「そう言えばもうすぐ夏祭りだね。僕はいつも仕事で忙しくて行ったことがないんだけど……カズ君は行ったことある?」
 白いソファで寛いでいたら後ろから声をかけられて、葛馬は眺めていた雑誌の紙面から顔を上げた。
「……あー、もうそんな時期だっけ。花火もあんだよな」
「うん、僕も花火はベランダから眺めたりしてるんだけどね」
 近所の神社のお祭りはそれほど規模の大きくはないが、花火も上がるし屋台も並ぶ夏の定番イベントだ。
「俺は毎年行ってるかな。小学校ん時は家族と、中学入ってからはイッキ達と」
 今年の予定はまだ決めていないが確か去年はイッキ達と買い食いと冷やかしに勤しんだ。
「……今年の予定はもう決めてるのかな? 僕は仕事があるから少し遅くなってしまうかもしれないけど……良かったら一緒に行かないかい?」
 祭り当日は浴衣の着付けにヘアメイクにと美容院は大忙しなのだろう。
 それでも誘ってくれた気持ちは嬉しくて、でも頷くことはできなかった。
「………でも、イッキ達も行く……だろうからさ」
「やっぱりイッキ君達と一緒の方がいいかな」
 少し残念そうに笑う男に葛馬は小さく唇を尖らせる。
「……そうじゃなくて、俺もアンタと一緒に行きたい、けど。でももしあいつらと遭遇したらどんな言い訳しろってんだよ」
 イッキ達と遊ぶのも楽しいのは本当、だけど。
 でもそういう特別なイベントには出来れば恋人と一緒に行きたいと思う。
 それなのに肝心の恋人は葛馬がまだイッキ達と遊びにいく方を優先させたい子供だと思っているのだから自然と拗ねた声も出ようというものだ。
「………だから、無理」
 スピット・ファイアとお祭りに行ったとして、もし神社で遭遇してしまったらどんなことになるか考えるだけで血の気が引く。
(……大体こいつと出かけて目立たないわけがないし……)
 人込みでも頭一つ飛び出る長身に加えて鮮やかな赤ともオレンジともつかない独特の色合いの頭は遠くからでもかなり目立つし、整った顔立ちも回りの女どもの視線も間違いなく惹きつけるはず。
 こっそり祭りを見て回るなんて絶対に無理だ。
「………じゃぁイッキ君達にばれなければ、いいんだね?」
「? ……あー、まぁ。でもそんなん……」
「全部僕に任せてくれる?」
 妙に自信あり気に微笑む男に、頷いてしまったのが間違いだった。


「……イッキくーん、僕あれ食べたいっ」
「ウルセェ、耳元で叫ぶな! 自分で買え!」
 腕にしがみつくように爪先立ち、耳元で大きな声を上げる亜紀人にイッキは彼以上の大きな声を返した。
 人の喧騒と頭上で響く花火の音が煩くて声が掻き消されてしまいそうだ。
 それでも妙に浮かれた気分になってしまうのはそれがお祭りだからか。
「一緒食べようよー、ね? ね?」
 男性陣は普段と変わらない服装だがしつこく腕を引っ張る亜紀人は例外的に絣の浴衣姿で。
「あ、ねぇねぇリンゴ飴食べない?」
「私杏飴がいいな」
 林檎や弥生達は気合の入った浴衣姿だ。
 色鮮やかな浴衣で髪を結い上げたりしている格好はまるで別人のようで……けれどそれは外見だけで、浴衣を着たからといってそう簡単に性格が変わるはずもなく。
「焼きトウモロコシに焼きソバにタコヤキ、イカ焼きだろ。あとみたらし10串と……」
「って食いすぎ!」
 早くも両手に抱える程色々買い込んでいるブッチャにエミリの突っ込みが飛ぶ。
「………この人込みなら多少手が触れても……」
「犯罪犯罪!! ちょっ、近づかないでよっ!」
 いつものように騒がしい集団だがいつもはあるはずの顔が一つ足りない。
 葛馬は今年は姉と一緒に出かけることにしたとメールを送ってきてエミリを大いに凹ませた。
「……ん、あれ……炎の兄ちゃんか?」
「え?」
 何気なくあたりを見回したイッキの目に見覚えのある赤が映った。
 釣られるように亜紀人が顔を上げる。
 人込みの中から並外れた長身とその天辺の鮮やかな赤がひょっこりはみ出ていた。
「おーい」
 花火の音に負けないように声を上げて、人込みを掻き分けて近づいていけばこちらに気づいたのだろう、男が驚いたように目を瞬かせるのがわかった。
 浴衣姿で、同じく浴衣姿の長身の女性と一緒のようだ。
「……イッキ君。こんばんは、君達も花火を見に?」
「? あ、あぁ、アンタも?」
 一瞬の奇妙な間を置いて、男は緩く首を傾げた。
「……ツレは彼女? 隅に置けないねえ、コノコノっ」
「あはは、まぁそんなところかな。そういうイッキ君も?」
 揶揄る様にそう言って、肘で腹の辺りを小突いてやれば苦笑いめいた声が返る。
「はぁー? ちげーよこいつらはただのダチだって」
「えー、そんなこと言わないでよぉ〜」
「お前男だろ!」
「あははは、相変わらずだね。亜紀人君も、元気そうで何よりだよ」
 くすくすとおかしそうに笑う男。
 背が高くてガタイもいいから黒に近い濃灰色に白い雪の刺繍の入った浴衣がよく似合っている。
 何気なくその大きな体に隠れるように立っていた女の方に顔を向けるとぱっと勢いよく顔が反らされた。
(………ん?)
 どこかで見たような、既視感の様なものを覚えて目を瞬く。
 祭りの熱気に当てられたのか栗色の髪に縁取られた白い頬がほんのり赤くなっている。
 オレンジとベージュのグラデーションで落ち着いた模様の浴衣姿で、控えめではあるがバッチリ化粧が施されて睫がキラキラしてて……大学生ぐらいだろうか。
(……あー、誰かに似てると思ったらカズの姉貴に似てんだ)
 細身ですらりとした体型で、どことなくではあるがカズの姉ちゃんに似ている気がする。
 おずと男の背中に隠れようとする仕草が妙に子供っぽくて少し意外だ。
「……あぁ、ごめんね。人見知りするんだ」
 イッキの視線に気づいたのだろう、スピット・ファイアが庇うように片手を差し伸べて彼女を背中に隠した。
(コイツの彼女ったらもっと大人のイメージ何だけどなー……)


「やだよ、絶対バレるって! 大体なんで女装なんだよ!!」
 スピットファイアの店が閉まる時間に美容院を訪れるとちょうど他の従業員が帰っていくところで。
 葛馬は奥の着付け用の小部屋へと通された。
 向かい合って腰を下ろしたスピット・ファイアはじゃあ始めるね、とごく当たり前のように微笑んでメイクボックスを取り出して。
 これから何をされるか悟った葛馬は顔を真っ赤にして頭を振った。
「大丈夫だよ、僕の腕を信じなさい。性別が違う方が先入観が入るし、化粧してても怪しまれないからね。男が化粧してたらどうしても目立っちゃうし……」
「う……じゃあ化粧やめ……」
 確かにビジュアル系のバンドでもあるまいし男が化粧してたらヘンだとは、思うけど。
「そのままだとばれちゃうでしょ。喋ると歪むよ、口閉じて」
「ぅ……」
 水っぽい甘い匂いの液体と白っぽいとろっとした液体、よくわからないクリームに肌色のとろっとした所謂ファンデーション? 何だかよくわからない粉っぽいのだとか次々に塗りたくられて青息吐息。
「……毎日こんなことしてんのか……女ってスゲーな」
「結構変わるからねえ……言うでしょ、女は化けるって。男でも結構化けるものだよ」
 早くもぐったりとした表情の葛馬にスピット・ファイアは苦笑を浮かべた。
 ベージュを基調に落ち着いた色合いで統一したメイクを施し、ホットカーラーで睫を上げてマスカラを塗ればだいぶ大人びた女性らしい印象になる。
 ウィッグは落ち着いた栗色で頬のラインを隠せるように緩いウェーブを描くロング。
 本当は折角の浴衣なのだから綺麗な項が見えるようにアップにしたかったのだがウィッグだということがばれてしまうから諦めた。
 オレンジからベージュに切り替わるグラデーションの浴衣はこの日の為に選んできたもの。
(……本当は青系が似合うと思ったんだけど)
 少しでもバレるリスクを減らす為に敢えて青系は外して普段あまり身につけない色をチョイスした。
「………はい、出来上がり。見てごらん?」
 胸や腰の辺りにタオルを詰めて控えめにではあるが女性らしい体形を作り、着付けを終えて両肩に手を当ててくるりと鏡の方を向かせると、鏡の中の女性がぽかんと大きく口を開けた。
「……口は閉じようね、なるべく」
「って、えぇー!?」
 ………折角の美女っぷりが台無しである。
「うわすっげ、誰だよコレ!」
 そのまま鏡に張り付いてしまった葛馬にスピット・ファイアは苦笑を漏らす。
「コレならばれないでしょ?」
 長い沈黙を落として、葛馬は小さく頷いた。
「…………うん……つーかこんなに変わるもんなんだな……なんかホントに女みてェ」
「カズ君は顔が小さくて形が綺麗だからね、一度メイクしてみたかったんだ」
 後ろから回り込んできた大きな掌が両脇から葛馬の顎を掬い上げるようにして……葛馬はハタと目を瞬かせた。
「………って、それが目的か! 変態ッ!」
「……職業病といってください」


 浴衣に着替えたスピット・ファイアと手を繋いで……そう、手を繋いで!だ。ばれなきゃいいかなと思ってやってしまった……夏祭りの会場に辿り着いた時にはもう花火は始まっていた。
 観衆の多くが頭上に咲く花に集中していて周りを見ていない。
 これならバレずにすむかなとホッと安堵の息緒ついたのも束の間、だった。
(…………最悪……)
 泣きたい気分で視線を落とすと今度はオニギリと目が合って、葛馬は慌てて顔を隠すようにスピット・ファイアの背中に額を押し当てた。
(うわっ……)
 足の先から少しずつ上がってくる、舐めるような視線に寒気を覚える。
 いつもこのねちっこい視線を辺りバラ撒いているのかと思うと自分のことでもないのに何だか妙に女性陣に謝りたくなった。
「…………」
 そんな葛馬の嘆きも知らず、オニギリは一人静かに苦悩していた。
 大学生ぐらいだろうか、すっきりとした顔立ちで彫りの深い美人だ。
 ―――――― けれど。
(……俺様のレーダーが反応しないのは何故だ)
 確かに美人、なのだがあまりにも細すぎてふくよかとは対極にあるからだろうか。
 すらりと背が高くすんなりと伸びた手足は綺麗だが全体的に凹凸が少なく筋張って硬そうだ。
(……まさに洗濯板だな……)
 オニギリにとって最も重要である胸は申し訳程度の膨らみで……タオルが入れられているだけなので当然と言えば当然だが……年齢を鑑みるにこれから爆発的な成長も期待できそうにない。
「……やっぱり貧乳だからか」
「確かに胸はないけどね……」
 オニギリの漏らした呟きを拾ったスピット・ファイアがぼそりと呟いて一気に頭に血が上る。
「……たりめーだっ」
 相手に聞こえるか聞こえないかの小さな声で吐き捨てて、葛馬は容赦なくげしっと後ろから男の下駄を蹴り上げてやった。
「!?」
 予想外の一撃に男が慌てて振り向くのを待たずに踵を返し、人込みを掻き分けて逃げ出す。
「あ?」
「ちょっ……ご、ごめんね。じゃあまた」
 何が起こったかわからず首を傾げるイッキ。
 名前を呼びかけて、不味いと慌ててそれを飲み込んで、スピット・ファイアは葛馬の後を追った。
「なんだぁ……?」
 残された一同はただ人込みの中に消えていく二人を見送るしかない。
 珍しく慌てた背中にあの男でも彼女には弱いんだなぁ、なんてぼんやり考えたりなんか。
「……貧乳気にしてたんだなぁ、彼女」
「…………」
 したり顔で深く頷くオニギリに、亜紀人は胡乱な視線を向けた。


「……バカヤロウ、タコ、スケベ、変態、この燃え頭」
 静かにではあるがあらん限りの罵りを口にする葛馬にスピット・ファイアは苦笑いを浮かべた。
 拗ねているのだろう、葛馬はずっと俯いていたままでこちらに顔を見せてくれない。
「でもバレなかったでしょ?」
「ルセェ、もう帰るっ」
「まだ花火、始まったばかりだよ? イカ焼きとカキ氷食べるんじゃなかったの?」
「………綿飴とリンゴ飴とタコ焼きも食う。全部お前の奢りだからなっ!!」
 ようやく振り向いた葛馬の顔は真っ赤で、涙目で。
 それが可愛くてスピット・ファイアは思わず口元を緩めた。
「はいはい、姫君の仰せのままに」
「誰が姫君だッ!」
「今日だけ、ね」
 ちゅ、と音を立てて額に口付けを落とせば耳までユデダコのように綺麗に顔が赤くなる。
「……なっ、おま……!!」
「大丈夫、みんな花火に夢中で見てないよ」
 まるで金魚のように口をパクパクさせて辺りを見回す葛馬にスピット・ファイアはくすくすと笑った。
「………信んじらんねー」
「何味にする?」
「………ブルーハワイ。あと、鈴カステラも食う。」
「僕はイチゴにしようかな、練乳多めで」
 鮮やかなブルーの蜜のかかったカキ氷を手渡されたぐらいでは機嫌は治らない、けれど。
「イチゴ食べる? あーん」
「え、あ。」
 ミルクのかかったイチゴのカキ氷を顔の前に差し出されて反射的に口を開けてしまった。
 甘くて冷たい感触が口の中に広がって、溶けて行く。
「………お前、ズルイ」
「……そっちも一口」
 頂戴、と言うように口を開けるから思わずスプーンを手に取りかけて……ここが人込みだということを思い出して葛馬は慌てて頭を振った。
「あ、後でっ! さ、さっさと買うもん買ってどっか空いてるとこ行こうぜ」
「………溶けちゃうよ?」
「だからさっさと行くっ!!」
 赤くなった顔を見られまいと葛馬はがつがつと人込みを掻き分けて進み始めた。

BACKNEXT


 書いているうちにどんどんどんどんどんどん長くなりまして。
 黒炎君はなかなか出てこないし、余計な人達は出てくるし、最初の予定と違う方向に進むし(笑)。
 夏祭り編後半に続く、と言うことで…(苦笑)。
2007.07.28

戻ル。