―――――― ルークは不思議な青年だった。 屋敷から一度も出たことがないという割にはひどく懐かしそうに海を見て。 初めは少し緊張した様子を見せたもののすぐに魔物の気配を警戒して足音を殺して歩き出した。 戦闘に関しても同様で、初めは剣を振るう手に少し力が入っている様だったが、すぐに驚くほど順応した動きを見せてティアを驚かせた。 左手に持った木刀で受け流した敵の足元を右足で払い、バランスを崩したところに掌底を叩き込む ―――――― 鋭い太刀筋には無駄がなく、巧みに手足を使って魔物を退ける動きは貴族の嗜みと言うよりは酷く実戦的なものにすら感じられたからだ。 (……基本は兄さんと同じアルバート流のようだけれど……随分とアレンジが加えられているようだし……何よりも恐怖や迷いを感じていないみたい……) 例え神託の盾の主席総長の愛弟子として腕に覚えがあったとしても、初めての実戦なら戸惑いと恐怖で動きが鈍るのが普通だ。 ましてや相手は見たこともない魔物、次にどんな動きをしてくるか未知数で、毒を吐いてくるものも居れば触手を伸ばし、刃のように鋭い葉を放ってくるものも居る。 けれどルークは敵の動きを良く見てそれに対応しているようだった。 肝が据わっているのかと思ったが、最初に見せたどこか繊細な印象からはそれも考えにくい。 ぽろぽろと大粒の涙を流す様がまるで幼い子供のようで、それでいてどこか大人びて見えて、奇妙に胸の締め付けられるような印象だった。 あの涙は偽りのものだとは思えなかったし、何よりもルークはティアに自分を偽る必要がない。 一介の兵士に過ぎないティアの同情をかったからといってなんになると言うのか。 (……すごく、綺麗だった……って、やだ、私何を考えてるのかしら……) あの時のルークの表情を思い出すとじわりと頬に熱が登るのがわかって、ティアは慌てて頬を押さえた。 ―――――― 何だかいろいろな意味で恥ずかしい。 この半日ほどでいろいろなことが起こりすぎて少し混乱しているのかもしれない。 (………気を引き締めなくちゃ……ルークを王都に届けて……それから……それから私はどうするのかしら) あの時、ティアは兄を殺して自分も死ぬつもりだった。 だから後先考えずにあのような暴挙に出たのだが、結局兄には傷一つ負わせることが出来なかったし、公爵家のご子息を拉致したような形になってしまっている。 (もう兄さんと接触する機会はないかもしれない……) 結局自分には兄の計画を止めることは出来ないのだろうか、そう考えて小さく頭を振る。 (………諦めては駄目よ。外殻の人間全ての命がかかっているのだもの……それにまずはルークを無事に送り届けることを考えなくちゃ……) ひょっとしたらそれは逃避なのかもしれない。 少なくとも彼を送り届けると言う目的が優先されている限りは、ティアは兄を追わずに済む。 ―――――― 大好きな、たった一人の家族である兄を。 「……ィア、ティア!」 「っ……!」 不意にかけられた声に足を止めて、ティアははっと彼を振り仰いだ。 「……大丈夫か?」 翠の瞳が酷く心配そうに覗き込んできていることに気付いて、慌てて謝罪する。 「………ごめんなさい。すこしぼぅっとしてしまっていたみたい」 守るはずの立場の者がこれでは彼も不安だろうと思ったのだけれど。 「顔色悪いぞ。辛かったら言えよ? なんなら背負ってったっていいんだし……」 ルークの口から飛び出してきたのはそんな台詞で、ティアは驚いて目を瞬いた。 「何を馬鹿なことを言っているの。私は軍人なのよ? ……でもありがとう。優しいのね」 気遣われる立場であるはずの貴族のお坊ちゃまからそんな言葉が出てくるとは思いもよらなくて、予想外のことに小さく笑ったティアの目の前で、彼は酷く眩しそうに目を細めた。 「……優しくなんかねえよ」 低く噛み締めるようなそれは独り言のように小さかったはずなのに、酷く重い音のように響いた。 (何かしら、これ……) 軽い気持ちで告げたはずの言葉なのに、苦しいような、痛いような、締め付けられるような感覚を覚えてティアはぎゅっと制服の胸元を握り締めた。 「…………あの、気に障ったのなら、ごめんなさい」 ひょっとしたら何か、自分の知らない彼の傷に触れてしまったのかもしれないと謝罪の言葉を口にすれば、ルークは何故か泣き出しそうに顔を歪めてしまって。 「………いや、俺の方こそ、悪い。……早いとこ、一休みできるところまでいこうぜ」 小さく頭を振って踵を返して歩き出すのに、ティアは慌ててその後を追った。 (……ルークの背中、こんな風だったかしら) ふっとそんな思いが脳裏をよぎったけれど、それはごく一瞬のことで。 違和感を感じるより早く、渓谷を渡る風に攫われるように霧散してティアの中には残らなかった。 「あ、あんた達まさか漆黒の翼か!?」 驚いたような御者の声に思わず苦笑いを零しそうになってルークは慌てて口元を引き締めた。 「……漆黒の翼? 誰と間違っているのかはわからないけれど……」 (あぁ、何もかも同じだ……) 怯える御者に事情を説明するティアの背中を見やりながら、自分だけが異物であることを自覚して胸が苦しくなって、言うべき言葉が見つからなくなる 「ああ、終点は首都だよ」 「あの、お願いできますか?」 「首都までとなると一人、一万二千ガルドになるが……持ち合わせはあるのかい?」 「高い………」 状況としてはティアに交渉を任せるのはおかしくなくて、あの時も自分は茶々を入れるだけでろくでも発言などしていなかったのだから問題はないのだが、それでも妙に居たたまれなくて黙り込んでいたルークはティアの呟きにはっと我に返って彼らの間に割り入るように足を踏み出した。 何もかもあの時と同じにしてしまってはいけない。 その為に自分はここに居るのだ。 そんなことを思いながら、ルークは懐の隠しを探り、前もって準備しておいた大振りの宝石のあしらわれた飾りピンを取り出すと御者の鼻先に突きつける。 「これじゃ駄目か? 売れば結構な額になると思うぜ」 御者はそれを受け取って唸るような声を発しながら石を見定め始めた。 この男が細工ものにどこまで詳しいのかはわからないが、素人目にも見栄えがするものを選んできた。 あの時ティアが男に渡したペンダントの宝石に比べれば劣ってしまうが、単体で見れば足代としては十分のはず。そう思って見守っているとティアが小さく腕を引いてきた。 「ルーク! あなた……」 「うちには腐るほどあるもんだから気にすんなって」 「でも……」 ティアは一目で価値に気付いたらしく自信の胸元を押さえて ―――――― おそらくはそこにあの時差し出してしまったペンダントがあるのだろう ―――――― いい淀んでいる。 御者はしばらくその様子を見ていたが、ルークのつま先から頭の上までを遠慮なくじろじろとみて、それから大きく頷いた。 始めに地面に投げ出されたせいで少し汚れてはいたがルークの身に纏う衣服は一目でそれとわかる上質のものだったし、一般庶民の男性がこれほど長く髪を伸ばすことは珍しい。 手間と時間を惜しまず手入れを施されたそれはルークがそれなりの身分の家に生まれたものだと言うことを示していたし、二人の間で交わされる会話もそれを感じさせるものだった。 となれば宝石だけが偽物と言うこともあるまいし、恩を売って損はないと判断したのだろう。 「よし、いいだろう。水を汲んだらすぐ出発するから、ちょっとここで待っててくれ」 男はそういって飾りピンをズボンのポケットにしまうと川の方へと歩んでいった。 「………ごめんなさい、首都に戻ったら必ず返すから……」 「気にすんなって。言ったろ、あんなのうちに戻れば幾らでもあるからさ」 男の姿が闇に溶けるとティアがすまなそうに頭を下げてきて。 ルークは気にすることはないと笑ってひらひらを片手を振って見せた。 ―――――― あの時、彼女にさせてしまった思いを考えれば、こんなことは償いにもなりはしない。 伝えられない思いを胸に深くしまいこんだまま。 |
何気に三ヶ月ぶりです。 その間にオフライン版は完結したり色々進んでいたのですが、とりあえずWEB版はもともとじっくりのんびり行こうと思っていたので……といっても続き物を増やしすぎている気がしなくもアリマセン……(苦笑)。 |