―――――――――――― あと一年。

                        ―――――――――――― 半年。

            ―――――――――――― 一ヶ月。
                                      ―――――――――――― 一週間。



 ―――――――――――― そして運命の日が、訪れる。



 その日はいつもと代わり映えのしない朝だった。
 けれど、欠かさずつけていた日記のおかげで日付を覚えていたルークにとっては特別な日だった。
( ――――― 今日一日何も起こらなければ全ては俺の妄想、ってワケだ)
 剣の稽古の時に使う指無しの鞣革のグローブを嵌めて、指を慣らすように拳を握る。
 それが夢でないことを願いながらも、それが現実であったらと思うと胃が引き絞られるようだった。
 すべてが夢でないのなら、これから世界は揺れる。激しい嵐に投げ出された小舟のように。
 大地が割れ、たくさんの血が流れ、幾つもの命が零れ落ちて ――――― 。
(ダメだ、考えるな!!)
 大きく頭を振って、浮かびかけた思考を無理矢理中断させる。
( ――――― 変える為に、ここにいるんだ)
 すべての命を救うことなど、到底出来はしない。そんなことはわかっている。
 それでも、少しでも多く。罪もなく死んでいく人達の命を救う為、これはきっとローレライがくれたチャンスなのだ。
 そう思った瞬間 ――――― ぞくりと背中が泡立つのがわかった。
 一拍遅れてキィンと脳髄に錐を突き立てられるような鋭い痛みが走って咄嗟に頭を抱える。
『 ――――― ルーク…………ルーク……!』
 頭の中に、ルークにしか聞こえない声が ――――― ローレライの声が響き渡る。
 二度目の人生でも何度も味わった、慣れた痛みだった。とはいえ慣れているからといって痛みが和らぐわけでもなくて。どくん、どくんと脈動する痛みとそれに付随する吐き気に苛まれる。
( ――――― ローレライ……答えろ!)
 ルークはその中にあってそれでもどうにか彼と言葉を交わそうと意識を凝らした。
 今までにも何度か交信を試みたことがあったが、ローレライの声はアッシュとの通信と同様にいつも一方通行で、まともに会話が出来た試しがない。
(…………クソッ! せめてローレライと話すことができれば……!)
「ルーク!? どうした、ルーク! また例の頭痛か!?」
 痛みに堪え切れず膝を折ったルークの耳に、聞き覚えのある声が振ってきた。
「ガ、イ………」 
 開け放してあった窓から飛び込んできたらしい男が駆け寄ってくる。
 途端にすぅっと痛みと気配がが遠ざかって、ルークは何時の間にか詰めてしまっていた息を吐いた。
「大丈夫か? 吐き気は?」
「………もう治まってきた、大丈夫」
 心配そうに覗き込んでくるのに頭を振って顔を上げる。
「このところ頻繁だな………その頭痛、確かマルクト帝国に誘拐されて以来だから、もう7年近いのか」
「…………そう、だな」
 ルークにとっては生まれてすぐ、ということになる。
「まぁ、あんまり気にしすぎない方がいいぞ。それより今日はどうする? 剣舞でもやるか?」
 曖昧に頷いたルークが沈んでいると取ったのか、ガイは軽い調子でそういってルークの背中を叩いた。
「あー………」
 ガイの誘いに乗るべきか否か。記憶のままならこの辺りでメイドが ――――― そう思った瞬間、とんとんと扉が叩かれて、ルークは小さく息を呑んだ。
「ルーク様、よろしいでしょうか?」
「な、なんだ!?」
 咄嗟に返した声は思ったよりも裏返って落ち着かないものになった。
 ここまでは偶然かもしれない、そうは思っても、重なれば重なるほどに、それは現実味を増していく。
「だ、旦那様がお呼びです。応接室までおいでくださいませ」
「………父上が? …………頭が痛いからまたにしてくれるよう伝えてもらえないか?」
 メイドが僅かに驚いたような間を置いて告げるのに、考え考え ――――― あの時のことを思い出しながら、ゆっくりと口を開くと、戸惑うような気配が帰って来た。
 一度目の時は父に呼び出される=小言を言われると相場が決まっていたが、同じ勉強嫌いでも嘗て程酷い状態でない現在、父がルークに意識を向けることは滅多に無い。
 叱られることが少ない分、接触は以前より少ない程で、こうやって呼び出しを受けるのは実に何ヶ月ぶりか。
 それを断ろうというのだから、メイドの困惑も押して知るべし、である。
「あ、あの、ルーク様をお呼びなのは旦那様だけでなく、ヴァン謡将もなのですが……」
「ヴァン………師匠せんせいが?」
 どくん、と大きく心臓が跳ねた。
 嫌な汗が吹き出て、胸がムカムカする。胃が捻られるような不快感に吐き気が込み上げてくる。
『 ――――― 愚かなレプリカ・ルーク』
『………こんなで出来損ないでは無理だ。アッシュでなければな』
『私の邪魔をするな、レプリカ風情が!』
 フラッシュバックする記憶に、ぐらりと身体が傾いで。
 けれどルークはガイにがっしと腕を捕まれてそれを免れた。
「お、おい、大丈夫か?」
 ガイが扉の向こうのメイドに気取られぬよう、声を潜めて心配気に覗き込んでくる。
「……ぁ、あぁ……悪い。ちょっと眩暈がしてさ」
 大丈夫だと頭を振ったが、彼は目敏くルークの不調に気付いて眉を顰めた。
「ちょっとって顔色じゃないぞ? 辛いなら俺から旦那様に事情を説明して………」
「いいよ、大丈夫。いつものことだし、すぐ治るって」
 今にも飛び出していきそうなガイに苦笑を浮かべながら、ぼんやりと思う。
(…………こう言うとこ ――――― 前と違うんだよな)
 前は、一度目の時は旅に出る前はまだ少し距離があったような気がする。
 けれど、今のガイは何となく ――――― 。
「ルーク様?」
 再度名前を呼ばれて、ルークは慌てて己の思考に沈みかけていた意識を引っ張り上げた。
「なんでもない! すぐに行くと伝えてくれ」
「は、はい!」
 決められた稽古の日意外に、ヴァンが姿を見せるのはこれが初めてだ。
(まだ決まったわけじゃない………でも ――――― )
 緊張に指先が冷たくなるのを感じながら、ルークはメイドの気配が遠ざかるのを待ってガイの背中を押した。
「ほら、お前もさっさと行けよ、父上に見つかったらどやされるぞ」
「違いない。じゃあまたあとでな」
 さっと立てた指二本で敬礼にも似たポーズを決めて、入ってきた時同様素早く窓の外へと消えていく幼馴染の姿を見送り、ルークは目を閉じてゆっくりと、深い呼気を吐いた。
「 ――――― ……行こう」


「ルーク。グランツ謡将は明日、ダアトへ帰国されるそうだ」
 父の口から零れたのは、ルークの予想通りの言葉だった。
 応接間の大きなテーブルについているのは四人。
 ルークの両親とルーク自身。そして、白い法衣を身に纏った男 ――――― ヴァン・グランツ。
「 ――――― どうして、ですか」
 お決まりの台詞のように問いかけを向ければ男はルークに優し気な目を向けてきた。
「私がローレライ教団の神託の盾オラクル騎士団に所属していることは知っているな?」
「………はい」
「これはまだ公にはなっていないのだが………教団の指導者であるイオン様が行方不明になられたのだ。私はダアトに戻ってその捜索に当たらねばならん」
「導師イオンが ――――― 」
 行方不明ではない。イオンは自らの意思で、モースの監禁から抜け出したはずだ。
 この時の師匠はまだそれを知らない? それとも知っていて、利用しようとしている?
 どちらにせよイオンは、今頃マルクト軍の庇護下にあるはずだ ――――― ルークの記憶が正しければ。
「当分はここに来ることも出来んが、その間は部下を来させよう」
 考え込むように俯いたルークを落ち込んだと思ったのか、ヴァンは苦笑を浮かべてその大きな手でルークの頭を撫でた。
「………今日は、稽古をつけて貰ってもいいですか?」
「あぁ、もちろんだ。存分に付き合おう」
 白い歯を見せて笑った師匠に感じたのは恐怖かそれともそれ以外の何か、か。
 どくんどくんと先程から激しく脈打ちっぱなしの心臓を宥めながら、ルークは笑みを浮かべてみせた。


 利き腕ではない、右腕に剣を構えて振るう。
 実際のところこれのお陰で右手も随分と使えるようになった。
「踏み込みが甘い!」
 鋭い叱咤の声 ――――― この時ばかりは裏にあるはずのルークレプリカに対する蔑みであったり嫌悪であったり、そんなものは見えなくて、少しだけほっとする。
 きっと剣術に関しては師匠も純粋に好きなのだろう。
 少し離れたベンチではガイがこちらを見ていて、遠くの花壇ではペールが庭仕事に精を出している。
「 ――――― 集中力が欠けているぞ。戦場では一瞬の遅れが命取りになる。と言ってもお前が実戦に挑む日などあるまいがな」
 ははは、と快活に笑った男の声に、微かな ――――― 本当に微かな旋律が重なった。
「…………っ ――――― !」
 それだけで。たったそれだけのことで、息が止まるかと思った。
「この声は ――――― 」
 驚いたように呟いて顔を上げた師匠の身体が、傾ぐ。
「こ、これは譜歌じゃ! お屋敷に第七音素譜術士セブンスフォニマーが入り込んだのか!?」
 ガイも、ペールも、扉の前に立っていた騎士達も同様に、身体の自由が聞かない様子で倒れ込んで ――――― けれどルークは別の意味で動けなかった。
 どういった理屈なのか、一度目は感じた譜歌の影響が ――――― どうしようもない倦怠感であったり眠気だったりがない。
 ただ、その声に。歌そのものに痺れたように身体が動かないだけだ。
「…………裏切り者、ヴァンデスデルカ! 覚悟!!」
 鋭い声と共に高い塀の上から、師匠めがけて飛び降りてきた少女の、細い肢体。
 羽根のように軽い ――――― 否、もっと鋭くて綺麗な………一体何に、例えられるというのだろう。
「やはり………お前かっ、ティア!」
 濃い亜麻色の髪がふわりと弧を描き、全身のバネを使うように体重をかけて振り下ろされた杖をヴァンがよろめきながらも木剣受け止めて、唸る。
 それに呪縛を解かれたように、ルークは我に返って打ち合う彼女と師匠の方へと走り出していた。
 譜歌の影響で動きの鈍いヴァンは防戦一方だ ――――― 師匠と彼女の関係を知る今なら、ひょっとしたらの時、彼はわざと手を出さなかったのかもしれないと思う。
「…………師匠せんせいに何すんだよっ!」
 二人の間に強引割り入り、素早く左手に持ち替えた剣で杖を受けた ――――― 不審に思われる危険がないとは言えなかったが、何かを変えることで超振動が起こらなくなる可能性の方が怖かった ――――― 木刀と杖がぎりぎりと鬩ぎ合い、悲鳴を上げる。
 途端、覚えのある感覚が襲ってきた。
(………! ローレラ………)
「 ――――― っ……!!」
 彼女の、海のような深い蒼の瞳が見開かれるのを見た気がした。



一人でがんばる。          二人でがんばる。

BACKNETXT
 

 ここまではシリアスサイドもギャグサイドも共通になります。
 ここからがWEBではがっつりシリアス、片思い×片思い的な感じになる予定です。
2010.01.19

戻ル。