……キス、されちゃいました。 (……オデコに、ですが) どう反応すればいいのかわからず硬直している間に長い腕が伸びてきて、まるで壊れ物にでもするかのようにそっと抱き寄せられた。 身を捩ればすぐに外れてしまいそうな緩い動きは、まだ葛馬に逃げる隙を与えてくれているようでもある。 否、実際そうなのだろう。 (…………いや、別にいーんだけど) ぼんやりと過ぎった思考に、はっと我に返って慌てて頭を振る。 (いや、よかねえ! でもまぁ口じゃねーし……つーか付き合うってことは当然そう言うこともするんだよな) いつか可愛い彼女をゲットして、とは思っていたもののまさしく未知のセカイと言うよりない。 (キスはイッキに先越されたもんなー……相手は亜紀人だったけど。あのバカ男にキスされてやんのー……つーか笑ねぇ!! イッキの二の舞じゃん!) と言うかむしろ、抱き込まれている自分の方がヤバイ気がする。 亜紀人のあれは不意打ちだったがこれは同意、だ。 でも本当のところ、良くわかっていない自分が居るのも確かだった。 (………スキ、だけど) イッキやリンゴ達、ATやチームを好きな好きと、どう違うんだろう。 (……………違わない、気がする) 心臓がばくばく言ってるのは緊張すんのとと恥ずかしいのと、自分なんかに向けられるとは思わなかった言葉への驚きと嬉しさと……。 何で嬉しかったかと言うとやっぱりスピット・ファイアのことを好きだからなのだが、それは憧れとか優しいからとか、そんな子供っぽい感情からだと言えなくもない。 (付き合うってことは、そう言う意味で好きってことなんだよな? ……そう言う意味って?) 頭を抱えてしまいそうになる。 とんでもないことをしてしまったのではないだろうか、と考えて血の気が引いた。 (………多分、好きだ。すごく) 無くしたくないし、気不味くなりたくないと思う。 (……でも、男と出来んの?) …………イロイロと。 付き合ったりキスしたりとか、それ以上とか。 (……こうやって抱き込まれているのは心地いい、かも知れない、けど) ………付き合うって、どう言うことなんだろう。 「…………」 (…………面白いなぁ) 腕の中で青褪めたり、赤くなったり忙しなくぐるぐると回っているイキモノを見下ろしてスピット・ファイアは口端を緩めた。 「………キス、してもいい?」 戯れに声をかけると、びくっと大袈裟に跳ねる。 「えっ!?」 小動物を思わせる動きだ。 「……………」 「…………ぁー……その……ココロの準備が…出来てないんスけど……」 暫く黙っていると、不安そうな表情で顔を上げぼそぼそと小さく返してきた。 どこか怯えたような、困ったような表情をしている。 「……そんな顔をしなくても大丈夫だよ」 クスと小さく笑って、スピット・ファイアは手を伸ばすとその指通りのいい柔らかな髪を撫でた。 意識しているのだろう、少し緊張して身体が硬い。 (………まぁ、想定の範囲内だけどね) 落ち着かない様子で視線を泳がせていた葛馬は、男が頭上で薄く笑ったことに気付かなかった。 翌日は昼から練習だった。 少しゆっくりめに家を出て、スピット・ファイアがよく利用すると言うカジュアルなイタリアンカフェで朝食兼昼食をオゴられ、その後葛馬のリクエストでパーツショップに向かった。 スピット・ファイア行きつけのそこで、内緒で割引してもらって予備のホイールを購入する。 人一倍練習をする葛馬はすぐホイールを潰してしまうのだが、ホイールは一番高いパーツなのでありがたかった。 (………その後クレープ食ってー……なんかマジ、デートみたいなんですけど……) 昼過ぎに分かれて、学校で皆と練習して、その日は何事も無かったかのように帰宅した。 (いや、デートか? デートなのか!?) それから数日、一度も顔を会わせていない。 てっきりマメマメしく連絡が来ると思っていたのだが……それが尚更混乱に拍車をかけていた。 「……まー…カズしゃまーってば!」 「…………うぉわッ!?」 声をかけられていることにも気付かず自分の考えに沈んでいた葛馬は、肩を揺すられて手にした湯飲みを落としかけて思わず悲鳴じみた声を上げた。 「きゃっ!」 揺すった方も驚いたのだろう、同時に高い悲鳴が上がる。 驚いたように見開かれた互いの目が会って、ようやくそれがエミリだと気付いた。 「……………だ、大丈夫?」 「……お、ぉう……悪ぃ」 おずおずと問い掛けてくるのに葛馬はコクリと小さく頷く。 「湯のみ一つに何そんな真剣に悩んでんだよ、バーカ」 「うるせぇッ、ちょっとボッとしてただけだよっ」 げらげらと笑うイッキに噛み付き返し、葛馬は湯飲みを棚に戻した。 「やっぱ湯のみは渋すぎっかなぁ……」 ……現在修学旅行の真っ只中である。 葛馬達の年齢ではまだまだ寺巡りより土産物の方が重要だ。 もっとも女子の一部は縁結びの寺に異常な盛り上がりを見せているようだが……。 「お姉さんに?」 「うんにゃ、スピッ…………あ、いや……」 何気なく答えかけて、葛馬ははたと言葉を切った。 「……スピット・ファイア?」 どうしてと言うようにエミリが首を傾げるのに葛馬は内心冷や汗を掻く。 (…………いや、別に焦るこたねーじゃん) それからすぐに、お土産を買うこと自体にはなんら後ろめたいこともないと気付いて慌てて頭を振った。 「………いやその、ホラ、いつもタダで髪やってもらってっからさー、一応土産ぐらい買ってってやっかなと思って。……やっぱ無難なとこで生八橋にすっか!!」 あはははは、と誤魔化すように笑って、葛馬は銘菓の箱を手に取った。 「イッキ、お前リカ姉になんか買ったのかよ」 「あ? 別に考えてねーけど」 「ちゃんと買ってけよ、俺も姉ちゃんの買うし一緒見ようぜ。安達達はどーすんよ」 気の無い様子で振り向くイッキの襟首をひっぱりエミリ達を振り返る。 「あー、そう言えばさっき向こうに可愛い和小物のお店あったよ」 「お、マジ?」 「あたしも見たいし行こ行こー」 手を引かれて歩きながら、葛馬はホッと息を吐いた。 何だかようやく日常に戻ってきたような気がする。 (………非日常っちゃ非日常なんだけどさ) 「次はいよいよ清水寺よっ!」 「きゃー!!」 女の子達が連れ立って走っていくのに何気なく視線を向ける。 「はっ、一番乗り取られるっ!」 「早けりゃいーってもんじゃねーだろ、早けりゃ」 けらけらと笑う葛馬にエミリは予想外の台詞を返した。 「気持ちの問題! つーかやっぱさ、行くなら真剣に行かなきゃでしょ!」 極真面目な表情で、ほんのり目元が赤い。 「………お前も好きな子なんかいんの?」 「……い、いるに決ってんじゃん!」 その台詞に一気に真っ赤になって、口篭りながら答えるエミリに、葛馬は目を瞬いた。 (…………すげーよなぁ……) 真っ直ぐに見つめてくる瞳には、きっと自分には見えていない何かが映っているのだろう。 「……それってATやダチを好きな好きとどう違うンかな」 「全然違うよっ! ごめん、先行くっ!」 「おー、頑張って来いよ〜……」 速く速くと急かす中山と連れ立って走っていく姿を見送って、どこか眩し気に目を細める。 「…………女子ってさー。同じ年でも俺らよりずっと先走ってンだよなぁ……」 「は? 何言ってんだお前?」 「……何でもねーよ」 買い食いに勤しむチームメイトを見やり、葛馬は再度深い溜め息を吐いた。 |
すみません足掻き足りなかったようです(笑)。 人様の気持ちに全く気付かない鈍い子…(苦笑)。 |