翌年(昭和58年)からは上対馬病院の眼科診療が始まった。上対馬病院は厳原病院から95Kmも離れた対馬の北端にある病院である。曲がりくねった山道が多いためタクシーでも2時間の道のりだ。島内に眼科医がいないため、月に1回診療に行くようになった。初めて行く上対馬町比田勝への道程、ほとんどが真っ暗な山道を車は走る。やっとわずかな平地が現れ、民家が見えてくる。そして、また山道に入る。この繰り返しである。ほとんど海は見えない。これが、対馬という島の姿である。広い島の面積、わずかな平坦地に点在する民家。ほとんどが緑の森林と険しい山。この距離を思うだけで、医療の困難さは想像できた。
上対馬病院。そこは対馬の北部地域上県町、上対馬町の人口1万2千人をカバーする地域の基幹病院である。60床のベッドに医師が3人とここも医療過疎の地域だ。細隙灯顕微鏡はすごく古い年代物が置いてあって、肉眼の方がよく見えるような代物である。暗幕を窓につけることから私の仕事は始まった。視力表は紙が薄汚れていて、視力が低めに出るような気がした。患者さんは、眼科の専門診療と聞いて押しよせてきた。津波のように。過熟白内障、角膜を覆う翼状片、末期の緑内障、糖尿病網膜症の硝子体出血。ここが日本かどうかはよくわからないが、ここはまちがいなく日本であった。
上対馬は国境の町である。近くの山に登ると釜山の町並みが見える。とくに、秋から冬にかけての韓国の町並みは感激する。そして、何よりも美しい。自然と涙があふれてくる。この風、この海の匂い。こみあげてくるものを抑えきれない何かがある。この索漠とした自然がそうさせるのであろうか。それとも…
ひとつばたご モクセイ科に属した大陸系植物で上対馬町鰐浦に自生する。毎年5月に集落の斜面に純白の花を咲かせる。海照らし(うみてらし)ともいう。 |