ふっと途切れていた意識が浮上する。
 瞼を開くと、辺りは薄闇に包まれていた。
「…………」
 どこか茂みにでも寝かされているのかと思ったが、背中に感じるのは固い土の感触ではない。
 何度か瞬くと靄がかかったようだった視界がはっきりし始めて、頭上にあるのが無機質な金属製の天井であることがわかった。
「……ここは……」
「タルタロスの医務室ですよ」
 思わず漏れた音に返ったのは感情の色の見えないこれまた無機質な印象の声だった。
 僅かに首を動かして声のした方に視線を向けると、ベッドの脇に赤い眼の軍人が佇んでいるのが見える。
「……ジェイド」
 そうだ、ジェイドだ。
 ライガと交渉中、ジェイドが現れて、それで ――――― 。
「っ……!!」
 意識を失う直前のことを思い出して飛び起きようとして、鈍い痛みとくらりと揺れた視界に背中を丸める。
 ――――― 身体中が、痛い。
「ティアが居なければ死んでいたかもしれませんよ。まったく、馬鹿な真似を……」
「ティアは……いや、ライガは!?」
 呆れたように息を吐く男に、痛む身体を引き摺るようにして詰め寄る。
「逃がしました。私としたことが不覚です」
「っ……そっか……」
 苦さを隠そうともしない男のそれとは裏腹に、ルークの口からは安堵にも似た息が漏れた。
 卵が割れてしまった以上最善の結果とは言い難い。けれどライガの女王は生きている。
 それならまだ可能性はある ――――― そう思ったからだ。
「ティアは先程まで貴方に付いていましたが、術の使い過ぎで消耗が激しかったので仮眠に行かせました」
「イオンとアニスは?」
 ジェイドが居たのだから大丈夫だろうと思いつつも念の為確認すると、嘆息と共に無論無事ですと短い答えが返ってきた。
「……そっか、なら良かった」
 小さく呟いて立てた膝に肘を付き、その腕に顔を埋めるようにして口元を覆う。
(……みんな無事でライガの女王も生きてる。なら及第点だ。まだ終わったわけじゃない……上手くアリエッタと合流してくれりゃいいけど……)
 アリエッタが卵の残骸だけを発見した場合は以前と同じ流れになる可能性もある。
 そうなった場合、事情を説明してアリエッタが納得してくれるだろうか。
「……良くはありません。あのライガが妖獣のアリエッタの育ての親だとしてもライガを野放しにしておくわけにはいきませんから」
 思案を巡らせていると、苦さの様なものを含んだ低い声が落ちてきた。
「……その様子だと日記、読んでくれたんだな」
 ちらりと視線を上げる。
「…………」
 見下ろしてくる瞳は酷く無機質で、整った面差しも相俟って常人であれば逃げ出しくなるような冷ややかさを纏っていた。
 けれど動じるでもなくそれを受け止めて、ルークは何もない空間へと視線を向ける。
「……アリエッタはさ、何も知らずに死んでいったんだ。アニスは知らないままでいいって言ってたけど、俺にはそれが良いことなのかわからなかった」
 ルーク達の中でアリエッタのことを一番知っているのはアニスだった。
 一番因縁が深いのも。
 だからアニスの選択を尊重した。自分達が口を出すべきではないと思った。
 けれどそれが正しかったのかと問われれば、わからない。
 あの時は時間も余裕も無くてそうするしかなかったけれど、もっとちゃんと話しをすれば違う答えが導き出せたかも知れない。
「……俺達がライガの女王を殺して親の敵になっちまったから話をすることもままならなくなっちまったけど、アリエッタは師匠の思想に傾倒してたわけじゃない。ちゃんと話し合うことが出来たら戦わずに済むかもしれない、殺さずにすむかもしれないと思ったんだ」
 アリエッタはただイオンを求めていただけだった。
 今はもう居ない、本物のイオンを。そうとは知らずに。
「アリエッタだけじゃない。イオンも、シンクも出来ればリグレットやラルゴや師匠だって助けたい。だから、その為に必要だと思ったら身体だって張る」
 ぐっと、膝の上で左の拳を握る。
 その為に出来る限り力を蓄えてきたつもりだ。
「……それで命を落としても?」
 眼鏡の奥で赤い瞳がどこか物騒な光りを放った様な気がした。
「まさか。俺だって死にたくないし、死ぬつもりはねーよ。ただ今回は封印術抜きのジェイドの譜術の威力を読み違えたっつーか、忘れてたっつーか……」
 咄嗟に身体が動いてしまっていたと言うか。
 言えばまたバカにされそうなので、語尾を濁して苦笑と共に肩を竦めて見せる。
「……封印術アンチフォンスロット、ですか。対処法を考えておかなければなりませんね」
 けれどそれに返された声は、それまでの冷ややかなものとは違うどこか思案気なものだった。
「………え?」
 一瞬何を言われたのかわからなくて驚いてそちらを見やれば、それまでと同じ冷ややかさにどこか苦さを含んだような男の顔があった。
「…………」
 ルークの言うことを信じてくれる、と言うことだろうか。
「……言っておきますが、全面的に信じたわけではありませんよ。ですが全面的に否定もしません。私も部下を死なせたい訳ではありませんから」
 そう思ったらあっさり釘を刺されてしまった。
 ――――― だが今は、それでも充分だ。
「タルタロスの襲撃に関しては、とりあえず貴方の情報を信じてみることにします。もし襲撃が起こらなければ……」
「全部俺の妄想、ってことだな」
 そう言って口の端を上げて見せたルークにジェイドは不本意そうに眉を顰めた。
 笑い飛ばして病院にでも放り込んでやりたいのは山々だが、今のところルークの持つ情報は本来彼が持ちえないものだ。
 もしこのタルタロスが襲われ部下達が全滅の憂き目にあうのだとすれば、ジェイドはそれを回避しなければならない。
(軍用艦を襲おうなどと言う強者が居るとは思えませんが……)
 もし本当にそうなったら、もう少しルークの言うことを真剣に考えても良いだろう。
 ルークの日記によれば第七譜石にはマルクトの滅亡が読まれていると言う。
 ジェイド自身はそれ程国に愛着がある方ではないが、マルクトが滅ぶと言うことはジェイドにとって掛け替えのない存在を失うと言うことに他ならないのだから。


「あっ、ルーク様! お身体もう大丈夫なんですか?」
 タルタロス襲撃に関して幾つかの相談を行った後、ジェイドに案内されて向かった部屋にはアニスとイオン、それからティアが居た。
 扉の開く音に気付いて振り返ったアニスがぱぁっと顔を輝かせる。
 立ち上がる仕草に釣られてぴょこんと兎のように頭上に二つに纏めた髪が揺れる。
「あぁ、心配かけて悪かったな、アニス」
「へ? あれ、アニスちゃんルーク様に自己紹介しましたっけ?」
 何気なくそれに応えればきょとんとした表情で首を傾げられて、ルークは思わず視線を泳がせた。
 そうだ、ここまでにもアニスとは何度か顔を合わせているが、よくよく考えれば真面に言葉を交わすのは始めてだ。
「……あー、ええと、ジェイドに聞いたんだ。イオンの守護役なんだよな?」
「あ、そっか。はいっ! 神託の盾オラクル騎士団所属、導師守護役フォンマスターガーディアンアニス・タトリン響長です! これから一緒に行動するんですよね? よろしくお願いしますぅ〜」
 可愛らしく甘えと媚びを含んだ高い声に感じるのは懐かしさだ。
(……そうだ、最初はこんな感じだったよな……)
 本当のアニスは他人に甘えることが得意ではない。
 甘えて見せるのは、媚びて見せるのは如何にも幼気な容姿を活かす戦略、世を渡る為の武器の一つ。
 モースの後ろ盾があったとしても幼くして導師守護役に上り詰めたのはその機転と実力あってのことだ。
 本当のアニスは面倒見の良いしっかり者で、幼いながらに皆を支える小さなお母さんと言った存在だった。
「よろしくな、アニス」
 右手を差し出すと、アニスはぱっと顔を輝かせて両手でその手を握り締めてきた。
「わぁ! アニスちゃん感激ですぅ!」
「本当に心配したんですよ、ルーク。僕がライガを交渉をしようなどと言い出さなければあんなことには……」
「いや、あれは俺が下手を打ったんだ。心配かけて悪かったな」
 申し訳なさそうに胸元を押さえて視線を落としたイオンに苦笑しつつ俯くティアの隣の椅子を引いて腰を下ろす ――――― と、先程からこちらを一切見ようとしていなかったティアの唇から低い声が漏れた。
「………死ぬところだったのよ」
 それは酷く固い声で。
 ともすれば冷やかに聞こえてしまったかも知れないけれど。
 でもルークは知っている。分かっている。
 彼女はルークの身を案じて、怒っているのだ。
「……ごめん」
「謝って済む問題じゃっ……!」
 キッとルークを睨み上げてきた彼女の眼差しが僅かに潤んでいるように見えて思わず眼を瞠る。
 至近距離で視線が絡み合い、僅かに視線を揺らした彼女は、やがて小さく息を吐くと共に強張っていた肩を落とした。
「……次からは気を付けてちょうだい。魔物を庇って死んだなんて、笑い話にもならないから」
「………うん、気を付ける」
 立ち上がって、窓の方へと歩いていくティアを見送り小さく呟く ――――― と、左腕にぽふっとアニスがしがみ付いてきた。
「あんな言い方ってなくないですぅ?」
「……アニス」
「咄嗟に身体が動いちゃうとか、ルーク様って優しいですねよね〜」
 にこにこと向けられる笑みが作り物だと言うことはもうルークにもわかっている。
 アニスはルークのことを知らない、けれどルークはアニスのことを良く知っているのだ。
「……ティアは俺のことを思って言ってくれてるんだ。アニスだって本当は思ってるんだろ、俺が馬鹿なことをしたって」
「うっ、それはぁ……」
 なんだかんだ言って素直なアニスが視線を泳がせて口籠る。
 それに小さく笑って、ルークは彼女の腕の中から自分のそれを引き抜いた。
(……うーん、思ったより手強わそうかも)
 やんわりと突き放される形になってアニスはルークに聞こえないよう小さく唸り声を上げた。
 貴族のお坊ちゃまと聞いて想像していたような人物とはタイプが違うようだ。
 煽てたり媚びたりで距離を詰めるのは難しいかもしれない。
(でもでも、お近づきになっとくっきゃないよね〜)
 何せ相手はキムラスカを代表する大貴族の嫡男、良い印象を与えておくに越したことはない。
 もっと大きな後ろ盾と借金を返す当てさえあればアニスは自由になれるのだ。
「アニス、どうかしましたか?」
「あっ、いえ、なんでもありませ〜ん、イオン様っ」
 穏やかな声に思考を遮られて、けれどアニスはにっこり満面の笑みを浮かべて見せた。


「……ティア、えっと……ごめん。心配かけたよな」
 窓際に佇むティアに歩み寄ると、彼女はようやくこちらを見てくれた。
「……身体はもう、大丈夫なの?」
 やや硬い表情のまま、そんな風に問われて。
「ん。もう大丈夫。助かった」
「無茶はしない、って約束してたわよね?」
「……うん、ごめん」
「………わかっているならいいわ」
 素直に謝罪を口にしたら、眉が落ちて逆に申し訳なさそうな顔をされてしまった。
 ひょっとしたら少し強く言い過ぎた、と思っているのかも知れない。
 最初の時とは随分反応が違う ――――― そう思ったけれど、本当の彼女はとても優しい人だった。
 ただ、不器用なだけで。物慣れないだけで。
 前の時はそのことに気付くまでに随分と時間がかかってしまったのだけれど、今はもう、ちゃんと知っている。
 ただ一人の肉親である兄を止める為、強く在ろうと憧れた軍人の姿を真似て凛と背を伸ばして立つ彼女が、本当はたった一六歳の女の子にすぎないと言うことを。
「…………」
 彼女にはこれから幾つもの苦難が待ち受けている。
 優しかった兄の裏切り。隠されていたホドの真実 ――――― 預言スコアの下、全てを隠していた祖父の所業。尊敬していた教官との決別。汚染された第七音素セブンスフォニムによる瘴気蝕害インテルナルオーガン。それを受け取ったイオンの死。
 無論、全てをそのまま進めさせるつもりはないけれど、全てを取り除くことは不可能だ。
(……それでも、俺に出来る限りのことを)
 内心で小さく一人ごちて、ルークは陸艦特有の小さな窓から外へと視線を向ける。
 どこまでも広がるルグニカ平野は未だ嵐の前の静けさとも言うべき平穏を保っていた。

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 やっとアニスが参入……話が進まな過ぎると反省しております。コーラル城辺りからはちょっと巻いていく予定です(笑)。
 これから辛いのはティアばかりじゃないわけですが、あくまでルーク視点と言うことで。
2018.03.28

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