御者に事情が変わったことを話して下ろしてもらった街は、世界最大の食料生産地エンゲーブだった。
 緑豊かな、鳥や家畜の声が賑やかな、鄙びてはいるものの活気のある田舎町にあって、ルークの機嫌はこれまでに増して悪い。
(なんだって俺がこんな………)
 苛立ちのあまり注意が散漫になっていたのか、彼は正面から急ぎ足に近づいてきた小柄な陰に気付かなかった。
「ッ……」
「……あっ」
 肩がぶつかり、よろめいて倒れかけたそれは萌える緑の髪の、この牧歌的風景には些か不釣合いな染み一つない純白の僧服を身に纏った少年だった。
「…………ぁ……」
 少年はこれまた新緑色の大きな目を見開いて驚いたようにルークを見ていたのだが。
 数度瞬くと、ようやく我に返ったのかにこりと微笑んで頭を下げた。
「………すみません、少し急いでいたもので」
「いや………こっちも余所見をしていたからな」
 不機嫌なオーラを隠しもしないルークを恐れるでもなく、少年はもう一度小さく頭を下げるとまた急ぎ足に一際大きな屋敷の方へと歩いて行く。
 ―――――― 何とも奇妙な少年だった。
 浮世離れした、共の一人も連れずに歩いていることの方がおかしいような風情で……どちらかと言えばルークと同じ側の人間の様な印象で、とてもこの街の人間だとは思えない。
 それとも中央の方から派遣されている神官の類なのだろうか。
「今のは……まさか、導師イオン……?」
 ぼんやりと考えていると、ティアがまさかと言った様子で呟くのが聞こえた。
「……何?」
「………遠くからお見かけしたことがあるだけだけど、多分間違いないと思うわ。何でこんな所に……」
 その返答に、ルークは形良い眉を跳ね上げる。
「行方不明という話じゃなかったのか!?」
 ヴァン師匠は彼を探すために帰国すると言っていたはずだ。
 行方不明のはずの導師が何故、拘束される様子もなく一人でこんなところを歩いているのか。
「追うぞ!」
「えっ……!?」
 ルークは咄嗟に駆け出していた。ティアも慌ててその後を追う………彼はちょうど、大きな屋敷の前で足を止めて村人達に取り囲まれているところだった。
 奥に恰幅のいい女と、派手な青の上下に身を包んだ落ち着いた眼鏡の男が居て彼を差し招く。
 地位のある人間なのだろう、独特の雰囲気があって妙に目を引いた。
「……ルーク!」
 そのまま近づこうとするルークを、けれどティアが制した。
「何だ!」
 行動を遮られたことと、名を呼び捨てにされたことで苛立ちを隠せない声が出る。
「……ごめんなさい。ルーク様、と呼ぶわけにも行かないでしょう」
 ここは敵国なのだから、と極々小さな声で告げられてルークは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「奥の眼鏡の男、あの制服はマルクト軍将校のものよ。接触は避けた方がいいわ」
「ッ………」
 彼女の言い分はもっともだった。
 敵国でファブレ公爵家のルークだと知られる訳には行かない。
 ファブレ公爵は優れた武人であり、民衆の人気も高い。
 すなわち、敵国からは怨まれているということになる………実際ルーク自身、一度拉致されたことがあったではないか。
 その上、ルーク達は今、不可抗力とは言え不法侵入者に当たるのだ。
「………導師イオンが何故マルクト軍と一緒にいるのか、私も気になるところだけど………一度離れましょう。どうしても気になるなら、後で私が接触を試みてみるわ」
「…………わかったから放せ!」
 ずるずると引き摺られる様にその場から離れながら告げられて、ルークはいい加減にしろとばかりに掴まれていた腕を振り上げた………途端、予想外の場所から小さな悲鳴が上がった。
「きゃわっ!?」
 振り上げた腕が、ちょうど擦れ違おうとしていた少女の髪を掠めたのだった。
「なにしやが………っと、いえ、ごめんなさーい。ちょっと急いでて」
 一瞬ギッとルークを睨みかけた少女は、けれどすぐにくりっとした目を瞬いて小さく小首を傾げた。
「あ、そーだ。連れを見かけませんでしたかぁ? 緑の髪のー、ぼや〜っとした感じの男の子なんですけどぉ」
「それなら、向こうのお屋敷に入っていくのを見たわ」
 緑の髪は珍しい。イオンのことだとすぐわかって、行く先を告げると。
「ありがとうございました〜!」
 彼女は小さく頭を下げて、ツインテールを髪を揺らしながら遠ざかって行った。
 彼女もまた、田舎町に不釣合いの鮮やかなピンクのワンピースを身に纏い、その上に白地に濃い紫の模様トライバルの描かれた法衣の様なものを重ねていた。
(あれは………)
 どこかで見たようなデザインだと思って。
「………あれは神託の盾オラクル導師守護役フォンマスターガーディアンの制服だわ。と言うことは正式な許可を受けての旅なんだわ……」
 独り言めいたティアの言葉に、それが師が身に着けていた法衣に似ていたのだと言うことに気づいた。
 まだほんの子供にしか見えなかったが、彼女も神託の盾オラクルの人間なのか。
「どう言いうことだ? 師匠せんせいは導師イオンは行方不明だと言っていたぞ?」
「………どうかしらね。彼は導師守護役フォンマスターガーディアンを連れて旅をしているわ。に……ヴァンが嘘を吐いているのかもしれない」
「何故、師匠せんせいが俺に嘘を吐かなければならない!」
「………知らないわ。でもあの男は信用できない」
「テメェが師匠せんせいの何を知って……」
「……これ以上!!」
 突然の鋭い声に思わず言葉を切る。
「…………往来で話すのはやめましょう。貴方と彼の間に何があろうと、私と彼の間に何があろうと、私と貴方の間には関係のないことよ。私は貴方を送り届けることに全力を尽くします」
 その後のことは貴方には関係がないとばかりに言い捨てて、彼女はルークに背を向けて歩き出した。
「…………クソッ」
 何故あそこまで、激昂するのか。
 その癖ルークを助けようとするのか。
 腑に落ちぬものを感じながらも、ルークは彼女の後を追うしかなかった。


 ―――――― トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ ………
 どこか懐かしい歌声に、目を開ける。
 すぐ近くに女の顔が………蒼玉色サファイヤブルーの瞳があって、ルークは小さく息を呑んだ。
「…………っ……」
 亜麻色の髪がカーテンのように視界を覆っていて、寝顔を覗き込まれていたのだと知って、かぁっと一気に頭に血が昇る ―――――― 何で、こんなことになっているのかさっぱりわからない。
 宿の主人に地図を借りて話し合った結果、フーブラス川を渡って南下し、国境を越え……旅券がないので公爵子息の地位を使って強行突破するしかない……カイツール軍港を目指すことになった。
 出立は翌朝に決まり、ティアは旅に必要な細々としたものを揃える為に宿を出て行ったはずだった。
『………貴方は休んでいて』
 冷ややかとも言える、彼女の声がリフレインする。
 癪に障ったが、慣れない実戦と山歩きに疲れていたのも確かで……マルクト軍の人間がうろついていることを考えると迂闊に外に出る訳にもいかなかったので……体力の回復の為、硬い寝台に身体を預けたところでルークの意識は途切れている。
「…………ッ……」
「ぁ………」
 無礼者と怒声を上げかけて、けれど結局ルークは何も言えなくなってしまった。
 彼女が痛みを堪える様な、どこか切な気な表情を浮かべていたから。
「………ごめんなさい。古い知り合いに、似ていたものだから」
 ルークの視線に気付くと、彼女はそう言って慌てて身体を放した。
 視界が明るくなる………思いの他長い時間眠っていたらしく、窓から入る光は茜色に染まっていた。
「………昔の男か何かか?」
「……まさか」
 言った途端、彼女はクスッと小さく笑った ―――――― 思いの他無防備な、綺麗な笑みだった。
(………なんだ、笑えるんじゃないか)
 冷ややかなそれか、困ったようなそれか、無表情か。
 そんな表情しか見たことのなかったルークは、どこか新鮮な気持ちで彼女を見返した。
「古い知り合いって言ったでしょう? そうね、幼馴染の様なものかしら………生きていたら、ちょうど貴方ぐらいになっているはずなの」
「…………」
 どこか遠くを見る瞳で笑う女に、奇妙な苛立ちを覚える。
「……死んだのか?」
 だから、尋ねた ――――― 意地の悪い口調になっていたかもしれない。
「さぁ………どうかしらね」
 けれど彼女は気にした様子もなく、立ち上がって窓辺へと歩み寄った。
「子供の頃、遠縁に引き取られていったっきりだから」
「…………似ている、と言ったが」
 子供の頃に会ったきりなら顔も変わっているだろうし、男なら声だって変わっているだろう。
 そんな状態で、似ているのどうのと言えるのだろうか。
 ――――― そう、思ったのだが。
「……綺麗な朱い髪をしていたの。貴方の髪より少し明るい、夕焼けみたいな色だったわ」
 窓から入る夕焼けは、ちょうどルークの顔を照らして仄かに赤く染めていて、暗い赤が幾らか明るい、朱色めいた色に見えてた。眩しそうに眼を細めるのにまた苛立ちを感じる。
 …………ルークは見られることに慣れている。
 それは逆に、無視されることや、こうやって自分を通して他の誰かを見られることに………無論、それはどちらも褒められたことではないが………慣れていないということでもあった。
「眼も明るい緑で……でもきっと、顔は似てないわね。彼、どちらかと言うと童顔で可愛い感じだったもの」
 くすくすと小さく笑って、彼女はカーテンを引いた。
「…………」
 何か文句を言おうと思ったが結局言葉が見つからず、ルークは黙り込んだ。
「……っ!?」
 直後、ぐいと腕を引かれてルークは目を見張った。
 何事かと顔を上げる間もなく乱暴に壁際へと押しやられ、咄嗟に仰ぎ見た彼女の顔はそれまでの柔らかさが嘘の様な緊張感を孕んでいた……これまでルークがよく目にしていた表情だった。
 杖を翳して油断なく構える様子にルークも辺りに気を配る。
 ドアの向こうに、複数の人の気配を感じた。
「…………何が……」
「静かに」
 鋭い声に気圧される ――――― 次の瞬間、乱暴に扉が押し開かれた。
 バンッと大きな音を立てて開いたそこから、青い揃いの制服に身を包んだ男達が駆け込んでくる。
 ものの数秒の間に、狭い室内は彼らに埋め尽くされた。
 男達は武器を構えてはいるものの、二人を包囲するだけで攻撃を加えてくる様子はない。
 痛いような緊張を破ったのは、その場に不釣合いなほど落ち着いた………笑っている様にさえ聞こえるのに妙に冷ややかな男の声だった。
「……正体不明の第七音素セブンスフォニムを発生させていたのはあなた方ですね?」
 人垣を掻き分けて室内へと入ってきたのは、先程領主の館で見かけたマルクト軍将校の男だった。
「………いろいろ聞きたいことがありますので、ご同行願えますか?」
 問いかけの形をとってはいたけれど、それは有無を言わさぬ圧力を孕んでいた………。

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 二週目の際、エンゲーブの寝顔拝見イベント(笑)を見て思いついたネタでした(笑)。
 ティアの幼馴染は勿論、です(笑)。
 実は最初は端折らずじっくちねっちり書いていたのですが。いつまで経ってもルークでて来ねえよ!!
 てゆか誰も見たくないよそんなの!と、端折る方向に走りました…(笑)
2009.07.16

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