シャッと小さな擦過音と共に眩しい光が降り落ちてきて、ルークは重い瞼を瞬かせた。 「………」 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。 こんなにも深く、夢さえ見ずに眠ったのは久しぶりかもしれない。 涙を流した所為で目元は幾分腫れぼったかったが、嘘のように体が軽い。 ハッとして自身の左手を見るが、当然その中に彼女の手はない。 「目が覚めた?」 光の方角から降ってきた声に顔を上げて、そこに彼女の姿を見つけた。 ルークよりずっと睡眠時間は短かったはずなのに彼女は眠気の欠片も感じていないようなすっきりとした表情で、昨日のことなどまるでなかったかのように平然とこちらを見下ろしてきている。 「朝食はどうしましょうか? ここまで運ぶ? それとも下で食べる?」 ぼーっと彼女を見ていると、彼女が幾つかの選択肢を提示してきて。 「……大丈夫、降りる。顔、洗ったら行くから」 気を使われているのだとわかって苦笑しつつ、ルークは粗末なベッドから身体を起こした。 「じゃあ準備をしてもらっておくわね」 「ああ、サンキュ」 彼女が、何も聞かないで居てくれることに安堵しながら洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗う。 (ジェイドはちゃんとイオンを止めてくれただろうか……) 鏡の向こう側から見返してくる自身の視線を受けながら、考える。 (もし万が一そうでなかったら……) 階下に降りて食堂に向かうと、大きめの窓の外から慌てたような声が飛び込んできた。 「……本当かよ!」 外の光を遮るカーテンの向こうから聞こえた声の片方には聞き覚えがある。 おそらくジェイドがルーク達につけた監視の兵士のものだ。 「どうする? とりあえず二人を起こして大佐のところに……」 「いや、一度ローズ夫人のところに戻って大佐に指示を……」 切れ切れにしか聞こえてこなかったが、それだけで何が起こったのかを察するには十分だった。 (……やっぱり引き留めてはくれなかったか……) 小さく舌打ちをして、ルークは窓に掛かるカーテンを勢いよく引き開けた。 「「うわっ!」」 「何かあったのか?」 窓の外に居た二人の兵士が驚いたように身体を跳ねさせるのを無視して窓を開けて問いかける。 兵士達はルークの素性の詳細までは知らないはずだが、貴人とでも説明されているのか、二人揃って畏まったように礼を取った。 「はっ、実は、その、イオン様が……」 「おい!」 言いかけた一人を、もう一人が遮る。 「イオンが居なくなったんだな?」 「はっ? いえ、あの、そのっ……」 それを無視して言葉を重ねると、男達の顔に目に見えて動揺が浮かんだ。 誤魔化すべきか伝えるべきか、判断が付かずに視線を彷徨わせる兵士達を無視して勢いよく窓を閉めると、ルークは急いで二階へと駆け上がった。 「イオン様が居なくなったって……ルーク?」 食堂でそれを聞いて居たらしいティアが追いかけてきて、寝台の脇にかけておいた上着を手に取り荷物を纏め始めたルークに眼を瞬く。 「チーグルの森のことを気にしてたから、多分チーグルの森に行ったんだろ。追いかけよう」 「えっ? でも……」 「いいから、ほら」 ルークはまだ状況が呑み込めていない様子の彼女を半ば強引に促して、荷物を纏めさせると再び階段を駆け下りた。 幸いと言っていいのかどうか、二人とも殆ど着の身着のままなので、荷物を纏めるのに時間はかからない。 何事かと顔を出した宿のた主人に声をかけ、朝食を無駄にしてしまうことを詫びて手早く支払いを済ませ、宿を飛び出る ――――― と、ちょうど玄関先に移動してきた兵士達とぶつかりそうになった。 「っ……!」 「ど、どうなさるおつもりですか!?」 「イオンは多分、チーグルの森に行ったんだ。一人じゃ危ないから、追いかける」 「はっ? 何故チーグルの森に……」 「チーグルはローレライ教団の聖獣だし、チーグルが盗みを働いてる証拠を見つけたのはイオン自身だろ。黙って居なくなったなら他に行くところがあるかよ」 言われてみればと顔を見合わせるも、兵士達にも戸惑いの色が濃い ――――― それも当然だ。 本来であれば、導師はその指示を出す立場にはあっても、自ら動くものではない。 キムラスカとマルクト、二国間の緊張が高まり、その和平のために動いている現状では、それを邪魔するものの仕業と考える方が自然で、自主的に姿を消したとは考え難い。 けれどルークは知っている。 一度目の時、ルークはイオンとチーグルの森で会った。 だから、イオンはチーグルの森に行ったはずだし、そこまでは無事に辿り着けるはずだ。 そうわかってはいても、不安はある ――――― 未来は変わる、変えられるものだから。 「わ、わかりました。ともかく、一度大佐のところにお連れします。こちらとしてもイオン様のご無事が第一ですから……」 兵士の一人がそういってルークを促したが、ルークは僅かに眉を顰めた。 ジェイドのところに行っていては、どれだけ時間がかかるかわからない。 もし間に合わなければ、ダアト式譜術を使いすぎたイオンは遠からず昏倒する。 森の中、意識を失い倒れれば魔物の餌食になるのは時間の問題だ。 どうしたものかと考えていると、すぐ近くの大通りを農作業にでも使うのか、少し草臥れた、けれど身体の大きな馬を引いた男が通りかかった。 (……あれだ!) 白光騎士団の使う駿馬には比べるまでもないが、馬なら徒歩よりもずっと早いはず ――――― 。 「おい、ちょっとあんた!」 「……はい?」 急に声をかけられて、自分のことかと首を捻る男へと駆け寄る。 ルークは男の問いに答えることもせずに、馬の鞍を掴んで一気にその背に飛び上がった。 驚いた馬が嘶いて棹立ちになる。 「っと、ごめんな。ちょっと力貸してくれな」 手綱を引いてそれを制して宥めるように声をかけると嘶くのをやめて足を地につけたものの、困惑した様子でそれを踏み鳴らしている。 困惑していたのは馬の持ち主も、兵士も、ティアも同じだった。 「こいつ、借りるぞ」 「はあ!?」 驚きの声を上げたのは当然、馬の持ち主だった。 「ちょ、ちょっとあんた、なにを……」 鋤を引かせる馬がいなければ今日は作業にならないだろうし、馬一頭はそれだけでそれなりの財産だ、乗り逃げされてはたまらないと思ったのだろう。 「イオンの一大事なんだ、必ず返すから! ティア!」 食いついてきかけたが、導師の一大事と聞いて半ば反射的に動きを止める。 どう言うことかとその場にいる兵士に視線をやった農夫を無視して、ルークは彼女に片手を差し出した。 兵士達の間で目を見開いたまま立ち尽くしていたティアが、弾かれたように顔を上げる。 チーグルの森に行くのはルーク一人でも構わなかったが、万が一イオンが負傷していた場合のことや、ライガのことを考えると治癒術に優れ譜歌が使えるティアが居てくれた方がいい。 ティアは一瞬逡巡したようだったが、ルーク一人で行かせるよりはと判断したらしく兵士達の間を抜けて駆け寄ってきた。 その手を掴んで、馬上に引き上げる。 「ジェイドにはチーグルの森に行くと伝えてくれ! あと、手帳を見てくれって!」 ティアが座り直す僅かの間に駆け寄ってきた兵士に告げて、鐙で馬の腹を蹴る。 「あっ、ちょっ……」 追い縋ろうとする兵士達の間を抜けて、ルークは乗馬の鼻先を北へと向けた。 足の太く身体の大きな農耕馬は、ルークの操ったことのある調教の行き届いた軍馬と違い反応が鈍かったが、走ることに飢えていたようで、機嫌よく大通りを抜けて村の外に広がる農耕地へと飛び出した。 馬は基本的に走ることが好きな動物なので、力仕事には飽き飽きしていたのだろう。 (この機嫌が続いてくれればいいんだけどな……) 出来ることは何でもしておこうと、白光騎士団の連中に一通り馬の扱いも習っていたものの ――――― 本来馬の扱いは貴族の嗜みの一つなので、喜んで教えてくれた ――――― ルークは整備された馬場意外の場所を走るのは初めてだった。 屋敷を出たことがないので遠乗りの経験がないのは勿論、長時間馬に乗ったこともないので不安も大きい。 だが少なくとも徒歩で追うより早くイオンに追いつけるはずだし、万が一イオンが倒れた場合は運ぶ道具にもなる。 無言のままこの先のことに意識を巡らせていると、それまで黙ってたティアがおずおずと口を開いた。 「……こんなことをして、よかったのかしら……」 (ぁ……) あまりにも至近距離から響いた声に、自分が殆ど彼女を後ろから抱き抱えるような格好になっていることに気付いて今更のように心拍数が跳ね上がった。 軍人として鍛え上げてはいるのだろうが、それでも胸に感じる彼女の背中は自身のそれに比べて遙かに小さく、華奢に、感じてなんだか落ち着かない。 動揺を押し隠すように、ルークは頭を振った。 「急がないと、イオン一人じゃ危ないだろ」 「……イオン様がいらっしゃらなかったら、どうするつもり?」 「イオンはいるよ、絶対」 駆け足から並足へ、やや速度が緩まる。 徒歩で追いつくのは困難なほどに距離は稼いだし、スピードを上げたままでは馬も疲れてしまう。 強引に借りてきてしまったが、それだけに無理はさせられない。 やや速度が落ちて互い声が聞き取りやすくなったところで、ティアはおずおずと口を開いた。 「…どうしてそんな風に、確信が持てるの?」 ルークの言葉には奇妙な確信めいたものが感じられて、疑問に思って尋ねると、僅かに背後の身体が強ばる ――――― これだけ密着していれば、それを隠すのは難しい。 「……言ったろ、チーグルはローレライ教団の聖獣だ。イオンが放って置くはずない」 長い沈黙の後、吐く息と共に静かに告げたルークに、ティアは眉を寄せずには居られなかった。 それは一般的に見て、なのだろうか。 それでは確信を持つには至らないような気がする。 イオンの性格を知って、であれば、二人は殆ど面識がないはずなのでそれもおかしい。 噂に聞くイオンは一見優し気ではあるものの、黒い噂の絶えない人だった。 (……そんな風には見えなかったけど……) 外見通り優しく誠実そうに見えたが、あまり人生経験豊富とは言えないティアだからそう見えたのだろうか。 それともただの噂、だったのだろうか。 背中を包む温もりに、どこか安堵にも似た感情を感じながら、ティアは風に流れ視界を遮る長い髪を右手で掻き上げた。 |
実はここに該当する話を間違って二回書いていました…。
UPが遅くなったのはどちらを使うかを迷ったから…結局混ぜて構成し直しました。趣味全開です(何気に馬が好きみたいです)。 |