「ボクたちを殺して孵化した仔供の餌にすると言ってるですの〜!」
 甲高い、悲鳴染みた声が上がる。
 当然の結果として、ライガの女王とイオンの交渉は決裂に終わった。
 野生の生き物は自分より強い相手にしか従わない。
 ましてや子を守る母なら ――――― 。
(……少なくとも戦えない状態まで追い込むしかない)
 転がるように逃げてくるミュウと入れ違いに、前に出る。
「ルーク!?」
「ティアはイオンとミュウを頼むっ!」
 驚いた様な声が上がるのを振り向きもせずに受け止めて、ルークは腰に佩いた剣を抜いた。
「ガアァァッ!!」
 大きく振り被られたライガの前足は丸太の様に太く、先端には小ぶりのナイフも似た鋭い爪が並んでいる。
 触れれば肉を裂き、骨を砕くだろうそれが打ち下ろされてくるのを両の手で握り直した剣で受け止める。
「くっ……」
 エンゲーブで購入した安物のそれと鋭い爪が噛みあってギャリギャリと甲高い悲鳴のような嫌な音を立てた。
(流石に重い……けど、受け止められないほどじゃないっ……!)
 この七年、鍛錬は欠かさなかった。
 ここに来るまでの間で相手にしてきた低レベルの魔物相手には余裕を持って対応できた。
 けれどライガの群の長たるライガの女王はそこいらの魔物とは格が違う。
 一度目の時はティアと二人がかりでもまるで歯が立たなかった。
 封印術を喰らう前のジェイドが来てくれてようやく倒せたけれど、もう少し遅かったら取り返しのつかないことになっていた可能性だってあった。
 だから、これは言わば試金石でもある。
 ――――― ここから先、自分がどこまでやれるかの。
 がっきと組んだところから剣先に向けて流す様に身を捻り、振り抜き様に側面を狙う。
 切っ先は腹部に届いたが、分厚い毛皮に遮られ、鈍い手応えだけが返ってきた。
(……通常攻撃じゃ厳しい、か)
 素早く左足を引いて右手を前へ。
「烈破掌っ!」
「ガゥッ!!」
 掌に集めた闘気を叩き込むとライガの巨体が揺らぐ。
「……はぁッ! 閃光墜刃牙!」
 続け様に穿衝破で浮かせて鋭い突き上げを放てば鋼のような体毛が舞って、固い肉に刃先が食い込む感触があった。
 瞬間感じたのは嫌悪と恐怖。
 人でも、魔物でも、肉を切り裂く感触は苦手だと思う。
 けれど手を緩めることなく、雷を纏う突きから風のFOF、襲爪雷斬へと繋げて落雷と共に斬り下ろす。
「……受けろ、雷撃! 襲爪雷斬ッ!」
「ガァアアッ!!」
 落下速度と体重が乗せられたそれはライガの女王の身体を深く抉った。
 痛みと怒りに耳を劈くような咆哮を上げた彼女が身を捩り、殆ど振り回されるような形で跳ね飛ばされて、けれど空中でとんぼを切って着地する。
「ふっ……!」
「グァァァアアアッ!!」
 咆哮に紫電が含まれているのを見て取って、横っ飛びに避けて繰り出したのは岩斬滅砕陣。
 雷 ――――― 風に対応する属性だ。
 奥義は全て覚えていたし、身体も発動が可能なところまで持って行ってある。
 本当に、記憶と経験と言うのは何物にも代えがたい宝だと思う。
 飛び上がって回転すると共に斬り下ろした先に地のFOFが描かれる。
「駆けろ! 地の牙! 魔王地顎陣!」
 その中心に飛び込んで音素を乗せた腕を横薙ぎに払い、ライガの足元を狙って剣を叩き下ろせば大地を巻き上げる様な衝撃波が発生した。
「ガアァッ!!」
「はぁっ!!」
 苦し気な声とともに闇雲に振り下ろされる腕を紙一重で交わして踏み入って、更に剣を振るう。
 ――――― 抵抗の気力と体力を、根こそぎ奪う為に。
(………まるでちぐはぐだわ……)
 そんなルークの後ろ姿を眼に、イオンとミュウを背に庇い杖を構え直したティアは困惑に眉を寄せていた。
 幾ら神託の盾の総長である兄の手解きを受けたとは言え、始めて屋敷の外に出たと言う割にルークは実戦に慣れ過ぎているきらいがあって、妙に強いとは思っていた。
 だがここまでとは ――――― ライガの女王を一人で往なせる程とは思いもしなかった。
 ティアに援護を頼まなかったのも道理だ、おそらく今のティアでは足手纏いにしかならない。
 その癖、身を翻す隙間に垣間見える横顔に浮かんでいるのはどこか痛みを堪えるかのようなそれで。
 酷く、噛み合わない気がした。
 圧倒的な強さと、触れれば崩れ落ちそうな脆さが背中合わせに存在するかのような、アンバランスさ。
(どうして、こんなにも……)
 胸が、苦しいのだろう。
 もどかしいような、居た堪れないような感覚に苛まれながら、ティアは揺れる炎を思わせる鮮やかな朱赤の髪が舞うのを見つめていることしかできなかった。
「グ、ガァァァッ……!」
「っ……!」
 やがてずずん、と大きく地響きを立ててライガの女王が倒れる。
 その白と緑の鬣に覆われた喉元に切っ先を突き付け、ルークは仔チーグルの名を呼んだ。
「ミュウ!」
「みゅっ?」
「もう一度通訳を頼む」
「え……」
 ティアの唇から小さく、驚きの声が漏れる。
 ――――― 彼は今、なんと言った?
「……っ、は、はいですの!」
 弾かれたように転がり出たミュウが、怯えた表情を浮かべながらもルークに駆け寄って。
 その身体が足元に辿り着いたのを横目に確認して、ルークは真っ直ぐにライガの女王を見据えたままゆっくりと口を開いた。
「……お前がどうしてもここに残ると言うなら、俺はお前を殺さなくちゃならないし、卵も始末しなくちゃならない。けど、卵と一緒にここと離れてくれるなら、これ以上の危害は加えない」
「みゅっ……みゅ、みゅーみゅみゅ、みゅ……」
 ルークの足の後ろに半ば身を隠して首だけを伸ばしたミュウが、ルークの言葉をチーグルのそれに変換して復唱する。
「ル、ルーク、でもライガは……!」
 数瞬遅れて言葉の意味を理解して、ティアはこちらに背を向けたままのルークの名を呼んだ。
 口を挟んで良いものか躊躇われる空気はあったが、けれど伝えておかなければならないと思ったから。
「分かってる、人を食うんだろ」
 だがルークは静かに頭を振ってティアの言葉を遮った。
「…………」
「……本当は殺さなくちゃいけないってわかってる。でもこいつらは元々ここに居たわけじゃない。森が焼けなければ、人里離れたところで静かに暮らしてたはずなんだ。だから、出来れば殺したくない」
 人里近くのライガは繁殖期前に狩るのが決まりだ。
 けれどそれは人間の都合でしかないと言うことはティアにも分かって居る。
 ――――― 僅かな逡巡。
「……甘いですねぇ」
 落ちた沈黙を破ったのは、どこか楽し気にも聞こえる男の声だった。
 ハッとして振り向くと、すぐ後ろ。森の奥の開けた空間の入口に見覚えの有る男が立っていた。
(エンゲーブで会った、マルクト軍の……!)
「ジェイド……」
 遅れて振り返ったイオンが、ホッとしたような、それでいて気不味気な複雑な表情を浮かべる。
 それに一瞥をくれて、けれど何も言わずに男はティアとイオンの脇を擦り抜けてルークとライガの方へと足を進めた。
「………」
 無手の右手が宙に翳される。
 それだけで空気が変わって、急激に音素が集まってくるのが分かる。
「……っ、ジェイド!?」
 遅れて振り向いたルークの瞳が男を捕えて大きく見開かれた。
「………離れなさい、巻き込まれますよ」
 低い、警告の声。
 術が既に完成しつつあることを見て取ったルークの表情が蒼褪める。
「……大地の咆吼、其は恐れる地龍の爪牙……グランドダッシャー!」
 男は平坦な声音と共に掲げた右手を横に薙いだ。
「……っ!!」
 大地が割れる。まるで生き物のように隆起した大地が、竜を思わせるうねりを持って牙となり、真っ直ぐにルークに ――――― 否、その奥で横倒しになったままのライガの女王へと殺到する。
 瞬間ルークが思ったのは、ジェイドは渡した日記を読んだのだろうかと言うことだった。
 読んで尚、ライガは殺すべきだと考えたのだろうか。
 その可能性もなくはないだろう。
 状況を冷静に把握して、その上で最も効率的な ―――――― 非情な決断も下せる。ジェイドはそう言う男だ。
 足にへばりついたままのミュウを抱えて術を避けることは難しくはない。
 けれど、そうすればライガはどうなる?
 ライガの女王が死んで、卵が割れた時に感じた苦さ。
 何も知らず、イオンの名を呼びながら死んでいったアリエッタの血の気の失せた顔。
 痛みを押し殺すかのように歪んだアニスの顔。
 そんなものが次々に脳裏を過ぎって。
 気が付いた時にはライガに背を向けていた。
「っ……」
 足元に居たミュウを、思い切り遠くへ蹴り上げる。
「みゅっ!?」
 毬の様に跳ねて、転がった小さな身体は術の影響の範囲外へ。
(これで、ミュウは大丈夫……!)
 両手に構え直した剣を大地に突き立て、向かってくる大地の牙に向けて守護の陣を描く。
「守護方陣っ!!」
「なっ……!」
 視界の端で、ジェイドが驚いたように眼を瞠るのがわかった。
 広く展開した守護陣が壁となり、術の勢いが弱まる。
 けれど全てを跳ね返すには至らない。
 次の瞬間、迫ってきたそれが、術とライガの女王の間に立ち塞がる形になったルークに直撃した。
「ッ……あぁぁッ!!」
 全身が、バラバラになるのではないかと思う程の衝撃があった。
 剣から手が離れて、背後に向かって吹き飛ばされて何か固いものにぶつかって崩れ落ちる。
「ルーク!!」
 ティアのものか、それともイオンのそれか、悲鳴のような声が上がるのが聞こえた。
(っ……そういやジェイド、まだ封印術アンチフォンスロット受ける前だもんな……)
 どこか冷静な頭の片隅で、そんなことを考える。
「そりゃ、いてーわ……」
 はは、と小さく乾いた笑いにも似た音が口から零れ落ちた。
 全力全開の死霊使いの譜術を受けて意識があるだけでも御の字かも知れない、そう思ったから。
 大地の牙でもって切り刻まれた身体は傷だらけで、肋も何本か逝っているのだろう、呼吸をする度に酷い痛みが走って意識が遠のきそうになる。
 けれど、まだ意識を失う訳にはいかなくて。
 歯を食い縛ってどうにかそれを繋ぎ止め、視線を巡らせる。
「ぁ……」
 ルークがぶつかったのは倒れ伏したライガの女王の巨体だった。
 女王もまた譜術によってその身を切り裂かれ、殆ど瀕死の状態に見えたが、まだその身を音素に変えてはいない ――――― 生きている。
 けれど術の余波は少し離れた場所にあったライガの巣にも及んでいて、斑模様の卵はひび割れ、どろりとした卵液を溢れさせていた。
「……グアァァ……!!」
 女王は悲痛な唸り声と共に身を起こそうとして、けれどそれさえもままならずに前足で地を掻く。
 絶望と、失血に視界が暗くなる。
 ――――― 結局、何もできなかった。
 自分がもっと早く片を付けていれば。もっと早くライガの女王を森から追い出せていれば。もっと上手く立ち回ることができていれば。
 もう一度、この光景を見ることはなかったはずなのに。
「……ごめんな……卵、守って……やれなくて」
 重たい身体を引きずるようにして体を返して、手を伸ばしてごわごわとしたその毛並みに触れる。
 痛みで途切れがちになる意識を集中させて第七音素を集める。
「癒しの、力よ……」
 流し込んだ力は、癒しのそれ。
 譜術は結局あまり上達しなかったし、得意でもない。
 けれど、せめて。
「……アリエッタの為にも……せめて、お前だけでも……」
 殆ど無意識に漏れた声に、ぴくんと小さくライガの鼻先が揺れる。
 それに気付く余裕もなく、ルークの意識は深い闇の中へと引き摺り込まれていった。

BACKNETXT


 ライガの女王をどうするか、これが一つのネックでした。
 力押しルートではティアのLvも高かったのでさくっと片付いたのですが(笑)。
 余りご都合主義にしすぎたくないけども逆行の持ち味も活かしたい。そんな感じです。
2017.10.18

戻ル。