「っ……!」 振り下ろされた剣を、両の手で握った剣でどうにか受け止める。 (……くそ、重てぇっ!!) 敵の攻撃がではない。 自分自身の身体そのものが、だ。 譜術使いであり、術を解く術を持つジェイドが その判断が誤りだったとは思わないものの、身体の重さは如何ともし難い。 「っ、くそっ!!」 襲いかかってきた兵士をどうにか切り倒した時にはすっかり息が上がってしまっていた。 「っ……はぁっ、はぁっ……」 「ご主人様、大丈夫ですの? ごめんなさいですの……」 ティアの譜歌で眠っていた兵士を起こした元凶となってしまった小さな聖獣が申し訳なさそうに耳を垂らして駆け寄ってくる。 「大丈……」 「……そんな雑魚一匹に苦戦するとはなッ!」 と、頭上からどこか聞き覚えのある怒声と共に人影が降ってきて、ルークは息を飲んだ。 叩き付けられた剣を咄嗟に剣で受け止めようとして、けれど受け止めきれずに音を立てて背後の手摺に叩き付けられる。 「うわっ!」 逆行で顔は見えなかった ――――― けれど、この声は。 「ルークっ!」 「ルーク!」 物音を聞きつけたジェイドとティアがブリッジから飛び出してくる。 「きゃあっ!!」 「っ……!」 ティアの悲鳴に思わず身を起こそうとした途端、ガッと肩の辺りを蹴られて再度手摺に頭部を強く打ちつける。 「ぐっ……」 (……頼むから、殺してくれるなよ……) そんなことを思ったのを最後に、ルークの意識は闇に飲まれていった。 「……ィア……大丈夫か、ティア?」 「っ……ぁ……ルーク?」 かけられた声に眼を瞬く ――――― と、眼の前にルークの顔があった。 心配そうに寄せられていた眉根がほっと弛んで。 意識を失う直前のことを思い出したティアは悔し気に唇を噛んだ。 「……ごめんなさい、不覚だったわ」 「いや、俺の方こそ悪い。不意打ちを喰らっちまって……それよか起きれるか?」 差し出された手を取って、身を起こす。 辺りは薄暗い ――――― おそらくタルタロスの下層部分の鍵のかかる部屋に閉じ込められているのだろう。 当然の如くジェイドは意識を失っては居なくて、小さな窓から外の様子を伺っているようだった。 「イオンが連れて行かれたみたいだ。帰ってきたタイミングで奇襲をかけて、取り戻す」 「アニスは?」 「ここに居ないってことは多分、大丈夫」 「おそらくイオン様が親書を持たせて逃がしたのでしょう。あれが無ければ大変なことになりますから。万が一逸れた場合の合流場所は幾つか決めてあります。まあ、我々がこの局面を突破できなければ無意味ですが」 「……ほんっとお前、一言多いよな」 呆れとも感嘆ともつかない声。 どこか力の抜けたそれに、微かな違和感を覚える。 敵国の軍人で有るジェイドに、ルークは何時の間にこんな風に軽口を叩くようになったのだろう。 否、ジェイドの態度はあまり変わらないように思える。 けれど、ルークは。 「来ましたよ!」 「ティア、行けるか?」 その疑問がはっきりとした形になるより早く、緊張感を孕んだ声が上がって。 「え、えぇ!」 その疑問は、促されるままに立ち上がったティアの思考の端から砂の様に音もなく零れ落ちて行った。 アッシュの強襲を喰らった。 ガイは迎えに来てくれた。 街道での強襲はあったが、どうにか全員無傷で切り抜けた。 フーブラス側でのアリエッタの襲撃はなかった。 変わらないこともあって、変わったこともある。 (……多分、アッシュも何も覚えていない) 今までの皆がそうだったのだからあまり期待はしていなかったものの、アッシュはルークと同じ、 だがアッシュの行動は一度目と変わらなかった。 もし記憶があったなら、何かしらの変化があってもいいはずだ。 (いや、でももう少し様子を見た方が良いか……?) あちらはルークに記憶があることを知らないのだから、今は敢えて嘗てと同じ行動をとっている可能性もある。 (もしアッシュが覚えてたら、心強いんだけどな……っても、協力してくれるかどうかはわかんねえか……) 最後に本気で剣を交わして、少しだけわかり合えたような気もしたけれど、ルークとアッシュは決して仲が良い方ではなかった。 何度か歩み寄ろうとしたことはあったのだが、全て拒絶されてしまったし、アッシュはルークの存在そのものを憎んでいた。 これに関しては嘗てのルークの態度も影響しているので、記憶がなかったとしても多少は軽減されているはずだが、ルークがアッシュのレプリカである以上、根本的な部分は変わらないはずだ。 遠い昔向けられていた憎悪と嫌悪、蔑みに満ちた眼差しを思い出して。 連鎖的に取るに足りない虫けらを見るような師の眼差しを思い出してしまって、胃の腑に冷たい鉛を流し込まれたような感覚を覚える。 (これから……) 「……ルーク、お前顔色悪いぞ。大丈夫か?」 「っ……」 と、かけられた声に内側に沈む込みかけていた思考を引き戻されて、ルークは小さく息を飲んだ。 「……大丈夫だよ、ちょっと疲れただけだから」 取り繕うように笑って見せたが、幼馴染兼使用人の男は引き下がらなかった。 「休憩を取らせてもらった方が良いんじゃないか?」 「イオンが大丈夫なのに俺が根を上げるわけにはいかねえだろ」 「こんな悪路を、しかも長いこと歩いたことが無いって点ではお前も同じだろ」 「………」 もっと酷い道だって歩いたことはあるし、長い道のりを歩いたこともある。 そう思ったけれど、だがそれは一度目の記憶の中での出来事で。今のルークにその経験があるのかと言われれば否と応えるのが正しいかも知れない。 けれど、ルークは知っている。 ぬかるんだ泥を撥ねて走る足元の危うさ。立ってるだけで汗が滴るような火山道の熱さ。 それとは裏腹の剣を握る手が武器に貼りついてしまいそうな寒さ。 それらは全て、現実の ――――― 。 「……ーク、ルーク! 大丈夫か? ……やっぱり休憩させてもらおう、俺から旦那に……」 「っ、ごめん。ちょっとぼうっとしてただけだ。本当に大丈夫だから」 「………そうか?」 ガイの言動が一度目の時と違うのは分かっていた。 厳密に言えばティアもジェイドも少しづつ違うのだが、それはルーク自身の行動によるものだと思うし、この二人に関しては不安要素が無いので多少違っていたところで問題ない。 (……でも、ガイは……) ホドの生き残りであるガイは、復讐の為にファブレ家に入ったと言う。 記憶を失って真っ新になったルークの面倒を見るうちに徐々に心境の変化があったと言うが、ルークが変わってしまった以上、今回もその変化が起こったかどうかは定かではない。 態度に関しては前よりも優しいぐらいな気がする。 だがそれが本心を隠す為のものでないとどうして言い切れる? (………否、疑っちゃいけない。それじゃダメだ) ガイを変えたのは、何も知らないルークの過去に囚われない言動だった。 嘗てのルークは己自身でもの考えることを知らなかった、けれどそれは同時に疑うことを知らないと言うことでもあった。 それが良い方向に働いた数少ない例がガイとの関係だ。 真っ直ぐな好意と、信頼。必要なのはそれだけ。 けれどそれを意図的に向けることが果たして正しいのか ――――― 。 「ルーク、どうした?」 「っ……な、なんでもない」 気が付くと至近距離で覗き込まれていて、ルークは慌てて頭を振った、 全てを打ち開けてしまえたらどんなに楽だろう。 ガイなら無条件に信じてくれるのではないかと言う気もするが、頭の病気を疑われるかもしれない。 それ以前にもしガイが、まだファブレ家に復讐したいと思っていたら。 「行こうぜ、置いてかれちまう」 ぎこちない足取りで、けれど前を行く仲間達に並ぶべく足を速めたルークの背に、ガイは小さく溜息にも似た息を落とした。 「…………」 少し先を歩いていたティアとイオンの横に並ぶと、二人が気遣わし気な視線を向けてきた。 「……ルーク、身体が辛いのではない? 先に……」 「今は距離を稼ぐことを考えようぜ」 ティアが口を開くのを遮るように殊更明るい声で告げる。 「でも……」 「戦力には不安があるだろうけど、ガイもいるし、この辺の魔物ならジェイド一人でも大丈夫だよな?」 「老体をこき使おうとはいい度胸ですねえ」 振り返ったジェイドがそう言って笑った。 「あんたに取っちゃ大した労力でもないだろ?」 実際セントビナーを出てからここまでの道中はルークが剣を抜かなければならないような事態には一度もならなかった。 先頭に地の利のあるジェイド ――――― 実を言うとルークもガイも知っているわけだが ――――― 真ん中にルークとイオン、二人を守るティア。ついでにミュウ。殿に背後を警戒するガイ。セントビナーを出てからこっち、これを基本的な陣形にしている。 体力のないイオンに合わせた速度で進んでいるので、ルークにとってもそれ程辛いと言う訳でもない。 (……だいぶ慣れてきたし、な) 左の拳をぐっと握り固めて感触を確かめる。 「……そう」 まだ納得がいっていなさそうな様子で、けれど仕方ないと言うように息を吐いたティアに申し訳なさを覚えつつも、それには気付かぬふりで遠くを振り仰ぐ。 フーブラス川を越えてしまえば、目指す国境の砦はもう目と鼻の先だ。 遠い地平の向こうに、薄っすらと白い城壁が続いているのが見える。 (………あそこにはヴァン ルークが己の記憶が夢や幻、妄想の類ではなかったことを知って、初めて彼の人と相対することとなる。 自分の記憶が、ただの妄想だったらどれだけよかっただろう。 師匠が、優しい師匠のままなら。 師匠は人類の抹殺なんて考えてなくて、ルークはレプリカではなくて、ただただ奇妙な夢を見ていただけだと言うのなら。 (……まだ、そんな都合のいい考えに縋っていたいのか) 口の中だけで一人ごちて、自嘲気味に口元を歪める。 今更だ。ここまできておいて今更師匠だけが違うなんて、都合の良いことがあるものか。 それでもそう思ってしまうのはルークは今でも彼を尊敬しているからだ。 もし、叶うことなら ――――― そう思っているからだ。 「…………」 瞼を伏せて、何時の間にか詰めてしまっていた息を吐く。 それからゆっくりと瞼を上げて。ルークは挑むように真直ぐに地平の彼方へと視線を向けた。 |
まだもうちょっとタルタロス編が続くと思ったのですが嘘でした、やっとちょっと進んだ気がします(笑)。 |