この年(昭和58年)からは夜間の健康教室が始まり、夕食を済ませた後対馬の地域に出かける毎日が続いた。少ない医療資源を生かすための苦肉の予防策であった。健康教室は久田(厳原町)の健康教室から始まった。病気になって病院に行く前に病気にならない予防をしようという話をした。食事の話、腰痛体操の話、脳卒中の話、ガンの話、心臓病の話、小児の発熱の話、糖尿病の話、そして眼の話と続いた。久田という地域は厳原から車で10分たらずのところにあり、長崎県支庁の関係の転勤族が多い。まずこの地域より始めて、ママさんパワーを生かそうという戦略だった。公衆衛生の経験のある整形外科医と、話が好きで話のうまい小児科医が赴任したことも影響をうけた。
少しづつ明かりは見えてきた。まだまだ先は遠いが、医療砂漠は変わり始めてきた。治療だけでなく予防にも手がついてきたのだ。
お船江 |