「……っ、ぅ……?」
 あの時と違って、最初に目を覚ましたのはルークだった。
 二度目だから耐性ができているのだろうか、そんなことを考えたのは一瞬。すぐに彼女の存在を思い出し、飛び起きる。
 空は暗いのに、辺りは仄かに明るい。セフィロトの影響を受けて仄かに発光する白く美しい ――――― 懐かしい、セレニアの花が咲き乱れている為だ。
 少し離れた場所に彼女が倒れているのが見える。
「っ………」
 慌てて立ち上がると、投げ出された時にぶつけたのかあちこちが痛んだが、そんなこと気にする余裕はない。
 駆け寄って、彼女の傍らに跪き、その顔を覗き込む。
 滑らかな、白い頬。伏せられた瞼を彩る睫は長く、鼻先はすっきりと通って唇は薄い。
 おとがいは細く華奢で、強烈なまでに真っ直ぐな蒼い瞳が閉ざされている所為で記憶にあるより幾分幼く見える。
「夢じゃ、ないんだな………」
 ――――― あぁ、彼女だ。
 そう思うと涙が溢れて止まらなかった。
 ユリアの娘。ルークを変えてくれたひと。ルークをずっと見てくれていたひと
 死の間際にあって、ルークが想ったひと
「ティア………」
 小さく呟いた瞬間、ふるりと切れ長の瞳を彩る長い睫が震えた。
 滴り落ちた涙に覚醒を促されたのだと気付いて、ルークは慌てて手の甲で目元を拭う。
(駄目だ………泣くな! 不審に思われたらどうする………!)
 ――――― 七年だ。
 霧の中を彷徨うような闇の中。七年間、この時を待っていた。
 触れて、確かめたい。彼女が確かにそこに居ることを。
 けれどそんなことが許されるものか。
 ガイやナタリアのことを考えればきっと、彼女も ――――― 。
 それは胸の奥に重く鉛を詰め込まれたような感覚でもあり、同時に彼女がまだ何も知らないでいてくれると言う安堵でもあった。
 ゆっくりと開かれた瞼から、深く澄んだ海の蒼を思わせる瞳が覗く。
 ずっと焦がれてきたその色に胸が詰まるのを感じながら、余計なことを言ってしまわないよう、きつく唇を引き結んだ ――――― けれど。
「ルー、ク………?」
「…………ぇ……」
 開かれた薄い唇が紡いだ音に、聞き慣れた響きに、間抜けなほどに大きく深緑の瞳が見開かれた。
 向けられる蒼はまだ夢現にいるように柔らかい ――――― 初対面の相手に対するそれではない、気がして。ルークは吸い寄せられるように彼女の頬に手を伸ばした。
「……てぃ、ぁ?」
 確かめるように名前を呼んで、触れる ――――― 彼女は逃げない。むしろ右頬に添えた掌を包み込むように、白いグローブに包まれた細い指先をルークのそれに重ねてきた。
「…………俺のこと、わかるの?」
「………私のこと、覚えていてくれたのね」
 震える声で問えば、深い呼気と共に泣き出しそうな声が重なり。つぅっと目尻から綺麗な透明の滴が伝う。
 今まで一度も見たことのない、見せてくれたことのない、涙が。
「……っ、ティア………ッ!!」
「………ッ? ル、ルーク?」
 気が付いた時にはもう、彼女を抱き締めていた。
 強引に腕を掴んで引き上げて、きつく。腕の中に閉じ込めて、その存在を確かめるように。
 温かく柔らかな、確かな質感。セレニアの花と濃い緑の匂いに混ざって、仄かに甘い彼女の香りが鼻孔を擽る。
 肩口に顔を伏せ、その香りを胸一杯に吸い込むとまた涙が溢れてきた。
「 ――――― 俺、自分がおかしくなっちまったのかもしれないって思ってたんだ」
 でも確かに彼女はここにいる。自分のことを、覚えてくれている。
「…………そうでなきゃ夢、見てるのかもって。本当の俺はあの時、乖離して。長い走馬灯、見てるのかもって。ガイやナタリアは何にも覚えてなかったし、時間が経つうちに、だんだん、何が現実なのか夢なのかよくわからなくなってきて………頭ん中、ぐちゃぐちゃになって ――――― でも、ティアに逢えた………」
「 ――――― ルー、ク………」
 彼女の細い腕がルークの背に回り、抱き返してくれて。それにこの上も無い幸福を感じた。
「………私もよ。ずっと自分が夢を見てるのかと、思っていたの。兄さんも教官も、優しかった。何も、変わらないの、記憶のままと。違うのは私、だけ。私だけが、違って………怖かった」
「………ティア………」
「……でも ――――― ………もう一度、あなたに会えるかもしれないと思ったら、嬉しかったの」
 耳元で震えるように囁いたティアの声に、ぞくりと背中が震えるのがわかった ―――― それは確かな、歓喜。
「ティア………」
 さらさらと長い、美しい亜麻色の髪が風に攫われて流れていく。
 セレニアの花弁が風に舞い散る幻想的な空間 ――――― 彼女と最初に会ったこの場所で、もう一度、出会ったこの場所で。ルークは想いを新たにする。
「………師匠を止めよう。まだ、何も始まってない。アクゼリュスの人達や、イエモンさん達、フリングス将軍 ――――― アッシュも、師匠も、俺も。みんな、みんな生きて、笑いあえる世界を作りたいんだ…………力を、貸してくれ」
 祈るように顔を伏せたルークの頬に彼女の指先が触れて、顔を上げるように促してくる。
「………力を貸してもらうのは私の方よ。私も、兄さんを止めたい ――――― ううん、止めなくちゃ。お願い。力を貸して、ルーク……」
 涙に濡れて潤んではいたけれど、記憶にあるのと同じ強さを持った、海を思わせる深い蒼がルークの新緑のそれと重なる。
 真っ直ぐに、本質を射抜くようなその瞳が、好きだった。
 間近で見詰め合っていると蒼と緑が融けて、混ざり合ってしまいそうな気がして、吸い寄せられるように互いの距離が詰まった。
「ティア………」
 零れ落ちた涙の筋を辿って落ちた唇が彼女のそれの脇に触れて。
 けれど彼女は抗うこともなく、ふわりを瞼を伏せる。
 丸みを帯びた瞼のラインを彩る長い睫が頬に淡い影を落とすのを見て、ルークもゆっくりと目を閉じた。
 おずおずと近づいた唇が重なって、その柔らかさに心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。
 あの頃、こんな風に彼女に触れたことは無かった。
 倒れた彼女を抱き上げたり、支えたりしたことはあったけれど。想いを実感して、伝えたいと思うようになった頃にはもう、ルークの身体は乖離を始めていて。
 消えてしまう自分が、彼女に傷跡を残すことなど許されないと思っていた。
「…………ん……」
「………ティア……」
 不器用に押し付けることしか出来なくて、それでも想いを伝えたくて。何度も、何度も、ただ触れるだけのキスを繰り返して、ただひたすらに名前を呼んだ。
 ――――― 彼女への想いは七年経っても色褪せなかった。
 それどころか募るばかりで、苦おしいばかりで。
 実際に彼女を目にして、腕に抱いて、止め処なく溢れておかしくなりそうだと思う。
 掌で、抱き込んだ彼女の身体のラインを辿る ――――― 確かに其処に在るものだと確かめようとするように。
「んっ………ルー、クっ……」
 擽ったいのかもぞもぞを身を捩るのを腰に回した腕で逃がさずキスを繰り返していたら、後方に仰け反るよう距離を取られ。それを追う様に前のめりになったルークの体重を支えきれず、ティアは仰向けに後方へと倒れた。
「………んッ、っ……!?」
 ぽす、と背中に柔らかく湿った草の感触を感じてティアは目を瞬いた。
 見開かれた視界に映っていたのは近すぎてぼやけたルークの顔と、彼の髪の鮮やかな赤。
 ――――― そして満天の星空と、白い月。
(…………え、何……?)
 はぁっと熱っぽい息が落ちてくる。
 見上げたルークの目元はほんのりと欲に染まって、そんな目を向けられた経験のないティアはわけのわからないまま、それでも落ち着かないものを感じて小さく見動いだ。
「…………ク、苦しっ……」
 ちゅ、ともう一度唇が重なって、唇を食む様にされる。
 合間に抗議の声を上げても、キスは止まらなかったし、押しやろうとしてもずっしりと重くて動かない。
 どんどんと胸を叩くとようやく身体が離れて。そこでようやく、相手を押し倒した形になっているのだと気づいたルークがかあぁっと音を立てそうなほどに顔を赤するのがわかった。
「……っ……ご、ごごごめん!!」
 ばっと身体を起こして離れるのにティアの顔も自然と赤く染まる。
「………」
 何も言えずに硬直していたら、突然バサリと鳥の羽音のような音が聞こえて。次の瞬間、ティアはもう一度ルークの腕の中に引き込まれていた。
「……っ!」
 先程の抱擁と意図が違うと言うのはすぐにわかった。
 全身の筋肉が緊張して、すぐにも動けるよう気を張っていることがわかる。
 油断なく当たりを見回して、何も起こらないことを確認すると二人はほっと安堵の息を吐いた。
「………魔物じゃなかったみたいだな」
「えぇ………でも、夜の渓谷は危険だから。行きましょう? 辻馬車に会えなくなったら困るもの」
 赤くなった頬を隠すように背け、ルークの腕を押しやったティアが立ち上がり、衣服に付いた草や土を払う。
「あ、あぁ」
 同様に立ち上がったルークが投げ出されていた木刀や杖を拾い、その片方を差し出してくる。
「あん時と同じ、俺が前衛でお前が後衛な。実戦は久し振りだけど、あん時より動けると思うぜ」
 冗談めかして笑う彼に、ティアは杖を受け取ってくすりと小さく笑った。

BACKNETXT
 

 と、言うわけで逆行別ver.二人で頑張るルートの冒頭でした。
 こちらはオフで完結済になります。
 オフラインverのひよこはここからどんどん元気になって、ガイやアッシュはもちろんのこと、死霊使いまで振り回し、うおっしゃー、やるぜえぇぇ!な勢い突っ走っていくわけです(笑)。
2011.05.23

戻ル。