかもしれないわね」
 ここはファブレ公爵家の応接室だった。
 インゴベルト六世陛下に親書を届けた一行は議会の間待機を言いつけられ、イオンがルークの屋敷を見てみたいと言ったことを切欠にファブレ公爵邸に移動したのだ。
 ティアは国王の傍らに控えていた大詠師モースにこれまでの経緯を報告に行かなければならなかったのだが、ご子息を巻き込んでしまったことを謝罪したいと時間を貰ってこれに同行し、今に至る。
 ルークの母、王妹シュザンヌはどこか儚気な風体の女性で。
 けれど、ルークが無事に戻ったことと、今回の一件が二国間の和平に一役買ったことからティアの凶行を不問に処すと言ってくれた。
 その上、実の兄と争うことはないと優しい声をかけてくださって、母親の居ないティアは素直な驚きと感動を覚えていた。
「ところで旦那。あの時ディストの奴が落としていった音譜盤フォンディスクの中身はなんだったんだ?」
 メイドが運んできた紅茶を配り終えたガイが問う。
「………同位体の研究データでした。第七音素の意識集合体ローレライ音素フォニム振動数について研究してたようです」
 ジェイドは僅かに躊躇うような間を置いて、口を開いた。
 音素フォニムは一定以上集まると自我を持つと言われている。
 だが初めからあった六つの音素フォニムと違い、他の六つの音素フォニム記憶粒子セルパーティクスが結びつくことで生まれた第七音素セブンスフォニムの集合体に関しては、他の音素フォニム集合体の存在から居るのではないかと推測されているだけに過ぎない。
 同位体は、指紋同様に同じ人はいないと言われる音素フォニム振動数………全ての物質が発している………が同じ存在のことで、自然界には存在しないものだ ――――― どちらも荒唐無稽な話と言える。
「………天才の考えることはわからんね」
 そう言ってガイは肩を竦めた。
「同位体研究は兵器に転用できるので、軍部は注目してますけどねぇ」
「昔研究されてたって言うフォミクリーって技術なら、同位体が作れるんですよね?」
 アニスが小さく首を傾げて、ジェイドは表情を隠すように眼鏡に手をやった。
「………ちょっと違いますね。あれは模造品を作る技術です。それに見た目はそっくりでも、音素フォニム振動数は変わってしまいます。同位体は出来ませんよ」
 ――――― 模造品レプリカ
 小さく呟くような音を漏らしたのは誰だったのか。
 あまりにも小さくて、それを拾うものは誰一人としていなかった。

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 ががーっと一気にショートカット……してしまいました(苦笑。
 いやでもアッシュ(オリジナル・ルーク)のターンばっかりでも困るし!と思い、走り始めました……(笑)。
2009.08.26

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