どこに向かうか判らないまま走っているうちに、何時の間にか見覚えのある通りに出ていた。 葛馬達より少し上、高校生から20代の女性に人気のオシャレな店の並ぶ通りだ。 自分の買物で足を向けるような場所ではないが、何度か姉の付き合いで来たことがある。 (…………こんなとこに何が……) ………ついでに中坊が手を出すには少しお高い店が並ぶ通りだと言うことも知っている。 平日の夕方だと言うのに混みあった通りを男は慣れた足取りで進んで行った。 「……こっちだよ」 そう言って男が足を止めたのは一軒の美容室の前だった。 綺麗に塗られた白壁と、営業中は中が見えるようになっているのだろう、今は白いカーテンに覆われた大きなガラス窓が目立つ店だった。 すっきりとした、だが洒落たデザインで扉には『 Close 』と書かれた札が下がっている。 「………てか帽子……」 少し上がった息を整えつつ相手の手元を指差せば男はえ、と言う様にどこかきょとんとした表情を浮かべた。 「……あぁ、ごめんごめん、忘れてた」 自身の手元を見下ろし、しまったと言うように、誤魔化すように。 それから少し恥ずかしいみたいに目元を緩める表情が妙に可愛かった。 ごめんね、と重ねて帽子を返してくれる様子を見るとどうやら本人も握っていたことを忘れていたようだ。 (…………モテるんだろうなぁ) 背は高いし顔立ちも申し分なく整っているし、物腰も優しくて丁寧だ。 その癖こんな風にどこか悪戯っ子めいた表情を浮かべたりもする。 「どうぞ、入って」 何時の間に扉を開けたのか、男は躊躇うこともなく奥へと入ってゆく。 「え? クローズって……」 「大丈夫、僕の店だから」 慌てる葛馬の声に振り向いて、ニコと柔らかく微笑む男に葛馬は訳がわからず目を瞬かせたのだった。 「昼間は美容師なんだよ」 座って座って、と有無を言わさず美容院独特の足の付いた椅子に座らされた。 ペダルを踏まれて鏡の中で自分の位置が上がってゆくのがわかる。 足が付かないのが少し落ち着かない。 「………髪、あんまりケアとかしてない?」 鏡の中で美容師と言う肩書きの似合う長い指先が耳の近くの髪を弄っているのが少し、擽ぐったい。 「……いや、だって……別に髪質とか気にしたことねーし」 「そう?」 「男であんまり気にするヤツっていなくねぇ?」 「……染めてるのに」 指は続けて旋毛の辺り伸びてきたばかりの柔らかな部分へと伸びた。 「それはまぁ……」 「適当にやってると薄くなっちゃうよ?」 「……薄っ!?」 「そ、脱色って言うのはね、キューティクルを浮かせてメラニン色素を壊してるんだ。だからちゃんとトリートメントしないと傷むし、傷むと新しい毛も生えてきにくくなる」 ……薄い薄いと言われてはいるが、其処まで薄くなるのはちょっとタマラナイ。 絶句する葛馬にも気付かず男は柔らかく微笑んでいる。 「カズ君は特に細くて柔らかい髪質をしてるから気をつけた方がいいと思うんだけど……触り心地はいいけど本数の割りに少なく見えるタイプだね」 「……………」 不安そうに視線を揺らす仕草は極普通の少年だと思った。 (………少し言い過ぎたかな) 嘘は吐いていないが、だがその程度のことは誰でもやっていることだ。 ただ元が綺麗な毛質をしているのに勿体無いと思ってしまっただけのこと。 だが本当にそれだけならわざわざここまでのことはしない。 本当は何よりもただ、もう少しゆっくり彼と話をしてみたかった。 (………イッキ君やアギト君、ブッチャ君……その奇抜さからオニギリ君もか) 空の王の候補者と、牙の王。稀に見る巨漢と……まぁ色々と、違う意味で目立つ少年の中に埋もれて目立たない、けれど一番綺麗な走りをする彼と。 「……少しプリンになってるし、ついでに色も揃えてしまってもいいかな?」 「……え?」 「トリートメントとあわせて2時間ぐらい掛かるけど時間、大丈夫?」 一瞬何を言われたのかわからず葛馬は奇妙な声を上げた。 「あぁ、大丈夫。お金を取るつもりは無いよ」 財布を心配しているとでも思ったのか男が苦笑めいた表情を浮かべるのが見える。 「え、いや、でも何か悪いし……」 「それじゃあこれは僕からの健闘賞、と言うことにしよう。半分僕の趣味みたいなものだし、ね?」 だから付き合って、と言うようににっこり微笑まれれば、断りきれなかった。 結局その日、葛馬はたっぷり2時間かけてじっくりきらきらのつやつやにされてしまった挙句、遅くなってしまったからとこれまた高そうな車に乗せられて家まで送られてしまったのだった。 (………何やってんだろう、俺。) |
まだまだ恋心には程遠い二人。 カズ君の方には確実にまだまだそう言う感情はありませんが、スピット・ファイアの方は果たして何を考えているのか…(笑)。 |