綺麗に磨き上げられた白い床のロビーを抜けてインターフォンを操作する。
『……はい』
「おはようございます、黒炎です。頼まれた資料を持ってきました」
 少し間を置いて返った穏やかな声に黒炎は少し緊張の色を含ませた声を返した。
『どうぞ、入って』
「……失礼します」
 オートロックの扉が開き、中へと促されてその向こうへと足を踏み入れる。
 スピット・ファイアのマンションを訪れるのは初めてではない。
 彼の片腕と呼ばれる立場上何度か訪れたことがあるが、白で統一されたスタイリッシュな空間は何時来てもどこか落ち着かないような妙な緊張を誘われる。
「いらっしゃい、ごめんね。ありがとう」
「いえ、これも俺の仕事ですし」
 それも、扉の向こうでふんわりと微笑んでいる男の笑みを目にすれば霧散してしまうものなのだけれど。
「目を通すから少し待ってもらってもいいかな?」
「あ、はい」
 頷いて促されるままに共にリビングに向かって……ソファに珍しく先客の姿を見つけて黒炎は目を瞬かせた。
 スピット・ファイアのマンションで彼以外の人間を目にするのは初めてだった。
 中学生ぐらいだろうか、白いパーカー姿の小柄な少年が一人。
 この空間にはあまりにも不釣合いで、けれどどこか慣れた様子で寛いでいるのが不思議だ。
「……っ」
 こちらに気付いた途端、驚いたように大きな青い瞳が見開かれる。
「客? 悪ィ、俺向こう行って……」
「いいよ、其処に居て」
 そのまま彼は慌てたような声を上げて立ち上がり、奥の扉の方へと向かいかけて……けれどスピット・ファイアは穏やかな声でそれを押し留めた。
「…………ぁー…うん」
 少し困ったように、けれど小さく頷いて彼は元通りソファに腰を下ろす。
 落ち着かないような動きで視線が揺れるのが妙に微笑ましくて思わず黒炎は口元を弛めた。
「知ってるよね? 小烏丸の美鞍葛馬君。こっちはコカ・ファイアのリーダーの黒炎君だよ」
 にこと何時もと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたスピット・ファイアが黒炎と、彼の間に視線を渡す。
「………ドモ」
「……ぁ……どうも……」
 ペコと小さく頭を下げる様を見て、黒炎はようやく彼が小烏丸のステルスと呼ばれていた少年だと気付いて目を瞬かせた。
 いつも目深に被っているニット帽がないだけで大分印象が違うものだ。
 頭を下げる動きにさらさらの金髪が揺れる。
 明るいところで見たことがなかったから気付かなかったが瞳も鮮やかな空色で、すっきりと整った顔立ちで……ようするに結構な美少年だった。
 小烏丸のメンバーの中にあっては目立たない少年に見えたのだが……。
(………またナンパかな……でも家に連れ込むのは珍しいな……)
 自覚があるのかないのか分からないが、スピット・ファイアは結構面食いだ。
 けれど後腐れのあるような付き合い方をすることは無く、マンションに他人を連れ込んだと言う話は聞いたことが無い。
 と言うよりプライベートはグループのメンバーにも殆ど見せることが無く、このマンションに来たことがあるのも黒炎を除けば九尾の狐のリーダーの白面か紬の王のイネぐらいのものだろう。
(……よっぽどお気に入りなんだな……)
 ぼんやりと考えていればぽんと肩を押されて。
「今冷たいものでも入れてくるから、座って待ってて」
「あ、はい」
 促されて、黒炎は葛馬の正面のソファに腰を下ろした。
「…………」
 葛馬は表面上は手にした雑誌に見入っているような素振りで、けれど少しこちらを意識しているらしく落ち着かない様子でちらちらと黒炎に視線を向けてきている。
(………じろじろ見すぎたかな……)
 安心させるように緩く笑みを向けると、釣られたようにほんの少し引き攣りながらも笑みを返してくるのが一層幼く見えた。
(………あ、笑うと可愛い)
 黒炎が見たことのある試合中の顔とは違う顔だ。
(…………今までとは全然違うタイプだけど……)
 何となくなるほど、と思ってしまった。
 だからこそ、違うのだろう。
(……なんかガン見なんスけどっ!!)
 内心焦り捲くりながら、葛馬はぎこちない動きで再び雑誌に視線を落とした。
 人の良さそうな笑みを浮かべるからついつられてしまったけれど、知らない大人と二人放置されると言う状況はあまり好ましくない。
(………つーか俺のことどう説明する気だよアイツ……)
 ここに居る、ということ自体あんまり他人には知られたくないことだ。
「カーズ君、何百面相してるのかな?」
「わッ!」
 ひた、と頬に冷たいグラスが押し付けられて葛馬はびくっと肩を跳ね上げた。
 氷の浮いたコーラのグラスがテーブルに置かれる。
 そのまますぐに離れたスピット・ファイアは黒炎の前に澄んだ色合いのアイスティーのグラスを置いた。
 表面に水滴が浮かんで、いかにも冷たそうだ。
「ありがとうございます」
 小さく会釈した黒炎にニコと小さく微笑んで、スピット・ファイアは書類の束を片手に極自然な動きで、当たり前のように葛馬の隣に腰を下ろしてきた。
(………なんでこっちに来んだよッ!!)
 緩く長い足を組んでそれを繰り始める様はそれだけで奇妙にサマになっている。
「……………」
 視線が書類に落とされて、伏せ眼がちになっている所為で妙に睫が長く見えてドキリとした。
「……ちょっとこれなんだけど……」
「………あぁ、こっちはですね……、……、………」
「じゃぁ……」
 ……頭の上で、何だかハイレベルな会話が交わされている。
(…………なんか……)
 黒炎の態度を見ていると急に、隣に居る彼が史上最強の暴風族連合ジェネシスの幹部で、本来なら葛馬の手の届くような存在ではないのだと言うことを思い出して、葛馬は僅かに眉を顰めた。
 会う時は大抵二人だったから、忘れていた。
 否、ひょっとしたら忘れるよう彼が仕向けたのかもしれない。
 隣に居るはずのスピット・ファイアが妙に遠い存在にも思えてきて、葛馬は無言でコーラを啜った。
 葛馬が入り浸るようになってから、冷蔵庫に常備されるようになったものだ。
「……どうしたの?」
「………ッ!」
 ぽん、と頭に手が乗せられて葛馬はびくっと肩を揺らした。
「……な、何でもねーよ! や、やっぱ俺向こう行ってるっ!」
 顔を見られないように俯いたまま立ち上がろうとしたら、腕を掴まれてぼすっとソファに逆戻りさせられた。
「なっ……!」
 ぐいと引っ張られて、長い腕の中に抱き込まれる。
「……泣きそうな顔してる」
「し、してねぇよッ!! 誰がっ……」
 笑みを含んだ、愛しそうな声がかけられて顔が赤くなるのがわかった。
 額にちょんとキスが送られて、目を見開いて。
 次の瞬間、正面に座る男の驚いたような視線に気付いて、葛馬はかっと一気に顔に血が昇って自分が耳まで真っ赤に染まるのがわかった。
「……死ねこの馬鹿ッ!!」
「………………」
 どんっとスピット・ファイアの胸を押しやり、勢いのまま転がるように奥の扉を目指す葛馬を黒炎は呆然とした表情で見送っていた。
「……可愛いでしょ?」
 にーっこり、ご満悦の表情が向けられる。
「…………あ、はい……」
 ……いつも、笑っている人だけど。
(………こんなに嬉しそうに笑ってるとこを見るのは始めてかも……)
 形にならない何かが、見えたような気がした。


「……カズくーん、機嫌直して? 僕何か悪いことした?」
「自覚しろ、この馬鹿ッ!!」
 黒炎が帰った後も葛馬はオーディオルームに篭りっきりで、ドアノブを渾身の力で掴んでいるらしく開けようとしても扉が開かない。
 否、無理矢理開けてしまうことは簡単なのだが……それをすれば一層機嫌を損ねるだろうと言うことがわかっているから出来なかった。
 その後、葛馬の機嫌が直るまで2時間を要した……。
― END ―


 黒炎君は結構好きです。
 やられたって書いてあったけどどうなったんだろうと思ったら28号、小さく居てましたね! 生きてて良かったねおめでとう記念と言うことで…。
 ちなみにうちの黒炎君は自他共に認めるスピット・ファイアFANですがノーマルです(笑)。
2007.06.16

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