「……他にもDVDはたくさんあるから、好きなだけ見ていいよ。上手い人の走りを見るのも勉強のうちだ」 すらりとした長身が立ち上がる。 同時に上からぽんと頭に手が載せられた。 「………え、マジ!?」 くしゃりと柔らかく髪を乱して驚く葛馬の頭からニット帽が取り上げられ、ガラスのローテーブルに置かれる。 「使い方はわかるね? 僕は少し書類の整理があるから、帰る時は声をかけて」 スピット・ファイアはどこか微笑まし気にクスと小さく笑って、そのまま振り向かずに扉を潜って行った。 「…………」 ぱたんと扉が閉じられる。 取り残されて、葛馬は一人呆然と辺りを見回した。 「……すっげー……」 …………改めて、すごい。 (……いいんかな) 何となく息を詰め、音を立てないように恐る恐るDVDラックへと近づいてゆく。 膨大な量のディスクはクラス別、アルファベット順に綺麗に並べて整理されていた。 ネットでよく見かける有名チームの名前が入ったディスクも多数あった。 (………………いや、でも折角だし) ………手を伸ばすと、止まらなかった。 こんな機会は滅多に無い。 始めはネットからダウンロードしたものかと思っていたが明らかに画質が違っていた。 幾つものアングルから一つの試合を追いかけたもの、ネットに上がっていたもののロングバージョン、その他諸々の葛馬では手に入らないだろうお宝映像が山と積まれているのである。 これに夢中にならないはずが無い。 終いには時間も忘れ、ラックとソファーの間を移動する手間さえ惜しんで机の上に何枚ものディスクを積み重ねて次々にそれをプレイヤーに飲み込ませていっていた。 「………君、カズ君」 「……え?」 かけられた声に驚いて顔を上げる。 反射的に振り向いて、一瞬彼が何故其処にいるのかわからなかったのだから間抜けだ。 「時間、大丈夫かい? もう随分遅いけど……」 その言葉に引き戻されて、目を瞬く。 自分は今、スピット・ファイアの部屋に居るのだった。 スピット・ファイアはいつもの炎を象ったエンブレムとファーの付いたロングジャケットを脱いで、すっきりとした白いパンツとハイネックのニットに着替えていた。 (………細っせぇー…) しっかりと筋肉のついた、けれどほっそりとした綺麗な身体付きをしている。 (……って俺、何考えてんだ!?) 大の男に向ける形容としては些か失礼なそれかも知れない。 葛馬は慌てて頭を振ってその考えを追い払った。 「…………カズ君?」 「あ、すんません。つい夢中になっちまって……」 不審そうに首を傾げる男に誤魔化すように後ろ頭を掻く。 「いや、こっちは構わないんだけどね。親御さんが心配するんじゃないかと思って」 「……あー、親は海外なんでそれは大丈夫なんスけど……」 「………独り暮らし、と言う事は無いよね?」 まだ中学生なんだし、と言外に問うスピット・ファイアに葛馬は苦笑を浮かべた。 「姉ちゃんと二人っス。でも今日は姉ちゃんも帰り遅い予定なんで……」 そう言った瞬間、ぐぅ〜と辺りに大きく間の抜けた音が響いた。 「…………」 「……ぁ……」 かぁっと一気に顔が赤くなった。 自覚した途端忘れていた空腹感が蘇ってくる。 (………そういや今、何時だ?) そう思った直後、ぷっと小さな音が漏れた。 「?」 「………っ…ふ…」 見ればスピット・ファイアは長身を折り曲げて、くっくっくっと肩を揺らして笑っていた。 「……そ、そこまで笑うこたねぇだろっ!」 「…………い、いや、ごめん、可愛いなと思って……」 思わず声を高くした葛馬にごめんごめんと重ねて、でも一向に笑いが止まる気配は無く大きな掌で口元を押えている。 「……かわッ……!?」 「夢中だったろ? さっき、声かけた時も中々気付かなかったしね。一生懸命で可愛いくてつい……」 裏返った声が上がるのにスピット・ファイアは一層可笑しそうに笑った。 確かにスピット・ファイアから見れば葛馬は子供でしかないだろう。 だがそこまで笑われるのも不本意である。 「……………」 葛馬がぶすくれた表情になるのにも気付かず、或いは気付いていてなお止まらないのか、スピット・ファイアはしつこく笑い続けた。 「……夕飯、どうする予定なんだい?」 「…………まだ考えてねーッスけど……」 一頻り笑い終わり、ようやく満足したらしい男が目元を押えて顔を上げる頃には不機嫌を超えて呆れを含んだ面持ちで、葛馬はぼそぼそと極小さな声で答えた。 「………この時間だとオニギリんちはもうムリだし、コンビニ弁当かな……」 携帯電話を開いて時間を確認し、小さく独りごちる。 (……まぁ終わってても多分言えば何か作ってくれるとは思うけどそれも悪りぃーし、第一そうまでした食べたい味でも……) ちょっと失礼なことを考えつつ、葛馬はちらりとディスプレイに視線を向けた。 「………あの、これまで見てっていいスか?」 プレイヤーには以前にネットで見たが、その時は画像が途中で途切れていて続きが気になっていた試合のDVDが入っていた。 「勿論構わないよ、ただしあんまり根を詰めすぎないように」 そう言ってまたぽんと葛馬の頭を撫で、スピット・ファイアは部屋を出て行った。 「…………完っ全ガキ扱いだな……」 しゃーねーけど、と独りごちて後ろ頭を掻く。 「……なんか調子狂うなー……」 一つ嘆息して、映像を巻き戻すべく葛馬はリモコンを手に取った。 「…………ふぅ……」 まだまだ見たいDVDがあったのだが流石に何か食べないとまずい、と後ろ髪を引かれつつ葛馬はディスクを仕舞ってディスプレイとプレイヤーの電源を落とした。 育ち盛りの胃袋はさっきから悲鳴を上げっぱなしだ。 「ありがとうございましたー………?」 扉を開けてリビングに戻ったところで違和感を感じて葛馬はくんと小さく鼻を鳴らした。 (…………あれ、なんかイイ匂いする) ミルク系の甘い匂いと香辛料の匂いの入り混じった、食欲中枢を刺激する香りだ。 匂いと人の気配を辿ってキッチンに向かうとちょうど振り向いた男がテーブルにグラスを並べているところだった。 「………………」 「……お疲れ様、勉強になったかい? 今呼びに行こうかと思ってたんだ」 こちらに気付いて、にこりと綺麗に微笑む男。 白いテーブルの上にはベーコンとアスパラガスだろうか、ピンクとグリーンの覗くパスタと、生ハムと赤いプチトマトの乗ったグリーンサラダが並べられている。 「あ、ハイ……ありがとうございました……………つーかこれ、アンタが作ったの?」 「他に誰か居るかい?」 (………いや、確かに居ませんけど) 葛馬は予想外の自体に混乱気味に辺りを見回した。 キッチンも白に統一されて綺麗に片付いて、だがそれなりに料理はするらしく調味料や調理器具類が整然と並べられている。 「大したものはないけど。パスタが嫌いでなければ食べていって。コンビニのお弁当よりはマシじゃないかな」 「…………料理、するんだ」 「独り暮らしだからね」 思わず呟いた台詞に、男は黒いシンプルなエプロンを外して椅子にかけながらくすくすと笑った。 「冷めると美味しくないよ、ほら」 躊躇っていたら後ろに回りこまれて、トンと背中を押されて椅子に促される。 「………そんじゃ……お言葉に、甘えさせてもらい、マス」 葛馬は小さく頷いて白い椅子に腰を下ろした。 スピット・ファイアはそれを見届けて向かい側に回り込み、自身も椅子に腰を下ろす。 フォークを手に取りそれを口に運ぶ様子を見ながら、葛馬は小さく頭を下げた。 「…………イタダキ、マス」 黒胡椒の香りを含んだ湯気を上げるパスタにフォークを差し入れ、くるくると巻き上げて、一口。 口の中に広がるほんのりと優しい塩味と胡椒のピリッとした刺激、コロコロの角切りベーコンとしゃきしゃきしたアスパラが入っていて、予想外に美味しい。 「……美味い」 思わず零れた台詞に男は嬉しそうに笑った。 「良かった」 「……料理、上手いんだ」 「パスタは殆ど和えるだけだし、サラダも千切っただけの手抜き料理だよ」 誰がやっても同じだと苦笑いを浮かべ、スピット・ファイアはグラスを口元に運ぶ。 「いや、でもなんか……スゲー……」 そうは言うものの出来る料理といえばスクランブルエッグにトースト、或いはインスタント、そのレベルの葛馬から見れば驚きと言うしかない。 空腹も手伝って、葛馬は勢い良くフォークを口に運び始めたのだった。 |
スピット・ファイアは料理も上手そうです。というか大抵のことはそつなくこなしそうな…(笑)。 栄養バランスを考えてアスパラガスを投入……一人ならともかく若い子に食べさせるなら野菜は必須(笑)。 |