(……なんか、ますます、アタリが強くなった気がする……)
 自分が、まだまだアイオーンの足元にも及ばないことはわかっているけれど。
 だがそれが当たり前であるだけに、少しおかしくも思うのだ。
「遅い! 何をやっているんですか。こんなことも出来ないでどうします? スピード系ライダーなら出来て当然のことですよ!」
 決して荒げるわけではない、だが怒声にも似た鋭い声に、葛馬は滴り落ちる汗を手の甲で拭って小さく舌打ちをした。
「っ、かってらぁッ!」
 ――――― 彼にも、目の前の男にも。
 全然かなわないのは、わかっているけれど、でも葛馬にだって意地と言うものがある。
「さっきからぶっ通しじゃねーか、ちったぁ休ませろよォ!」
 二人のやり取りを聞いていたオニギリが……とっくに根を上げて地べたに仰向けに寝っ転がっていたのだが……呆れた様な声を上げて。
「……確か、貴方も失敗していたはずですが?」
 向けられた冷ややかな声に縮み上がり、慌てて身を起こす。
「オ、オレはスピード系じゃねーから遠慮しとくっ」
 バタバタとブッチャ達のほうへと走っていくのを横目で見やり、葛馬はぐいっとニット帽を被り直した。
(元気じゃねーかアンニャロ……)
 目の前にまっすぐに聳え立つ校舎の壁が、やけに高く感じた。


 ベンケイのしごきも、負けず劣らず厳しかったけれど。
 同じ厳しいのなら、ぼんきゅっぼんのお姉様の方がマシと言うものだ。
(……それにしても)
 ようやく手に入れた短い休憩時間中、オニギリはまだ炎天下の中激しく動いている遠い二人を見やった。
「………アイオーンの奴、カズには特にアタリが厳しいよなァ……アイツ、なんかしたのか?」
 半ば独り言のような呟きを拾ってブッチャが苦笑を浮かべる。
「……まぁ、アイオーンはカズ君と同じスピード系ライダーだからね。色々と気になるんだろう。分かることも多いだろうし、勉強にはなってるはずだよ」
 同じ道を走ったことがあるからこそ、細かなところに目が行くのだろう。
 それだけに苛立ちがあるの違いがない……と、言うのだが。
「それにしてもよォ……」
 それだけにしてはどうにも執拗な気がして、オニギリはただでさえ細い目を細く眇めた。
「……まさかあのホモ眼鏡、カズに目ェつけたんじゃねえだろうな?」
「!?」
 休憩中の二人にスポーツドリンクを渡そうと歩み寄ってきたエミリが、びくっと硬直する。
「えっ?」
 ブッチャが身体の大きさに比べて小さな丸い目を瞬いて振り向いた。
 それを受けてオニギリはわざと考え込むような仕草で顎に指先を当てる。
「イヤ、だってよぉ。俺様程じゃねえけど、カズの奴チキンの癖に顔だけはまぁまぁ整ってやがるし……なーんて、マサカな」
 そうしてゲラゲラと笑った、のだけれど。
 笑ったのはオニギリ一人だった。
「………………」
「………………」
「ちょ、お前ら笑えよ! シャレになんねーだろ!!」
 奇妙な沈黙に慌てて身体を起したけれど、ブッチャは無言のままだ。
「………………」
「………シャレになんねーのはオマエだっつーの!!」
「うげ!!」
 直後、最近ますますパワーを増したと言う噂のエミリの容赦ない蹴りが疲れた身体に炸裂し、オニギリは再度地べたに倒れ付した。
 それに同情とも呆れともつかない視線を向け、ブッチャは同じ木陰でのんびり涼んでいた亜紀人に視線を向ける。
「………本当のところ、どうなんだい? アイオーンは……その……」
 言い出しにくいことではあるけれど、だが黙っても居られなかった。
 噂の発生源である亜紀人なら何かしら知っているに違いない、と思ったのだが。
「さーぁ、どうなんだろうねー」
 けれど帰ってきたのはいつもと変わらぬ飄々とした明るい声だった。
「言いだしっぺはアンタでしょ!!」
 エミリは半ばパニック状態で、カズしゃまがカズしゃまがと小さく呟きながらあっちに行ったりこっちに行ったりひたすらうろうろしている。
「僕じゃなくて咢だよ」
「……咢に、聞いてみてもらえないかな」
 ブッチャに促されて、亜紀人は小さく首を傾げた。
 眼帯に指を当てて、目を伏せて考え込むような素振りを見せる。
「…………んー……。なんかね。アイオーンって女の人に興味ないみたい。むしろダメってゆーか? だからホモって言われてるんだってさ」
 ――――― ぼとりと、エミリの手からペットボトルが零れ落ちた。
 何とも言えない奇妙な沈黙が落ちる。
(……そう言う性癖の人間が居る、と言うのは事実だし、偏見を持つのはよくない……とは思う、けど。それがあの男だと思うと、どうにも危険と言うか何と言うか……)
(………女に興味ねーなんて勿体ねぇなー。人生半分損してるぜ)
(カズしゃまが、カズしゃまが、カズしゃまが……!!)
 三人三様の内心を知ってか知らずか。
 亜紀人は無造作に取り落とされたペットボトルを拾い上げ、冷たく冷やされていた所為か表面に水滴をまつろわせるそれをぴとりとエミリのむき出しの腕に押し付ける。
「はっ!!……カズしゃまをあのホモの毒牙にかけてたまるもんですかっ!!」
 ……何かのスイッチが入ったらしい。
 振り向きもせずに葛馬とアイオーンに向かっていく後姿を見やり、亜紀人はふぅと小さく溜息を吐いてボトルのキャップを捻った。
(実は既に、もっと大物の牙にかかってるんだけどねー……)
 それを口にすればパニックは免れないだろう。
 ブッチャもオニギリも、まだ何か考え込んでいる様子で暫く帰ってこなさそうだ。
(ま、一応黙っといてあげるって約束したしー……僕には関係ないしねー)
 冷たいスポーツドリンクを煽りながら、亜紀人は内心小さく呟いて、よいしょと元の場所に……木陰を演出する木々の幹と、無造作に置かれた岩がちょうどいいベンチだった……腰を下ろした。
(………面白がってるだろ)
「もちろん、決まってるじゃない」
「……え、何か言った?」
 小さな呟きを拾い、クーラーボックスを両手で引き摺るように運んできた弥生が首を傾げる。
「なーんでもー」
 そう言って、亜紀人はニッコリ綺麗に笑った。


「……アイオーンが?」
 それとなく注意を促そうとしたけれど。
「えぇ? そんなんありえねーってぇ」
 葛馬はまるきり気にした様子もなく、絶対ないないと片手を振った。
 けらけらと笑いながら上半身裸のままで備え付けのベンチに腰を下ろし、スポーツタオルで乱暴に濡れた髪を拭い始める。
「いや、でも……」
「確かにホモだって噂はあるけどさー。……あ、そういや下マッパでイッキに迫ったって話しあったよな? もしマジだとしたら危ねーの、イッキなんじゃねぇの?」
 練習が終わって何時もの様に運動部用のシャワールームで汗を流した後のことで、アイオーンらはとっくに引き上げてしまっているから声を潜める必要はない。
 本気で友人の心配をする素振りに、ブッチャはようやく彼が異常に鈍かったことを思い出した。
(……安達さんの見え見えの片思いにまったく気付かないぐらいだもんね……)
 確かに樹に並々ならぬ関心を寄せているようだが、それはあくまでも彼が風の王の候補だからだろう。
 幼馴染で親友と言う立場にあるだけに、距離が近すぎるのか葛馬はその辺りの意識が薄い。
 ATを始めてまもなく、王の何たるかへの造詣が浅いのかも知れない。
 アイオーンの態度は、風の王候補である樹と牙の王である咢へ向けるものと、自分達その他の三名に向けるものであからさまに違っている、と言うのがブッチャの見解だ。
 ブタ、黒豚、ウスィ〜の。
 それがアイオーンのその他三名の呼び方であることからしても明確だろう。
 当然もともと、三人への当たりは強いのだけれど。
「確かにそうなんだけど……でも最近のアイオーンの君への態度は少し、行き過ぎていると言うか……」
 最近はとくにそれが、葛馬に集中しているような気がしてならない。
「……それは俺が、全然だからだろ」
 急にトーンを落として、葛馬は動きを止めた。
 同じスピード系ライダーの左からすれば、葛馬のつたない技術は苛立ちを誘うものだろう。
 何故この程度のことが出来ないのかと、冷ややかな声を向けられたことは何度もある。
 まったく関係がないのであれば無視をすればすむところを、それが子烏丸のメンバーであると言うだけで……樹の、幼馴染であると言うだけで、面倒を見なくてはならない。
 その上、樹が居ないだけの仮のことであるとはいえ実力もない者が子烏丸のリーダーにおさまっているとなれば……気に入らぬのも道理と言うものだ。
(あ……)
 僻むでもなく、それは紛れもなく事実だと信じているように。
 躊躇いのない口調でそう告げられて、ブッチャはしまったと眉を顰めた。
 最近ようやく吹っ切れたようだったのに不味いところを突いてしまったようだ。
 人一倍努力家で真面目な葛馬は、その分落ち込みやすく、真面目すぎる人間特有の鬱に入り込みやすい。
「僕は、そうは思わないけどね。アイオーンにはまだ叶わなくても、レベルは上がってきているし、初めてまだ数ヶ月と言うことを鑑みれば大したものだと思うよ?」
 たいしたフォローになるとも思えなかったが……葛馬は人の意見を聞かないと言うわけではないのだが、自分に自信がないあまり相手の買いかぶりだと思い込んでしまう節がある……そう言って、宥めるように肩を叩く。
「もしアイオーンがそう思っているのだとしたら、それは彼が所謂天才だからであって……」
「イッキだってそうだろ。だからさ、そうじゃなきゃここにいる資格がねぇって思ってんじゃねぇの」
 けれど葛馬はそう言って苦笑いを浮かべた。
 タオルを置いて、スポーツバッグの中から取り出したトレードマークの白いパーカーを被る。
「まぁそんなんわかってんだけどさ。だからちょっとでも近づけるよう、頑張んねーとな」
 すぽっと頭を出すと同時に、彼は照れ臭いのかどこかはにかむ様ににかっと笑った。
(…………前向きなんだか、後ろ向きなんだか……)
 わかんないよね、と呟き。
(……第一、そうと決まった訳でもないし……)
 一応気をつけておこう、と。
 ブッチャは目の前の厄介な人物に対し深い溜息を吐いた。

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 コメントを書き換え忘れていたことに気付いたりしたわけです……orz。
 ええと、ハイ。やっぱりスピとカズ君が居ないと寂しいわけで……オチは決めてるんですけど、其処に至る過程にまだちょっと悩んでます。
2008.8.24

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