「……申し訳ありません。僕達は今、とても大事な状況にあるのでジェイドも慎重になっているんです」
 そう言って、緑の髪の少年は頭を下げた。
「そんな! 導師イオン、顔をお上げになってください!」
 慌ててそれを制するティアには構わず、眼鏡の軍人………ジェイドと言うらしい………は、一見当たりの柔らかな、それでいて有無を言わさぬ口調で告げる。
「さ、とりあえずあなた方のお名前と目的から伺いましょうか?」
「………………」
 ここは敵国だ。むざむざと名を名乗って大事になるのは避けたい。
 だが、だからと言って嘘をついてどうなるのか。
「…………第七音素セブンスフォニムの超振動は、キムラスカ・ランバルディア王国王都方向から発生。マルクト両国領土、タタル渓谷付近にて収束しました」
 男は物理的な証拠、とでも言うように細かなデータの記された書類を机に広げた。
「………貴方は第七音素譜術士セブンスフォニマーの素質を持ち、キムラスカの王族の証である赤い髪と緑の瞳を持っている。
………もちろん珍しいとは言え無い組み合わせと言う訳ではありませんから、偶然と言うこともないとは限りませんがね? それにしても少々条件が整いすぎているとは思いませんか?」
 にっこり、と音を立てそうな様子で笑って男は組んだ指先に顎を乗せた………目は全く、笑っていない。
(……ったく、この女と会ってからロクなことがねぇ……)
 ちらりとティアに視線を向けると、内心で小さく毒づいてルークは重い口を開いた。
「…………ルーク・フォン・ファブレ。お前達が誘拐に失敗した公爵子息だ、と言えばわかるか?」
「きゃわ〜っ、公爵子息! すっごーい、大貴族じゃないですかぁ」
 ………何故か横合いから、黄色い声が上がった。
 イオンの傍らに控えていた、軍艦にはあまりに不釣合いのピンクの制服の導師守護役フォンマスターガーディアンだった。
 外見を裏切らぬ高い声がいっそうの高さと甘さを帯びる。
「こんなところでお会いできるなんて感激ですぅ〜……あれ、ってゆーか、なんでこんな田舎街にいたんですかぁ?」
「アーニス、それを今、私が聞いているところですよ」
「あ、ごめんなさーい♪」
 冷たい声に怯むことなく舌を出して見せる辺り肝が据わっている………外見通りの少女ではないのかもしれない。
「さて、アニスのも言いましたが、何故、何の目的でこちらへ?」
「…………」
 どう説明したものか、そもそも信じてもらえるものか。逡巡しているとティアが立ち上がった。
「それは私が説明します」
「……貴女は?」
「私は神託の盾オラクル騎士団モース大詠師旗下、情報部第一小隊所属、ティア・グランツ響長であります」
 カッと踵を鳴らして軍の礼を取る………その名に最初に反応したのは、これまた予想外の人物だった。
「ではあなたが、ヴァンの妹ですか。噂は聞いていましたが、お会いするのは初めてですね」
「えぇ〜! 総長のぉっ!?」 
 微笑んだイオンに、アニスが奇声を上げる。
「ッ…………」
 ティアがおずおずと頷くのを見て、ルークは驚きのあまり息を止めた。
 彼女はルークの視線に気づくと気まずそうに視線を反らした。
 ………彼女がフルネームを名乗らなかった理由がようやくわかった。
 都合の悪いことを隠しているだろうなとは思っていたのだが、これはあまりにも予想外だ。
「テメェが師匠せんせいの妹なら、なんで師匠せんせいを襲った!」
「………個人的な事情よ。貴方達に話す必要はないわ」
「ふざけんな! 俺はそれに巻き込まれたんだぞ!!」
「…………」
 ティアは黙って、それきり俯いてしまった。噛み締めているらしく、形良い唇が僅かに歪んでいる。
「すみません、余計なことを言ったでしょうか………」
 導師イオンがおろおろと二人の間で視線を彷徨わせ、アニスが「イオン様は本当のこと言っただけじゃないですかぁ」とそれを宥める。
「……あなた方があまり親密な関係でない、と言うのはよくわかりました」
 その何とも言えない空気をぶち破ったのは、ジェイドの嫌みったらしい程に落ち着いた声だった。
「説明していただけますね?」
「……はい」
 応えるティアの声も酷く落ち着いて、冷たいものだった。


 自身が兄を打ち果たさんとした理由を除き………彼女はありのままを語った。
 ファブレ公爵家に討ち入ったこと、そこでルークとの間に超振動が起こってしまったこと。
 タタル渓谷へと飛ばされ、地の利がなかったことが災いして逆方向のグランコクマに向かってしまったこと。
 間違いに気づいたものの漆黒の翼の一件でローテルロー橋が落ち、戻るに戻れなくなってしまったため検問所のあるカイツールを目指すことにしたこと。
「……ですから、これはファブレ公爵家によるマルクトへの敵対行動ではありません」
 そう言って彼女は真っ直ぐに背を正した。
「………ファブレ公爵家に押し入って、ただで済むと思っていたのですか?」
 冷ややかとも言える男の声に、けれど彼女は動じない。
「……元より兄を討ち果たした後、おめおめと生き残るつもりはありませんでしたから」
 その声は一切の感情が抜け落ちたかのように平坦で、どこか凛とした居住まいは美しくさえある。
 それだけにただならぬ空恐ろしさを感じて、ルークは知らず息を詰めていた。
「罰を受けても構わなかった、と言う訳ですか………」
 男はそれきり暫く黙っていたが、やがて緩く頭を振るとルークへと向き直った。
「………彼女の事情はこの際あまり関係がありませんから、今は放っておきましょう。処罰を決めるのは私達ではありませんし………」
(……なんてヤローだ……)
 ルークは僅かに眉を顰めて男の言葉を聞いていた。
 尊敬する師を狙われているルークとしては、ましてやそれが師の妹だということを知ってはとても捨て置ける話ではない。
 ヴァンが妹をどう思っているのか、兄弟の居ないルークには想像ができなかったが、特別な思いがあるのだろうと思う…………ただでさえ師匠は、優しい。
(………これであの時、師匠せんせいの動きが鈍かった理由にも合点が行ったな……)
 譜歌の効果は勿論あったのだろうが、ヴァン師匠は神託の盾オラクルの総長を勤める程の人で、剣は勿論譜術にも精通している………あれしきのことで動けなくなるのはおかしいと思っていたのだ。
「それよりどうでしょう? 折角ですからルーク様にご助力いただいては?」
「……何の話だ?」
 突然名を呼ばれ、思考を引き戻されたルークは、飄々と告げる男を睨み付けた。
「昨今、キムラスカとマルクトの間の緊張が高まっていることはご存知ですね?」
 男の言葉に小さく頷いてみせる。
 軟禁状態にあったルークは世情に疎いが、時折訪れる外の人間の口振りから推測できる部分もあった。
「我々は今、マルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の勅命により、戦争を止める為に行動しています。具体的にはローレライ教団の最高指導者である導師イオン様に協力していただいて、和平条約締結を提案する新書を運んでいる最中という訳です」
「……それが本当なら、何故導師イオンは行方不明ということになっている? ヴァン師匠は導師を探す為にダアトに戻られたはずだが」
 胡散臭い笑みを浮かべる男に、ルークは尊大に言い放った。
 おそらくは何らかの齟齬があると言うことなのだろうが、この男が嘘を吐いている可能性もなくはない。
「………それは……ローレライ教団の内部状況が影響しているんです。」
 けれどその疑惑は、すまなそうに溜息を漏らしたイオンの言葉で改めざるを得なかった。
「教団は今、僕を中心とする改革的な導師派と、大詠師モースを中心とする保守的な大詠師派で派閥抗争を繰り返している状況なんです。……モースは戦争が起こるのを望んでいます。ですから僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきたんです」
 宗教団体に関わらず、大きな組織に派閥争いは付き物だ。
 それにしても預言スコアで選ばれた導師に盾突くとはいい度胸だと思わざるをえなかったが。
「導師イオン! それは何かの間違いです。大詠師モースがそのようなことを望んでいるはずがありません。モース様は、預言スコアの成就だけを祈っておられます」
「……ティアさんは大詠師派なんですね〜。ショックですぅ〜」
 ティアが高い声を上げ、アニスがわざとらしく身体をくねらせてイオンの傍らに擦り寄るのを見ながら、ルークは先程ティアがモース旗下の情報部に所属していると言っていたことを思い出していた。
「私は中立よ。ユリアの預言スコアは大切だけど、イオン様の意向も大事だわ!」
 その割には導師への尊敬も恭順も持ち合わせているようだったが。
「……それで?」
 睨み合う教団関係者達を放置して、ルークはジェイドに向き直った。
「我々はキムラスカ王国に向かっています。しかし幾ら和平の使者と言っても我々は敵国の兵士。すんなり国境を越えるのは難しい。ずぐずしていては大詠師派の邪魔が入ります。ですからあなたの力………いえ、地位をお借りしたいのですよ」
(………成る程な)
 ファブレ家は元々王家の血を色濃く引く名家だ……その上現当主の妻、つまりルークの母は王妹に当たる。
 ルーク自身に定められた地位は無いが、血筋としてはこれ程政治に発言権を持つ家は他にない。
「………………わかった。俺の地位でよければ使うがいい」
 少し考えて、ルークは鷹揚に頷いた。
「…………いいのですか?」
 むしろ拍子抜けした、とでも言うように男が赤い瞳を瞬かせる。
 ルークは腕を組んで傲然と顎を反らした。
「陛下と直接話したのは何年も前のことで、あの方が何を思っていらっしゃるかは知らん。だが少なくともナタリアは……ナタリア姫は平和を何より望んでいる。戦争が起これば傷つくのは民だからな」
 民の為に彼女がどれだけ心を、労力を砕いてきたかをルークは良く知っている。
 だが彼女の力になりたいと思っても、軟禁の身であっては出来ることなど高が知れていて、自らの無力を歯痒く思うばかりだった………だからこれはチャンスなのだ。
「その手伝いが出来るんだ。何を躊躇うことがある?」
 ほう、と言う様に男が息を吐く音が聞こえた。
「………おい、こいつは導師イオンに間違いないんだな?」
「……………こいつだなんて失礼よ、間違いなくイオン様だわ」
 黙って成り行きを見守っていたティアに、確認する。
 彼女に確認したのは、少なくとも彼女は眼の前の男とグルではないだろうと判断したからだった。
「………わかった。ならばこの身、お前に………いや、導師イオンにお預けする」
 お前に、と言いかけてやめたのはルークの最後の意地だった。
 この、いかにも腹黒そうな軍人に全てを委ねるのはあまりにも危険に思えたし、癪だった。
「…………賢明な判断ですね」
 どこか楽しそうに笑った男を睨み付け、ルークはふんと鼻を鳴らした。

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 エンゲーブの泥棒事件は諸事情によりなくなってたり。
 本編に組み込もうかと思っていたのですが、時系列の都合で別にしました(汗。

2009.07.23

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