その16 対馬という島


 

 学会出張や諌早の実家に帰るときに困難で頭を痛めるのが足の問題である。直前になると飛行機の予約ができずキャンセル待ちになってしまう。お盆やお正月の帰省の時はとくに早くから並んで切符を買わなければならない。飛行機に乗れなければ船になるのだが、このフェリーは博多まで5時間もかかってしまう。おまけに朝9時半と午後の3時半の2便しかないという状態である。新幹線や飛行機に慣れた日本人の大部分の人間からするとずいぶん手間のかかるところである。
 それに天候の状態で欠航するのがまたつらい。空港まで足を運んでやむなく引き返すことは何回もある。最悪の場合は悪天候を出発したのはいいが上空で旋回し着陸できずに引き返してしまうこともあった。この場合はすごく時間を無駄にしてしまったようで、悔しい思いだけが残る。どうしてこんな島に住まなければならないんだろうといった悲哀感が漂ってくる。対馬の歴史はまさに交通との戦いであったのだ。
 週末に長崎に出張すると、日曜に帰って月曜の診療に間に合わなければならないのだが、空港は大村市である。おまけに対馬行きの飛行機は1日2便しかないのだ。この飛行機が欠航すると大変である。それから博多に行って18時50分のフェリーに乗らなければならない。それに間に合わなければ、翌日福岡から朝1便の7時50分発の飛行機に乗らないと診療に間に合わないのだ。ホテルを夜な夜な探し歩いて泊まるがゆっくりしていられない。朝7時までには空港に行かないといけないのだ。家族を連れて長崎に帰ったときこれに出会うともっと悲惨であった。子供を抱っこして重い荷物を持ってよれよれの状態で博多に向かわなければならないのだ。
 対馬が長崎県であることをどんなに恨んだだろう。しかし、島民はずっと前から福岡県への転県運動を繰り返していたのだ。現在はそれが小康状態ではあるが…。対馬の飛び地的な状態は変わらない。



厳原港