人気のない、灯りの落ちた店内。
 閉店後の店に潜り込むというのは例え責任者の手引きとは言え始めは何だかいけないことをしているような気がしてドキドキしたものだがそろそろ慣れた。
 いつもの練習後、葛馬はスピット・ファイアと共に彼の店へとやってきていた。
 部分的に明かりが燈されて、その向こうで独特のオレンジ色の髪が揺れる。
 燃え盛る炎のように緩く、柔らかく絶妙なバランスで整えられた髪。
(………毎朝自分でやってんだろーな)
 ぼんやりとそう思っていたらどうしたの、と言う様に緩く首が傾げられ。
 慌ててなんでもないと頭を振ればそう、と不思議そうな視線が返った。
「じゃぁこっちに座ってもらえるかな」
 落ち着いた穏やかな声に促され、葛馬は一つ頷くと鏡の前に備え付けられた椅子へと向かった。
「いつもの色でいいんだよね?」
「ぁ、ハイ。」
 トレードマークのニット帽を鏡の前に置いて腰を落ち着けたところでふわりと黒いケープがかけられる。
 手際よく首にタオルが巻かれ、染色の準備が進められていくのを葛馬は何気なく鏡越しに眺めていた。
 いつ見ても、不思議と目を奪われる綺麗な所作だ。
「染みたら言ってね」
 染色料独特の鼻を刺すつんとした匂い、色の変わった旋毛の辺りを中心に薬剤が塗られてゆく。
 自分でやると見えない部分もあって手間取るのだが、流石に人に……しかもプロにやってもらうと早い。
 少し蒸らして馴染んだところで洗髪台の方に移動させられた。
(……あれ……なんか……)
 椅子の背が倒されて仰向けになった顔にタオルが乗せられて。
 視界が白く塞がれた途端、くらりとした。
「……………熱くない?」
「……ぁ、はい……」
 柔らかい水音、それと同じぐらい柔らかい、声。
 じんわりと少し熱いぐらいの温度のシャワーがかけられて、薬剤が流されてゆく。
 頭皮を揉むように優しく動く指先が心地良くて次第に目が開けていられなくなってきた。
(………やべ、寝そうっ……)
 眠ったら失礼かも、とは思うものの瞼はどんどん重くなってくる。
 少しでも上手く、少しでも早く、才能もセンスも持ち合わせていない自分に出来ることは練習だけ。
 毎日、毎日、それを辛いと思ったことはないけれど、少し疲れが溜まっていたのかもしれない。
 そう言えば昨日も遅くまで練習に夢中になっていた。
(……キモチ、イー……かも……)
 水音も指先も、何もかもが心地よくて、どんどん身体の力が抜けていく。
 静かな店内に規則正しい水音だけが響いていた。
「…………はい、お終い。もういいよ」
 丁寧にトリートメントまでを終えて、濡れた髪を手際よくタオルでくるりと包み、声をかける……が、葛馬はぴくりとも動かずスピット・ファイアは小さく首を傾げた。
「………カズ君?」
 そう言えば少し、頭が重かったかもしれない。
(……………眠ってる)
 目を開けている時より少し幼い、どこかあどけない表情で無防備に目を閉じているのが可愛くて、思わず小さく笑みが零れた。
「…………」
 戯れに指先で頬を突付いてみるが反応はなく、むにゅむにゅと口元が動いて眠そうな音が零れるだけで目を覚ます気配は無い。
(…………大分疲れているみたいだな)
 練習熱心なのはいいことだが、どうにも彼は根を詰める過ぎる傾向があるようだ。
 もう少し自分を大事にして欲しいと思うのだがこの性格ではそれも中々難しいだろう。
「………さて、どうしようかな」
 辺りを見回し、スピット・ファイアはふぅ、と小さく息を吐いた。


「……ン……」
 ごろり、と寝返りを打って葛馬は薄ぼんやりと瞼を開いた。
 視界いっぱいに広がる白いシーツ、仄かに覚えのある……でも自分の布団と違う匂い。
(…………あれ、なんだっけ……)
 意識がゆっくりと覚醒へと向かうのを感じながら、葛馬は緩く瞬いた。
「………起きた?」
「……………え!?」
 低く耳に心地良い声、次第に視界がはっきりとし始めて。
 その中で覗き込んできていた端正な顔立ちの男と目が合って、葛馬はがばっと上体を跳ね上げた。
 上半身を起こした格好で辺りを見回して、其処が見覚えのない部屋であること、自分が大きなベッドに寝かされていたこと、そうしてそれをスピット・ファイアが覗き込んで来ていた事を知る。
(………えーと……)
 暫く何がどうなっているのかわからず混乱していたが、やがて彼に髪を染めてもらっていたところだったと思い出した。
「………あ、俺……途中で寝ちゃったんだ」
 だが何故自分がここにいるのかは全く見当がつかない。
 場所はおそらく彼の寝室、だろうと思う。
「疲れていたみたいだし、起こすのが忍びなくて」
 連れて帰ってきてしまった、と苦笑いを浮かべる男を見返し、葛馬は目を瞬いた。
 その向こう側に、壁にかけられた時計が……10時を少し過ぎた辺りを指しているのが見えたから。
「……やべ、姉ちゃんに連絡しなきゃっ!」
 今日は特に遅くなると言う話は聞いていない、きっと心配しているはずだ。
「家には電話しておいたから、そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
「……え? ……つーか、何でアンタが俺んちの電話番号知ってんだよ」
 携帯電話を手にしたところで告げられた言葉に葛馬は不審気に眉を顰めた。
「あれ、聞いてない? 前にカズ君を送った時お姉さんに名詞を渡したろう? あれを見てこの間店に来てくれたんだよ。その時予約カードを作ったから……本当は私的に使っちゃいけないんだけど、職権乱用」
 内緒、と口元に指先を当てて笑う男。
「幸い明日は学校も休みだし、快く了承してくれたよ」
「…………」
 よくよく考えれば、この男がそんな気配りをしないはずは無い。
 自宅はわかっているのだし、連絡先がわからなければとっくに自宅の方へ送り届けているだろう。
(…………あれ、てゆーかなんで家じゃなくて自分ちに……)
「カズ君にそっくりだね」
 一瞬過ぎった疑問は続く言葉に霧散した。
「……え? あ、そう? あんま言われたことねーけど……」
「細くて柔らかい髪質がそっくりだったよ」
(………さいですか)
 流石は美容師である。
「……………」
 姉に連絡が言っていると聞いて安堵したのも束の間、嫌な予感が過ぎって葛馬は眉を顰めた。
 顔を上げて改めて見返した男は『何?』とでも言う様に柔らかく首を傾げてやんわりと微笑んでいる。
 顔立ちは申し分なく整っているし、物腰は優しくて丁寧で、背も高くてスタイルもいい。
 声も落ち着いて耳に心地良く、その上美容師としての腕も確かで………いかにもイイ男だ。
 こいつに口説かれたらどんな女でもコロリと落ちるに違いない。
「……………手、出すなよ?」
「大丈夫だよ、僕はカズ君が好きだから」
「そっかー、なら良かっ……た?」
 さらりと告げられた台詞にほっと胸を撫で下ろし……かけて葛馬ははたと動きを止めた。
(………今なんつった?)
 男はやんわりと相変わらずの笑みを浮かべている。
(……………気のセイだよな、気のセイ……うん)
 胸を撫で下ろし、気持ちを落ち着けようと深く息を吐く。
 だがスピット・ファイアはそれをさせてくれなかった。
「良かったら、僕と付き合ってくれないかな?」
「…………………………どこに、ってのとは違、う?」
 続く台詞の意味を捉えかねて葛馬はぎしぎしとぎこちない仕草で首を傾げる。
「………出来れば継続的に。ずっと」
「…………ホモ?」
「と言うより性別には拘らない方、かな。今まで男と付き合ったことはないし」
 葛馬の率直な物言いに男は苦笑めいた笑みを浮かべて笑った。
 そのまま長い沈黙が落ちる。
 本気なんだ、と気付くまで長い時間がかかった。
 その間、スピット・ファイアはただ静かに葛馬を見守っていた。
「……………」
 じわりじわりと広がっていく、よくわからない感覚。
「………あ、いや、えーと、そのっ」
 かぁっと顔が熱くなるのがわかった。
(……な、なんだこれッ!?)
 思わず悲鳴を上げそうになって、葛馬は赤くなった顔を掌で押えた。
 心臓がばくばくとアリエナイ速さで脈打っている。
 それを押えようとするかのようにもう片方の手がきつく胸元握り締めた。
「………何か飲むかい? 少し落ち着いた方がいい」
 自分で混乱させた癖に、男はそう言って苦笑を浮かべて葛馬の頭を撫でる。
 それが極当たり前の仕草に思えて、何時の間にか撫でられることに慣らされてしまっていると気付いた。
「…………水、クダサイ。」
 お願いシマス、と頭を下げるとちょっと待ってて、と言い置いてスピット・ファイアは部屋を出て行った。
 暗い室内、細く開いたままの扉から見覚えのあるキッチンが覗いている。
 赤くなった頬を隠すように改めて両手を押し当てて、葛馬はベッドの上で膝を抱えた。
(………落ち着け俺!! つーか何? 何が起こってんの!? わけわかんねぇんスけど!!)
 まだ混乱中の葛馬の頬に、ひたりと冷たいものが触れる。
 のそりと顔を上げると、戻ってきたスピット・ファイアが葛馬の頬にミネラルウォーターのペットボトルを押し当てていた。
「……ぁ……」
 その冷たさが火照る頬に心地良い。
「とりあえずこれ、飲んで」
「…………サンキュ」
 手を伸ばして受取ったボトルのキャップを捻り、口に含む。
 冷たい液体が喉を伝い落ちてゆくのにホッと安堵の息を吐いた。
 少しだけ、温度が落ちて落ち着きが戻ってくる。
(…………コイツのことは好きだ、多分……)
 胸の奥に居た堪れないようなむず痒いような、じんわりと擽ったいような不思議な感覚がある。
 けれどそれは決して嫌な感覚ではない。
 同性でなければ速攻頷いていた、と思う。
「……………」
「……………」
 ちらりと隣を伺い見るとベッドに腰を下ろしたスピット・ファイアの優しい茜色の瞳と目があった。
 なんだか妙に優しい、愛しいみたいな目付きが落ち着かなくて慌てて視線を落とす。
「………………ちなみに、参考までに、付き合うとどうなンのか聞いてもいい?」
「そうだねぇ……とりあえず口実がなくても会えるようになるとか……手始めに明日、デートしようか?」
 両手でペットボトルを弄りながら尋ねれば、にっこりと微笑んでそんな提案をする男。
 胸がどきどきする。
「…………………条件、聞いてくれるなら」
 葛馬は長い長い沈黙の後、ぼそぼそと極小さな声で返した。
「………条件?」
「……そ……、………」
 耳元に顔を寄せて告げる。
 その内容にスピット・ファイアは目を瞬かせ……それからクスクスと可笑しそうに笑った。
「俺に取っては切実なんだよっ!」
「……了解、約束するよ」
 男はそう言って頷くと、そっと葛馬の前髪を掻き上げ。
 白い額に触れるだけのキスを落とした。

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 何でスピがカズ君を自分ちに持って帰ってったかと言うとそりゃあ眺めるためです(ぇ)。
 本当は家に送り届けるべきなんだろうけど……起こすのも忍びないし……(言い訳)……ごめんなさい本当はもうちょっと一緒に居たかっただけなんです。
 カズ君が中々頷いてくれなくて時間がかかりました…(笑)。
『…いや、好きなんだけどー好きなんだけどー! でも付き合うってどうなん!? 俺ホモじゃねえし! つかちょっと待ってぇぇ!!』と足掻くんです(笑)。

2007.05.08

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