………のが、よくなかったのかも知れない。 慣れない下駄の鼻緒で擦れて、足が痛くなってしまった。 「うぅ……」 人気の少ない境内に避難して……花火が欠けて見えてしまうのが難点だが、こんな格好でこんな状況で人込みの中にいるよりマシではある……端の岩棚に腰を下ろし、葛馬は眉を顰めた。 「……大丈夫? もう帰る?」 「…………まだ花火、終わってねえし。」 しゃがみ込んだスピット・ファイアが濡れたハンカチで赤くなったところを冷やしてくれるのを見下ろしながら、葛馬はごにょごにょと小さく呟いた。 折角、こんな格好をしてまで来たのに花火も見ずに帰ってしまうのは何だか悔しい。 「………少し休めばマシになるとは思うけど……どちらにせよ交通規制が引かれてて車も回せないしね」 拗ねた様な葛馬の表情にスピット・ファイアは苦笑を浮かべた。 花火が終わるまでは神社の周辺は車の乗り入れが禁止されている。 大通りまで出てからタクシーを拾うか、或いは一度車を取りに戻るという手もあるが、この格好の葛馬を一人で置いておきたくはない。 女の子にしか見えないから非常に危険だ。 「………スピット・ファイア?」 「ん? あぁ、何でもないよ」 不安そうな葛馬の声に安心させるように緩い笑みを浮かべ、スピット・ファイアは立ち上がるとぽんと葛馬の頭に掌を乗せた。 「氷分けてもらってくるから少し待ってて」 「……ん」 境内の入り口近くにあるラムネ屋へと向かって行く後姿を見送って、溜息を落とす。 見下ろした先、赤剥けた指の付け根がひりひりと痛かった。 「………っぱ普通のカッコできたかったなぁ……」 ぼそりと小さく呟く声が漏れる。 でももし普通のカッコで来ていたらそれはそれで、イッキ達に遭遇して大変なことになっていただろうからこれはこれでよかったのかもしれないけれど……。 「………」 悶々と考え込んでいたらふっと目の前が翳って、スピット・ファイアが戻ってきたのだろうと思って顔を上げた葛馬の目の前に立っていたのは。 見覚えのない、大学生ぐらいの2人組だった。 「ねぇねぇ、彼女ひとりー? 可愛いーねー」 「良かったら俺達と遊ばない?」 「…………」 一瞬何を言われたのかわからなかった。 「一人で居てもつまんないでしょー、ほら」 「……ぇッ」 ぐいっと手首を掴まれて無理やり立ち上がらされそうになって、思わず声を上げかけて慌てて口元を押さえる。 「?」 驚いたのは向こうも、で。 引っ張れば簡単に引き寄せられるはずの一見華奢な少女が踏み堪えたのに目を瞬かせている。 (………ま、さか……ナンパ、ですか?) 男だと、ばれている様子はない……多分。 「あ? 何やってんだよ」 「や、意外と力強くてさー。そんなに嫌がるなよー」 (………どどどどどーしよう!?) 声を出せば女装だとばれてしまうから、声も上げられない。 スピット・ファイアはまだラムネ屋のところで店の親父と何やら話している。 (……早く戻って来いよバカスピッ!!) どうしたらいいかわからなくて涙目になって、ぎゅっと瞼を瞑った葛馬の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。 「嫌がってますよ、放してあげてもらえませんか?」 (……え?) 恐る恐る瞼を上げた葛馬の目に映ったのは、どこかで見た覚えのある黒髪の男が葛馬の腕を掴んだ男の腕を掴む光景だった。 「あ……」 この間一度だけ会った、スピット・ファイアの部下の人、だ。 (確か……黒炎、とかって……) 前に見たチームジャケット姿ではないけれど、でもあの独特のヘアスタイルは見間違えようがない。 炎のチームの人ってみんなそうなんだろうかとぼんやり場違いなことを考える。 「んだ、お前。引っ込んでろよ、彼女はこれから俺らと遊びに行くの」 「……私には嫌がっているように見えますが?」 二人の男を相手にしてもまったく怯む様子のない穏やかに落ち着いた所作が少し、似てるかもしれない。 「だとしてもアンタに関係ねーじゃん?」 「そーそー、お呼びでないっつーの」 男達は今度は自分の邪魔をした黒炎へと絡み始め、険悪な空気が辺りに漂う。 スピット・ファイアの片腕らしいから多分、強いのだろうけど。 本当に女の子ならともかく、自分は男なのだし巻き込んでしまうのも何だか悪い気がする。 かと言って口を挟むことも出来ず……。 「……お呼びでないのは君達の方かな」 おろおろと黒炎と男達の間で視線を泳がせていたら今度は良く聞きなれた声が聞こえて、葛馬はぱっと顔を上げると男の腕を振り払ってそちらに足を向けた。 浴衣姿の広い背中にしがみつくように隠れれば、一瞬嬉しそうな気配がしたような。 (…………とりあえず、気づかなかったことにしといてやろう) 気づいてしまったら恥ずかしいやら悔しいやらで殴りたくなってしまいそうだ。 「!?」 「スピット・ファイア!」 まさかこんなところで会うとは思っていなかったのだろう、黒炎が驚いたような声を上げた。 男達は葛馬一人を相手にしていた時とはまったく態度が違って、明らかに腰が引けている。 2対2になったこともだが、190近い長身に……ただでさえ長身なのに下駄を履いている所為で今日はいつもより更にでかいのだ……ド派手な赤い頭の男に喧嘩を売る勇気のある若人もなかなかいないだろう。 細身で一見ひょろりとした印象だが明らかに格が、違う。 (……それはそれですっげームカつくんだけど) 男達は顔を見合わせて、チッと小さく舌打ちをしたかと思うとぼそぼそと何事か囁きあい。 「……ったく、男が居るんなら早く言えっつーの」 「行こうぜ、バッカバカし」 小さく吐き捨てると忌々しそうにこちらを睨みながらその場を離れていった。 「……ふあぁぁ……」 「大丈夫? ごめんね、気づくのが遅くなって」 崩れそうになるのを相手にしがみつくことで堪えて深く息を吐く。 向き直った男の胸に抱き寄せられて背中を撫でられると妙に安心して力が抜けてしまった。 「……驚きました、まさかこんなところにいらっしゃるとは……」 その背中を見やり、黒炎は溜息にも似た声を漏らした。 背が高くしっかりとした身体付きをしているから浴衣は申し分なく似合っている、が、この男と夏祭りと言うのはどうにもミスマッチだ。 確か毎年花火だけ自宅のベランダからのんびり眺めている、と言っていたような。 「黒炎君こそ。まさか一人……じゃないよね?」 「えぇ、私は友人とはぐれてしまって……そちらの方は?」 短く返しつつ、黒炎はスピット・ファイアの胸に顔を伏せた少女の方へと視線を向けた。 よほど怖かったのか一度も声を発することも、顔を上げることもなく俯いている。 ………彼がここに居る理由は間違いなく、彼女だろう。 「黒炎君は一度会ってるはずだよ?」 「……バッカ!!」 「え?」 緩く首を傾げたスピット・ファイアの声に、予想外に低いどこかで聞いたような声が重なった。 (……低い、と言うかまるで男の子みたいな…………ん?) 罵声と共に顔を上げた少女の目は晴れた空のような鮮やかな青、だった。 ―――――― ごく最近、見たことのあるような。 視線に気づいたのかこちらを向いた少女がしまったと言うように目を見張って、それから慌てて顔を逸らすも、時既に遅し。 「………葛、馬くん?」 スピット・ファイアの本職とその腕を知る黒炎だからこそ辿り着いた、着いてしまった。 ふわふわと緩いウェーブを描く栗色の髪はウィッグ、綺麗に施された化粧はきっと、おそらく、間違いなくスピット・ファイアの手によるものだ。 「うぅ………」 観念したのか低く情けない唸り声と共に彼女……否、『彼』が振り向いた。 恥ずかしいのか涙目になっている。 「……黒炎君も駄目だった?」 「駄目に決まってんだろこのトウヘンボクッ!!」 緩く首を傾げるスピット・ファイアの声を遮る様に抗議の声を上げるのを見て、確信した。 綺麗に化粧を施されて女物の浴衣を身に纏った『彼』は疑いようもなく、隠しようもなく、スピット・ファイアのお気に入りのヒヨコこと、子烏丸のステルス、美鞍葛馬少年だった。 「………唐変木……」 炎の王、スピット・ファイア相手にそんな罵声を浴びせられるのは彼ぐらいのものだろう。 怖いもの知らずというか何と言うか……。 「……何をやってらっしゃるんですか」 「………お忍びデート?」 呆れたように溜息にも似た声を漏らせば男は少し考える素振りを見せて、それから小さく首を傾げた。 「なっ! っ……」 葛馬はまるで水から上げられた金魚のように口をパクパクさせている。 その間もスピット・ファイアの腕は彼の背中に回ったまま、だった。 「良かったのかい?」 逸れた友人に電話をかけ終えた黒炎は一つ頷いて石段に腰を下ろした。 スピット・ファイアに良かったら花火を一緒に見ないかと誘われたからだ。 「ええ、ちょうど二人きりにして上げたかったところでしたし………ところで私がここに居てもかまわないんですか?」 けれど良く考えればこちらもデート、だと言うのだから邪魔者かもしれない。 「もちろん構わないよ。カズ君を一人にすると危ないと言うのは思い知ったし……あぁ、そうだ、さっきは助けてくれてありがとう」 そんな杞憂を振り払うようにスピット・ファイアはふんわりと綺麗に笑った。 「……あーその、アリガトウ、ございました」 バラされたことに腹を立てているのだろう、恥ずかしさと悔しさからか唇を尖らせたまま、それでもきちんと礼を言って葛馬が小さく頭を下げる。 チームの柄の悪さからすると少し意外な丁寧さだ。 「いえ、私は何もしてませんよ」 スピット・ファイアが氷を貰うついでに購入してきたラムネを煽り、黒炎は苦笑を浮かべた。 実際彼らを追い払ったのはスピット・ファイア自身で、自分はせいぜい時間を稼いだに過ぎない。 「……ところで……なんでその、こんな格好をしてるんですか?」 「…………」 女装を、とは言い辛くて遠回しに問えば葛馬の眉が内側に寄った。 「……カズ君がイッキ君達にバレなければデートしてくれるって言うから」 「違っ、バレなければ、一緒に行ってもいいって言っただけで別にデートとか! だ、第一女装させられるってわかってたら絶対断った!!」 辺りに聞こえてしまわないように小声で、だが真っ赤になって反論する葛馬。 ―――― 何となく、わかった。 「………言い包められたんですね」 「そう!! そうなんだよ、コイツ口上手いし強引だしッ!!」 「酷いなぁ、頑張ったのに」 「もっと他に頑張ることはないのかっ!!」 フーッ、息を荒くする様はまるで毛を逆立てた猫のようだ。 「……少し落ち着こう、ね?」 「っ!?」 ひょいと引き寄せられて背中をトントンと撫でられて葛馬は目を瞬かせた。 「ぁ……」 かぁっと頬が赤くなる。 わかってくれた、のが嬉しくて。 今まで誰にも言えなかったことを言えるのが嬉しくて、ヒートアップしてしまった。 「……………」 恥ずかしくて顔が上げられなくて、でも落ち着いたら今度はこの状況がむしろ恥ずかしくて……。 「……がーッ!」 ―――― 爆発した。 「恥ずかしいことすんじゃねえこのバカッ! こっちはお前と違って羞恥心ってもんがあるんだっ!!」 「………酷いなぁ、人を羞恥心がない人みたいに」 大げさに肩を落として嘆いて見せる、仕草がいかにも芝居がかってウソクサイ。 「まぁ恥ずかしがっているスピット・ファイアと言うのは私も見たことがありませんけど……」 「黒炎君まで……僕を何だと思ってるんだい?」 漫才を始める大人達を放置して葛馬は不貞腐れた表情で購入してきたイカ焼きや団子の消費に勤しみ始めた。 醤油の焦げた匂いが香ばしい焼きイカを口に運ぶ。 屋台のそれだからか少し焼きすぎの感はあるものの弾力のあるぷりぷりの食感で食べ応え充分だ。 何年かぶりに食べる気がする綿飴は懐かしい素朴な甘さで、団子は少し粉っぽい。 夕食を食べていなかったこともあって葛馬は結構な勢いでそれらを胃袋に収めていった。 「ゆっくり食べないと喉詰まらせちゃうよ?」 それを微笑ましそうに見下ろして、スピット・ファイアはタコ焼きの包みを開いた。 ……いろいろ、買い込んできているようである。 「ん……うん。僕タコ焼きって始めて食べたけど美味しいね、コレ」 屋台とタコ焼きとスピット・ファイアと言うのもスゴイ取り合わせだ。 ほくほくと言うのがぴったりの嬉しそうな表情を見ているとついつい釣られて笑みを浮かべてしまうのだけど。 「カズ君、あーん」 「…………」 スピット・ファイアが楊枝で刺したタコ焼きを顔の前に差し出すと顔を上げた葛馬は一瞬不機嫌そうに彼を睨み、けれどすぐにがぷっと勢いよくそれに食い付いた。 その仕草が可笑しくて思わず笑ってしまいそうになって黒炎は手の甲で口元を押さえる。 黙っていれば間違いなく美少女なのに中身は中学生の男の子そのままで、食べっぷりは豪快そのものだ。 「………お弁当つけてどこいくのかな?」 「ちょ、やめろって!」 指を伸ばして彼の口端に付いたソースを拭い取り、くすくすと酷く楽しそうに笑うスピット・ファイアの表情はどこか無防備で。 (……こんな風に笑うところは、見たことがない) 黒炎は密かに目を瞬いた。 炎の王はもともとフェミニストではあるが、どこか他人と距離を取りたがるところもあって人に踏み込むことも踏み込ませることもない人だから。 同時にこれもこの人の本当の顔だと思うと、普段見られない表情を見られたのが妙に嬉しかった。 この面白い光景を見れただけでも気紛れに夏祭りを覗きに来た甲斐があったというものだ。 「黒炎君も食べる?」 「は?」 同じようにタコ焼きが差し出されて、あまりにも予想外の出来事に裏返った声が漏れた。 「……食べない?」 不思議そうに、本当に不思議そうな顔をする男に今度ばかりは笑みが堪え切れなかった。 「プッ……」 「……黒炎君?」 噴出してしまった黒炎にスピット・ファイアが不思議そうに首を傾げる。 「………い、いえ。何でもありません、頂きます」 努めて笑みを収め、黒炎は口を開いた。 色々と、貴重な体験をした夏祭り、だった。 ― BACK/END ―
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予想外に長くなってしまいましたがでもやりたいことは全部やった…!気がします。 少しでも楽しんでいただければ幸いです〜。 |