長い間、葛馬もスピット・ファイアも口を開かなかった。 始めはどこへ向かっているのか判らなかったが、特に目的地があるわけではなかったらしい。 車はやがて東雲市を見下ろす高台の脇の少し広くなった場所で止まった。 晴れた日にはドライブに訪れる者もいるのかもしれないが、この雨と平日の夕方と言うことも会って他に車の影はなかった。 「…………」 絶え間なく降り続く雨が、側面のガラスにも、ワイパーの止まったフロントガラスにも、幾筋も幾筋も拠れた水痕を作っている。 沈黙が息苦しかったが、自分から口を開く気にはならなかった。 水音がどこか遠くに響いている。 手持ち無沙汰になって何気なく鞄を探った葛馬は鞄の小ポケットにくしゃくしゃになった煙草の箱が残っているのに気付いた。 最後に吸ったのはいつだったか、それからずっと放置されていたのだろう。 まだ2、3本残っているようで、この雨で湿気ているかもしれないと思いつつ葛馬はそれを取り出した。 同じポケットを探り、安っぽい百円ライターを取り出し、それを咥えて火を点けようとするがカチカチと小さな金属音が響くだけで中々火が点かない。 ちらりとスピット・ファイアがこちらを見るのが判ったが、葛馬はそれに気付かぬ振りで煙草に火を点け続けた。 「…………」 何度か試すうちにようやく火が点いて、苛立ちを紛らわすように深く煙を吸い込む。 久し振りとは言ってもそれ程禁煙生活が長かったわけでもない。 噎せるでもなく肺まで煙を入れればむしろ落ち着く気さえして、葛馬はふっと瞼を伏せた。 「…………っ!?」 それを吐き出すとほぼ同時に、視界が陰る。 慌てて瞼を上げると、すっと伸びてきた手がそれを取り上げるところだった。 「何すっ……」 「…………」 煙草はヤメロと何とか言われるんだと思った。 けれど予想外に、彼はそのままそれを自分の口元に運んだ。 長く繊細そうな指で煙草を支え、薄い唇に挟み。 目を緩く半眼に伏せてそれを吸う仕草に一瞬目を奪われて、それがまた悔しくて顔を顰める。 「………………」 「…………あんまり美味しくないね」 ふぅーっと長く紫煙を吐いて、男はポツリと呟いた。 「……じゃあ返せよ」 「……………」 低い声でそう言えば、聞こえていないはずはないのにスピット・ファイアはまるで知らん振りで足を組むと窓側に視線を反らす。 そうして美味しくないと言った癖に再びそれを口に運ぶのだ。 葛馬は眉を顰めて、結局それ以上何も言わずに二本目の煙草を取り出した。 「…………」 カチカチと苛立たしげにライターを弾くも中々火が点かない。 湿気ているのだろうと思っていたが、どうやら煙草だけではなくライターの方も寿命だったらしい。 良く見ると殆どオイルが残っていなかった。 「………チッ」 舌打ちの音にちらりと視線を向けたスピット・ファイアが身体を起こし、顔を……否、煙草の火を近づけてくる。 葛馬は一瞬迷って、それを咥えて先端をそちらへと向けた。 「…………」 頬が触れそうな程の距離に顔が近づいて、煙草の先端が触れ合う。 先端がほんのりと赤く染まるのを待って葛馬は身体を引いた。 「…………突然、ごめんね」 ようやく、意味のある言葉を聞いたと思った。 すぅっと深く煙を吸い込み、背凭れに背中を預ける。 「………正直、あんま会いたくなかった」 「……うん」 なるべく表情を動かさないようにしながら呟いた葛馬に驚くでもなく、男は緩く頷いた。 そのまま再びハンドルの上部に腕をかけ、半ば上体を預けて再び窓の外に視線を向ける。 見つめられていると上手く話せなくなりそうな状態の今の葛馬にはありがたくて、その反面こんな時にまで気を使われているのだと思うとますます苛立ちが募った。 「………アンタに会うと、考えたくないこと考えなきゃなんなくなるんだ」 葛馬の中で、ATと彼の存在は直結している。 ATがなければ出会わなかったし、理想のライダーとしてずっと憧れていた存在だ。 会えば考える、思い出さずにはいられない、思い知らずにはいられない。 理想と現実のギャップと、自分の惨めさを。 「………もう、考えたくねーんだよ」 煙草を咥えたまま、若干不鮮明な声で告げる。 その自分の台詞にさえ苛立って、ガシガシと乱暴に頭を掻いた。 「何かもうどーでもいいっつーか………」 車に備え付けの灰皿を開けて、苛立ちを紛らわすように乱暴にまだそれ程短くなっていなかった煙草の先端を押し付ける。 普段はタバコを吸わないのだろう、全く使われている気配のなかった灰皿が白く汚れていった。 「…………だから、もう、会いたくない」 溜息にも似た深い吐息と共に共に吐き出した台詞に、 「……………」 ―――― 沈黙が痛い。 男の口元から細い、紫煙が上がっている。 長い沈黙の後、スピット・ファイアは殆ど常と変わらない静かな表情で口を開いた。 「………送っていくよ」 その後は、二人共一言も口をきかなかった。 何度か送ってもらったことがあるから、今更道の説明をする必要もない。 「…………」 スピット・ファイアが何を考えているのか、わからなかったし、知りたいとも思わなかった。 自分のことで精一杯で、そんなことに気を回す余裕さえなかった。 見覚えのある道で車が止まって、葛馬は深い息を吐いた。 「…………サンキュ」 一応、送ってもらったことへの礼を告げ鞄を肩にかけた葛馬の前に、スピット・ファイアは薄い紙袋を差し出して来て。 「………これ、カズ君のだろう?」 「……………」 問いかけに何気なく中身を覗いた葛馬は眉を顰めた。 あの日、落としたきりになっていたニット帽が入っていたから。 「……居合わせたグループの子が拾ったらしくて」 届けに来たんだ、と男はいつものように緩く笑った。 「…………」 少し困ったような、どこか擽ったいようなその表情に、胸を掴まれた様な気分になる。 思わず泣きそうになって、ぐしゃりと自分の胸元を握り締めた葛馬に。 「………もし、ね……」 スピット・ファイアは常よりももっと柔らかな、穏やかとさえ言える表情を向けた。 「……もしカズ君がATを止めたとしても、僕はカズ君が好きだよ」 「……………っ…んで、そんなこと言うんだよッ!」 別に止めたいとか、止めるとか、そんなことは一度も言ってないはずだ。 (…………考えなかったつったら嘘になるけどさ) 泣きたいぐらい、苦しかった。 何もかも見透かされているようで嫌だった。 「………………」 動けなくなった葛馬の頬に、大きな掌が触れる。 「………おやすみ。怪我には気をつけて」 近づいてきた唇が耳元に柔らかな囁きを落とし、それだけで離れていった。 |
あの帽子どうなったんだろう…と思い。間が4、5日開いてそうなこともあって、拾ってきてくれたら嬉しいなあと…(笑) 余談ですが。 Iさん「あの帽子確実に船に落ちたなりよ…。遺失物預かり所までー…」 結城「多分拾ったのはスピじゃない…(笑。下の人が拾ったのを預かってきたイメージで…ジェネシス傘下とか ボルケーノとか、ガビシ包囲のときに回りうろうろしてた関係者とか(笑」 Iさん「下の人逃げ惑うカズくん追っかけたのか! 助けてやれよ!」 結城「『あ、とんだ!!……エエト向こう渡れないからとりあえず帽子拾っとこう…』って人がきっと(笑)」 Iさん「なんだその君みたいな行動するヤツ!!(笑」 結城「なにそれ!?>君みたいな」 『とりあえずこうしとこう』が僕らしいそうです…(笑)。いや、でも一応…何かしたくなるじゃないですか(何。 |