時化の日は、飛行機やジェットフォイルは欠航となる。台風が近づいてくると、カーフェリーも運休となり、島は完全に孤立する。
病院は厳原港の高台にあり、暴風雨の雨風をまともに受ける。宿舎も同じ敷地内にあるため、外出はなかなか難しい。厳原の町中に出かけていくのもおっくうだ。
日曜日は、まだ家族がいるうちは子供たちと過ごしていたが、単身赴任になると実にたいくつだ。交通の遮断された島の中で過ごす休日も独り者には苦痛でしかない。となると病院の医局にほとんどどっぷり浸かってパソコンをいじる毎日が続く。まだインターネットのない時代であるので、ゲームや学会の原稿やスライド作りに明け暮れていた。
ほとんどが病院の中だった。そして単身赴任の3年半は、暇さえあれば福岡の家に帰っていた。しかし、その生活は常に何かに迫られているような圧迫感を感じた。いつかはこの生活も終わりにしなければという思いは常に抱いていた。
金曜日の最終便で対馬を発ち、月曜日の始発で対馬に戻ってくる日々が続いた。福岡空港に着いたときの開放的な気分と対馬空港に着いたときの緊張感が毎週やってきた。島で長く生活していると、どうしても飽きが来て楽しみが『島を出ること』になってしまう。
しかし、時間があるときは、病院から1kmの距離にあるヘリポートまでジョギングをした。ヘリポートは断崖の東海岸の上にあり見晴らしがいい。天候の具合では九州本土との間に横たわる壱岐の島が見える。壱岐は対馬とは違ってなだらかな島でその違いは驚くばかりである。ヘリポートで柔軟体操をしながらこれからの自分、現在の自分を見つめ直していた。東に広がる大海を眺めながら…
芙蓉