男の手を振り払って、逃げ出すように車を降りた。 乱暴に玄関の扉を開けて、階段を駆け上がる。 「カズ君? 帰ったの?」 キッチンの方から姉の声が聞こえたけど、気がつかない振りをして自分の部屋に飛び込んだ。 灯りもつけないまま、鞄を放り投げてベッドに突っ伏すように飛び込んで、きつくシーツを握り締める。 (…………じりーよ) ………何であんな人がいるんだろう。 悔しいとさえ思えなくて、ますます自分が惨めに思えた。 (……………消えちまいてぇ……) 見慣れた自分の部屋なのに、妙な疎外感を感じる。 漫画や雑誌ばかりが突っ込まれたいつもの勉強机に、青いシーツのかけられた使い慣れたベッド。 壁の染みも、床の傷も、いつもと同じなのに、何故か酷く現実感がない。 「………カズくーん?」 ――――― 呼ばれている。 (…………俺を、呼んでるんだよな……) 何も知らない姉ちゃんの、少しだけ不思議そうな色を含んだ、でもいつもと変わらない声。 雨はますます、叩き付ける様に酷くなって。 分厚い雲に遮られた暗い空に、時折眩しい稲光が混ざり始めていた。 雨は長く、降り続いた。 なんだかんだで小烏丸はそれなりに順調にCクラスへの階段を登った。 もともとブッチャは炎の王が目をつけるスペックの持ち主だし、ベンケイとアイオーンという助っ人もいる。 アイオーンが薦めたからか、結局エミリもATを始めて、彼女も意外な大健闘を見せていた。 自分一人が取り残されていくような、感覚。 (………このまま止めてしまおうか) 葛馬が一人抜けても、エミリが参入した今メンバーが足りなくなると言うことはない。 (…………いざと言う時足が竦むようなヤツが居たって足手纏いなだけだしな) どこまでも抜け出せない、深い深い闇。 それを吹き飛ばしたのは、炎のような、情熱だった。 脳裏に蘇ったのは、一度だけ見た彼の、 あんなの人間業じゃねぇと思って、でも、憧れて。 何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し頭の中で反芻した。 瞼の裏に焼き付いて離れない、あの光景。 ありとあらゆるものを巻き込んで、燃え盛り、溢れる、炎。 出来る、と思った。 ―――― 今なら。 どうしてなんてわからない。 (…………ただ、そう思ったんだ) 随分前に貰って、けれど一度も使うことのなかった鍵を使って扉を開ける。 許可は貰っていることだしと声をかけることもせずに、勝手に扉を潜ってマンションに足を踏み入れた。 「………………」 幸い家主は在宅のようで、僅かな人の気配が感じられる。 気配を辿って半開きのままの扉からオーディオルームを覗き込むと、スピット・ファイアは白いローソファに腰を下ろして、大きなスクリーンに写るバトルのDVDを見ているところだった。 (…………俺じゃん) スクリーンに写っていたのは間違いなく今朝の試合の映像で。 ちょうど画面が炎に染められ、摩擦熱によって起こった上昇気流が吹き上がるところだった。 (……………ホントにやったんだよな、俺……) まるで他人事のようにぼんやりと考えて、じわじわと湧き上がってきた実感に口元を押える。 そうしなければにやにや笑いが零れてしまいそうだったから。 窓の外の、久し振りに晴れ渡ったの青空の様にすっきりと晴れた気持ちが、ただでさえ無尽蔵に笑みを運んで来そうになるのだからいただけない。 「……そろそろ来る頃だと思ってたよ」 人の気配に振り向いた男は、驚くでもなくそう言って笑って。 「…………っ……」 葛馬は慌てて弛みがちになる口元を引き締め、厳しい表情を作った。 スピット・ファイアの正面に回り込むとすぅっと息を吸い込み、その鼻先に指を突き付ける。 「………オマエ、ほんとは最初から俺がAT止めるなんて思ってなかったろ」 「……………」 一瞬目を見張り、それから男は苦笑めいた表情を浮かべた。 リモコンを手に取り、DVDの電源を落とす。 「………」 促すように無言のまま、真っ直ぐ相手を見詰めていれば、やがて彼は根負けしたように苦笑を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。 「……………僕はカズ君よりAT好きな子、知らないからね」 明確な答えではなかったけれど、それだけで充分だった。 「じゃあ何であんなこと言ったんだよ」 「……止めちゃ駄目だって、言って欲しかった?」 真っ直ぐに見返してくる茜色の瞳にぐっと言葉を詰める。 多分、そう言われたら、お前には関係ないと叩きつけていたと思う。 (…………止めてしまおうと思ったかもしれない) 素直に相手の言葉を聞けるような状態ではなかったし、反発して逆のことをしたかもしれない。 だがそれが判っているだけに、まんまと相手の策略にはまってしまったようで苛立つ気持ちもあるのだ。 「……それにもし本当にカズ君がAT止めたとしても、僕がカズ君を好きなことに変わりはないからね。カズ君の走りをもう見れなくなるのは残念だけど」 「……………」 久し振りに向けられた、ふんわりと柔らかく愛おし気な眼差しに、それだけで擽ったくなってきて何だか居心地が悪い。 ―――― 負けてしまいそうだ。 「それに、言ったろ? 僕はカズ君は最後は必ず自分で立ち上がれる人だと思ってるって」 「…………っ……」 重ねられた台詞に、初めてキスされた時のことを思い出してぱっと目元が赤くなった。 (…………んとに、コイツは……) ―――――― やっぱり勝てないような気がする。 あれだけ凹んで、荒んでみっともないところを見せて、八つ当たりめいた感情で彼を遠ざけた葛馬を、それでも変わらず信じてくれていた。 胸の奥の奥がほんのり温かくなるような感覚と、相反するちりちりとした苛立ちめいた感覚が酷くなって、いてもたってもいられず胸を掻き毟りたくなる。 ―――― けれど。 「……どれだけへこんでも、どれだけ傷ついても……絶対に折れない。僕はそのしなやかさがカズ君の一番の魅力だと思ってるよ」 おいで、と言うように腕が伸ばされて。 (…………結局、好きなんだ) 「………クソッ……」 低く舌打ちをしつつ、葛馬は差し伸べられた男の手を取った。 引き寄せられるままにソファに膝を付き、おずおずと男の項に腕を回す。 (…………そういやこうやって自分から抱きつくの、初めてかもしれない) 男の腕が腰に回って、引き寄せられて。 ひどく大事そうに抱き込まれて身体が重なると、触れ合った場所から心地良い温かさがじんわりと広がって、ちりちりとささくれだった感覚が溶けて行くのがわかった。 ほぅ、と小さく溜息にも似た呼気が漏れる。 (………何かもー、どうでもいいや) 同じことを考えているはずなのに、これほど違うと言うのが面白かった。 一人で、へこんで荒んで、何もかもどうでもいいと思った時とは全然違う。 あったかくて心地よくていつまでもこうしていたくて。 何も考えたくないんじゃなくて、何も考えられなくなる、と言う感じ。 「………おかえり」 「……んだよそれー」 耳元に囁くように落とされた言葉に、葛馬はくすくすと小さな笑いを漏らした。 「………何となく、ね」 包み込むように柔らかく、温かな掌が頬を撫でる。 久し振りのキスは、何だかヘンに甘く感じた。 |
アイオーンが薦めたから…と思っても仕方がない流れですよね、あれ。 タイミング悪いよエミリちゃん!(笑) 連載中の作品と言うことで原作がこれからどうなるか判りませんし(担架があったので望みは捨ててないのですが)、スピが居ないと困るのでこの辺りでうちのサイトでは ここから先は全部時間軸的には20号の事件の手前と言うことで……(苦笑)。 原作でスピット・ファイアが再登場したら進めたいと思います…(笑)。 |