ガタガタと不規則な馬車の振動は、それでも一晩中歩き通して疲れた身体を眠りに誘うには十分なものだった。 何時の間に意識を失っていたのか、ぼんやりと目を瞬いたティアは自らの置かれた状況を思い出し慌てて傍らのルークを見た。 「……どうした?」 ――――― 彼は眠ってはいなかった。 目を閉じて腕を組んでいたので最初は寝ているのだと思ったのだが、彼はティアの視線に気付くとぱちりと瞼を開けて睡魔の気配など欠片もないはっきりとした視線を向けてきた。 「……眠らなかったの?」 「………少し前に起きたんだ」 まだ眠りの縁にいる他の乗客を気遣ってごく小さな声で問えば同様の微かな声が返されて。 ティアはそれを嘘だ、と思った。 明確な理由があったわけではない。ただ漠然とそう思ったのだ。 ルークの目元には疲れたような隈の色が濃かったせいでもある。 他人の存在に囲まれて緊張しているのか彼の纏う空気が二人でいた時よりも尖っているように感じた為でもある。 けれどそれよりももっと言葉にならない何か、既視感のようなものがティアにそれを確信させた。 「……大丈夫だよ」 訝しむような表情が浮かんでいたのか、少し困ったような笑みで制されて。 それ以上強く言うこともできずにティアは渋々僅かに乗り出していた身を座席に戻した。 ( ――――― ……どこまで、誤魔化せるだろう) それを見やり、ルークは内心で小さく独りごちた。 彼女は以前から聡い人だった。 今はまだ遠慮があるのか多くを聞かないでいてくれるが、いずれはそうも行かなくなるだろう。 休める時に身体を休めて置いた方がいいということはわかってはいてもこれからのことを考えれば考えるほど目は冴える一方で、結局ルークは一晩中殆ど眠ることができなかった。 いつの間にか握り締めてしまっていた掌が汗ばんでいるのは決して暑さの為ではない。 エンゲーブにはアニスとイオン、そしてジェイドがいるはずだ。 イオンもそうだが特にジェイドとはここで絶対に接触しておかなければならない。 考えることしかできない途方もないほど長い時間、あれやこれやと思考を巡らせはしたけれど、未だ彼を ――――― 欠片ほどもルークのことを信用していない、敵国の軍人を説得する有効な方法は見いだせていなかった。 だがマルクト領内を出るまでに、なんとしても彼の協力を得ておかなければならない。 何の手立ても講じないままキムラスカに入ってしまえばアクゼリュスの人達を救うことはできなくなる。 (………俺に、できること……差し出せるもの……) あるとすればキムラスカ・ランバルディア王国の第三位王位継承者の地位ぐらいだが、それはこの先あまり意味をなさないものになっていくだろう。 何せルークは本物の『ルーク』のレプリカでしかないし、例え本物であったとしても、キムラスカは躊躇うことなく彼をアクゼリュスに送り込むのだから。 「っ……!」 その時、がくんと大きく馬車が揺れた。 「うわっ!」 御者の切羽詰まったような悲鳴が上がる。 小さく息を飲んだティアの身体を庇うように引き寄せて小さな窓に張り付くようにして外を見ると、その窓を塞ぐように極至近距離を何か黒っぽいものが通り抜けていった。 それが猛スピードで突っ込んできた漆黒の翼の馬車だということは考えるまでもなくわかった。 『そこの辻馬車! 道を開けなさい! 巻き込まれますよ!』 音機関で増幅された怜悧な声が辺りに響き渡って、窓の外を埋め尽くすように巨大な陸艦が迫ってくるのが見えて、ぞわりと背中が震える。 何から何まで、あの時と同じだと思ったからだ。 「あんた達と勘違いした漆黒の翼だよ、軍が追ってるんだ!」 御者の声が耳を掠めていく。 いい加減慣れなくてはと思ってはいても身体の反応はどうにもならない。 「驚いた! ありゃあマルクト軍の最新型陸上装甲艦タルタロスだよ! 俺も前に一度遠くから拝ませてもらったことはあったが……まさかこんな近くで見ることが出来るなんて思ってもいなかった!」 御者の興奮したような声にティアの身体が僅かに固くなるのがわかった。 「………ちょっと待って。この馬車は、今どこを走っているの?」 「どこって、西ルグニカ平野さ」 我に返ったようにルークの腕を押しやり身を乗り出した彼女に、御者は何を当たり前のことをと言うように応える。 「……そんな……」 見る間に彼女の顔色は青褪めて、白い手袋に覆われた指先が口元を覆うように動いた。 「………ティア?」 理由はわかってはいたけれど、それを悟らせるわけにも行かなくてルークは素知らぬ振りで彼女の名前を呼んだ。 「……ごめんなさい。私とんでもない間違いをしていたわ……西ルグニカ平野はマルクト帝国の西岸に広がる平野なの。ここはマルクト帝国領なんだわ」 申し訳なさそうに小さな声で囁いた彼女にルークは驚いたように目を瞠って見せる。 不自然に見えていないか不安だったけれど、動揺している彼女はそれには気付かないでいてくれて。 それに安堵を覚えた自分に何とも言えない気分になった。 罪悪感にも何とも言えない苦さにも似たものがじわりと胸に広がっていくのがわかる。 「どうかしたのかい?」 それきり黙り込んでしまった二人に先程の騒ぎで目を覚ましたらしい隣の乗客が声をかけてきた。 「ぁ……いや、その……」 「私達、訳あってキムラスカに向かう予定だったんです。逆方向だということに気付いたものですから……」 ルークが咄嗟に反応できずにいるとティアが空かさずフォローを入れてくれた。 安堵が半分、申し訳なさが半分で黙り込むルークをどうとったものか、彼女は大丈夫と言うようにぎこちない笑みを向けてくる。 マルクト領内にルークを連れてきてしまったことを申し訳なく思っている様子が、安心させようとしてくれている様子が見て取れて。 一度目の時の当り散らすような会話しか出来なかった自分達を思って少しだけ複雑な気持ちになった。 彼女は本当は最初からこんな風に優しかったはずなのに。 あの時のルークはそれに気付くことが出来なかった ――――― 気持ちを逆撫でるような態度を取ることしか出来なかった。 「キムラスカに行くならローテルロー橋を渡らずに街道を南に下っていけばよかったんだ。もっとも今の騒ぎで橋が落ちて戻るに戻れんが……」 後方を伺っていた御者が唸るような声を上げる。 随分遠くになってしまったが、川沿いに停泊しているのが見えるタルタロスの脇から僅かに煙が登っているのが見えた。 確かキムラスカ側に逃走した漆黒の翼が火薬の入った樽を落としたのだ。 それで橋が燃えて、ルーク達はキムラスカ側に戻ることは出来なくなった。 もっともここでキムラスカ側に渡っては予定が狂ってしまうのでルークにしてみれば確信犯的行動ではあったのだが。 「……とりあえず次の町で下ろしてもらえますか?」 「……………」 悔やむようなティアの声にちくちくと胃が痛むのを感じながら、ルークは腹部に片手を当てた。 彼女にもう一度会えたことは嬉しい。 今のルークは身体が消える心配をする必要はないし、未来を変えることの出来る可能性も持っている。 けれど考えていたよりもずっと、辛い旅路になりそうだった。 |
来月からまた忙しくなりそうですがちみちみ頑張っていきたいと思ってイマス。 あれとかあれとかまだ色々と決めてないんですが、とりあえずあの辺(どの辺?)までは構想は出来上がってたりなんか。 |