一本道で見失うことこそなかったものの、出足が遅れた所為でイオンに追いつくことは出来なかった。 小柄な背中が村の入り口に近い、一際大きな屋敷の前に出来た人集りに吸い込まれて行いくのを眼にして二人は自然と足を止める。 「……さっきの人達だわ。移動してきたのかしら」 人集りの中には先程宿屋の前で眼にした男達も居て、彼らの殺気立った雰囲気を思い出したティアは僅かに眉を寄せた。 「いや、まさか……」 「だがイオン様が仰ってるんだぞ?」 けれど男達の纏う雰囲気は先程と違い険悪と言うよりは困惑に近く、それに導師イオンが関わっていると言うことが漏れ聞こえてくる。 「………あの、何かあったんですか?」 少し思案して、ティアは思い切って端の方に居た男に声をかけてみた。 「……ん? あぁ、あんたら旅のもんかい?」 「あ、はい。さっきこの村に着いたばかりで……」 振り向いた男の問いに、敵意がないことを示すよう笑みを浮かべて頷いてみせる。 「そうか、じゃあ知らないのも無理はないな。いや、ここ最近食料泥棒が出て困ってたんだが、どうやら犯人はチーグルじゃないかって言うんだよ」 肩を竦めて告げられた内容は予想外のものだった。 「……チーグルって……あの、チーグルですか?」 チーグルと言えば、始祖ユリアに所縁のあるローレライ教団の聖獣だ。 実物を見たことはないが、文献によれば大きな瞳と耳が非常に可愛い ――――― もとい、特徴的な姿をしていて、温厚で知能が高い魔物のはずだ。 人里まで下りてきて畑を荒らす等と言う話は聞いたことがない。 「イオン様が食料庫でチーグルの抜け毛を見つけたらしいんだ」 「しかしチーグルは草食だし、今までそんなことは一度もなかったしなぁ」 「イオン様の言うことに間違いがあるもんか!」 「いや、でも抜け毛が落ちてたからってチーグルが犯人と決まったわけじゃ……」 「ひょっとしたらチーグルが密猟されてるんじゃないか? そいつらが犯人で……」 「やっぱり漆黒の翼だよ!」 一人が声を上げたことを切欠に、それぞれが思い思いの意見を口にし始めて、再び周囲の空気が騒然となる。 普段は平穏そのものの農村であるだけに、不安も募っているのだろう。 「皆さん、落ち着いてください!」 人垣の奥から一触即発の空気を察したイオンの静かな声が響いて、男達の意識は一気にそちらへと向かった。 「イオン様! あっしらはこれからどうしたらいいんですか!?」 「このままじゃ食料の輸出どころじゃなくなっちまいますよ!」 「こんなの今年の誕生日に詠んでもらった預言には読まれてませんでしたよ!」 イオンならどうにかしてくれる、そんな風に思っている様子が見て取れたが本来導師の力はそのようなことに使われるべきものではない。 盗人が出たと言うのなら然るべき手順を踏んで軍に対策を頼むべきなのだ。 「……騒ぎが収まるまで、少し離れよう」 どうしたものかと思っていたら、不意に肩に掌が乗せられて、ティアははっとしてそちらを振り仰いだ。 「でも……」 「イオンなら大丈夫だ」 「……ぇ? ……えぇ、そうね。イオン様ですもの……」 まるでよく知る人物に対するそれのような物言いに一瞬違和感を覚えて、けれど確かに導師イオンは普段はこの何倍、何百倍もの信者達を相手にしているのだと言うことを思い出して頷く。 殺気立っているとは言え、この程度の人数をあしらえないようでは到底ローレライ教団のトップは勤まらないだろう。 小さく頷いて、ティアは促されるままに人の輪を離れた。 「……イオンに事情を話して保護を求めるって言うのはどうかな?」 少し距離を取ったところで、ルークがそんなことを言い出して、ティアは驚いて眼を瞬いた。 「え? ぁ……そうね。イオン様はキムラスカとマルクトの和平を願っていらっしゃるから、ひょっとしたら手を貸してくださるかもしれないわ……」 でも、と口の中だけで小さく呟いて、思案するように口元に手を当る。 ティアは情報部所属だが、導師がダアトを離れると言う話は聞かされていなかった。 ルークの話ではダアトでは行方不明と言うことになっていると言う。 先程の様子から見て拉致監禁の類とは考え辛く、となれば行方不明を隠れ蓑にした極秘任務の可能性もあると思ったからだ。 ティア達の接触がそれに悪影響を及ぼさないとも限らない。 ルークを巻き込んでしまったのはティアのミスだ。導師にその尻拭いをさせるような真似が出来るはずがない。 けれど、もしここで。マルクトの地でキムラスカの王族であるルークが命を落とすようなことになれば、戦争の直接の引き金になる可能性もある。 そのことはルークもわかっていて、それ故にそんな提案をしてきたのだろう。 「……イオンに直接どうこうじゃなくて、教団に口を利いてもらうとかさ……とにかく話をしてみたいんだ」 渋る様子のティアに、ルークは少し強い調子そう言ってもう一度人だかりの方に視線を向けた。 小柄なイオンの姿は屈強な農夫達の背中で遮られてすっかり見えなくなってしまっている。 生真面目なティアはイオンに迷惑をかけることを恐れているようだが、ここでどうしてもジェイドに会っておかなくてはならないのだ。 ――――― 彼女に事情を知らせず、ジェイドにコンタクトを取る。それは難しいことだろう。 けれど、ルークは、今はまだ彼女に本当のことを話したくなかった。 否、本当は、彼女にはずっと話したくないし、何も知らないで居て欲しい。 彼女がユリアの血を引く以上、それは不可能なことだとわかっては居るけれど、それでもその時を少しでも先延ばしにしたい。 それがルークのエゴに過ぎなかったとしても。 「……わかったわ。もう少し様子を見て、話が出来るようならイオン様に事情を話してみましょう」 仕方がないというように頷いたティアに、ルークはほっと息を吐いた。 「それにしても、本当にチーグルが犯人なのかしら。チーグルが盗みを働くなんて、信じられないわ……」 「……何か理由があるんじゃないか?」 ――――― 理由は、ある。 聖獣の仔の起こした火事によりライガの森が燃え、凶暴な肉食の魔物である彼らが南下してきているのだ。 高い知能を持つチーグル達は種族を守る為、彼らに盗んだ食料を差し出した。 とは言えそれも長くは続くものではない。 幾らチーグルが賢いとはいえ人間ほどの知能はないし、器用な手足を持つわけでもない。 小動物用の対策をとられてしまえばそれ以上食料を盗むことはできなくなるし、そうなれば次に待っているのは彼らの死だ。 食糧の供給が止まれば腹を空かせたライガ達は容赦なくチーグル達に襲いかかるだろう。 止めなくてはならない ――――― けれどライガを殺したくはない。 矛盾した感情に捕らわれているうちに、何事か語りかけていたイオンの言葉に一応の納得を見た村人達がばらばらとそれぞれの家や畑の方角に向かって散ってゆく。 これからチーグルに対する策を考えるのだろうか。 村人達が姿を消すと大きく開け放たれた扉からそこに佇むイオンと青い軍服姿の長身の男の姿が見えて、ルークは無意識のうちにごくりと喉を鳴らした。 (ジェイドだ………) 酷く感情の色の薄い血のような赤い瞳がルークとティアの姿を映す。 その一瞬で彼がどれほどのことを考えたのか、ルークに知る術はない。 だが、ジェイドはこ時点で既にバチカルからの第七音素の奔流のことも把握していたはずだ。 ならば鮮やかな赤い髪と緑の瞳を持つルークがキムラスカの関係者であることを察することは難しくはない。 ティアに至っては神託の盾騎士団の制服を着ているので、その所属は明らかだ。 一度目の時はわからなかったけれど、今回は僅かに。本当に僅かにではあるが、男がおやと言うように瞳を閃かせたのがわかった。 ――――― おそらく、この瞬間にはもう眼を付けられていたのだろうと言うことも。 これは考えようによってはチャンスでもある。 「……ルーク」 遠く佇む将校と半ば睨み合う形となったルークに気付いたティアが、僅かに緊迫した調子を含んだ声で囁いてルークの腕に手をかける。 離れましょう、と促すように引かれて、けれどルークは動かなかった。 死霊使いの恐ろしさを ――――― 彼が死霊使いであることを、彼女はまだ知らない。 今、踵を返したところで逃げ切れるものではないということも。 「……あれはマルクト軍の将校の制服よ。貴方の素性が知れたら……」 「………軍人なら一般人よりむしろ安全じゃないか? 捕虜に対する条約とか、色々あるだろ?」 大変なことになると小さく囁いたティアに、ルークは努めて落ち着いた声を返した。 一般市民に仇敵であるファブレ侯爵の血縁であることがわかれば八つ裂きにされてもおかしくないが、軍人には様々な制約がある。 捕虜に対する扱いは双方の唯一の窓口であるダアトを通して取り決められていて、軍人である以上、ティアもそのことはよく知っているはずだった。 「……キムラスカの不利になってしまうのではない?」 王族であるルークの身柄を盾にすれば、キムラスカに無理難題を吹っ掛けるのも不可能ではない。 キムラスカの国益を害する可能性があるのではないかと指摘されて、ルークはまるで今気付いたと言うように眼を瞬いた。 「…………」 どこか子供っぽくて素直な表情にも見えて ――――― それを見ていたティアは不思議な気分になる。 ひどく大人びた物言いをしたかと思うと、これだ。 ルークはどこか、自分がキムラスカの要人であると言う自覚に乏しいように思える。 ――――― どこか得体の知れない、けれど極普通の青年。 矛盾しているようではあるが、ティアの抱く感想はそれだった。 (貴族ってもっと偉そうなものなのだと思っていたわ……) やや浮世離れしたようなところがないとは言えないが、それだってティアの ――――― 庶民の抱くお貴族様の像とは掛け離れている。 教団員とは言え情報部に所属するティアは応待したことがないが、巡礼にくる旅人の対応をする職員達曰く、貴族と言うものは権力や寄付の大きさを振り翳して偉そうなことを言うものらしかった。 けれどルークはまるで偉ぶったところがなく、話し易くさえある。。 育った環境故か、ティアは人と話すことは苦手な方だったのだが、不思議とルークに対しては妙な気構えのようなものを感じなかった。 それどころか、むしろ ――――― 。 (何だか、懐かしいような……) 魔界に沈むユリアシティ生まれの自分が、キムラスカの貴族の子息と面識があるはずなどないのに。 (……そうか……そう、だよな……) ティアがそんなことを考えているとは露知らず、ルークは内心で小さく独り言ちて片手で口元を覆った。 確かに、敵対する国同士なのだから、本来はその可能性もなくはないのだ。 ましてやルークはキムラスカに取ってなくてはならない ――――― 鉱山の街で命を落とすまで、大事に守らなくてはならない存在だ。 ルークの命を盾にすれば少々の無理は通りそうな気がする。 それに例えそのような事情は分からずとも、王族であると言うだけで人質としての価値は十分だ。 けれどルークは、そうならないことを知っている。 「………キムラスカとマルクトの間で緊張感が高まっているのは知ってる。でも現皇帝のピオニー陛下は先帝と違って平和主義者で、和平を望んでるって噂があるんだ」 考えた末にルークが口にしたのは、そんな台詞だった。 ――――― ピオニー陛下が和平を望んでいるのは事実だが、そんな噂は嘘っぱちだ。 けれど如何にもそれらしく告げれば彼女がそれを信じてくれるだろうと言う自信はあった。 貴族や軍の上層部だけで極秘の情報がやりとりされることは珍しくないからだ。 「……確かな情報なの?」 「………あぁ」 はっきりと頷いてみせると腕にかかる手の力が緩んで。 その手に自分の手を重ねるようにして乱暴にならないようそっと外させる。 「……話し合いはお済みですか?」 声までは聞こえておらずとも、何か囁きあっていたのはわかったのだろう。 無言のまま遠くからこちらを見ていた男から一見温和ともとれるよく通る声が投げかけられて、ルークは胃の腑に重いものを押し込まれたような感覚を覚えながらも真っ直ぐに男を見返した。 「……あんた、マルクト軍の将校だよな? 少し話がしたいんだけど、時間をもらえないか?」 |
前話を上げた際に8割方出来上がっていたのですが、ちょっとした矛盾を見つけてしまい修正を繰り返す羽目になったと言う……。 やっぱり長く置くとダメですね>< 今年もちょっとバタバタな感じですが、なるべく少しづつでも進めていきたいと思っています。 |