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  「海の道、アジアの道」 作品解説


○ [国宝] 火焔土器(新潟 十日町市教育委員会)


 鶏頭冠の形状をした突起と橋状把手、大きく開いて端部が鋸歯状になる口縁部、 隆起線文や沈線文を駆使して肉厚なS字文・逆U字文を構成する文様。上半部がことのほか大きく、それに比べて下半部が小さい器形は、一見不安定でアンバランスにも見えるが、突起や把手と文様との組合せにより絶妙な躍動感を醸し出している。
  1936(昭和11)年12月31日、新潟県長岡市関原町の馬高遺跡から故近藤篤三郎氏が1点の縄文土器を掘り出した。燃えさかる焔のようにも見えるこの土器はいつしか「火焔土器」と呼ばれ、その後出土した同じようなタイプの土器を考古学では「火焔型土器」と総称する。そして、同じ仲間ではあるが、上半部が王様の冠のような形状になるものを特に「王冠型土器」と呼ぶ。
 芸術家である故岡本太郎氏が、1970年代に欧米で紹介したことから世界的にも有名になり、近年では海外での出品も続いている。
 そもそも火焔土器は、新潟県内それも山間部の豪雪地帯にその分布が限られ、また縄文時代中期中葉(約4,500年前)のごく一時期に作られた地域・時期限定の縄文土器である。中でも典型例とされる火焔土器は、長岡市から津南町にかけての信濃川中・上流域に集中する。その中心地にあたる十日町市の笹山遺跡からは、ほぼ完全な形の火焔土器が20点以上纏まって出土し、縄文土器としては初めて国宝に指定された。
 

○ [国宝] 沖ノ島遺跡出土品(福岡 宗像大社) 金銅製龍頭(一対)


  沖ノ島古代祭祀の第3段階となる第5号半岩陰半露天祭祀跡から一対で出土した。目を大きく見開き、口を開けた龍の頭部を立体性豊かに表現している。長さ20cm、高さ10cmほどを計り、中空の青銅鋳造製で全体に厚い金メッキが施されている。
  口中には鉄棒を差し込んだ痕跡があり、敦煌莫高窟の唐代壁画に、天蓋をつり下げる竿頭の先端に龍頭が描かれたものがあることから、同様に貴人に差し掛ける傘や幡の竿頭に差し込んで使われた飾り金具と考えられている。
  また製作の年代については様式的にもっとも類似した例が東魏時代(5世紀)の山西省天龍山石窟に見られることから、この時期に中国で作られ、高句麗等を経由して伝えられたと見ることが定説となっている。
  しかしながら、一部には朝鮮製とする見方もある。
 

○ [国宝] 沖ノ島遺跡出土品(福岡 宗像大社) 金銅製心葉形杏葉(5枚)


 4期に分けられる沖ノ島の古代祭祀のうち、第2段階である第7号岩陰祭祀跡から出土した馬具で馬の尻に飾る杏葉。
  沖ノ 島から杏葉は棘・葉形、剣菱形など各種のものが合計28枚出土しているが、これらはそのうちの5枚。大きさは縦9cm、横9.5cmほど。唐草文の中に羽を持つ鳥人が巧みな透かし彫りと鏨彫りによって描かれている。
  本品は6世紀代の新羅製と考えられているが、鳥人の文様は日本の馬具の源流と考えられる北方騎馬民族の鮮卑族の鞍金具(4世紀、遼寧省朝陽市十二台遺跡出土、中国美のクロスロード出陳品)や、三国時代高句麗の集安にある舞踊塚古墳壁画(4〜5世紀)などにも描かれており、その系譜を示している。
  なお、この杏葉の鳥人は右向き左向きの双方を作り分けている。

○ [国宝] 栄花物語(九州国立博物館)


 『栄花物語』の最古写本として唯一の国宝に指定されています。
 『栄花物語』は、平安時代初期の宇多天皇から後期の堀河天皇までの15代・約200年間におよぶ宮廷の歴史を仮名文を用いて編年体で記した、わが国最初の歴史物語です。
 太政大臣・藤原道長の栄耀栄華(えいようえいが)を描いた部分が有名で、『栄華物語』や『世継物語』とも呼ばれています。

○ [国宝] 人物画像鏡(和歌山 隅田八幡神社)


 径19.9cmの鏡で、年号などの他に騎馬や歌舞の人物が鋳出された国産の鏡である、『紀伊国名所図絵』によれば、神宮皇后が朝鮮半島より持ち帰ったものと伝えられている。しかし、表面に赤色顔料の付着がみられることから、紀ノ川流域の古墳への副葬品と思われる。鏡に記された「癸未(きび)年」は西暦のどの年をあてるのか諸説あるが、443年と503年が有力である。
  また、地名の「意柴沙加(おしさかの)宮」・「開中(かふち)」や人名の「斯麻(しま)」が記されており、漢字の音を使って日本語を表記している最も古い例として注目される。
 (「人物画像鏡」の写真を掲載される場合は、隅田八幡宮に掲載記事を送付して頂きますようお願いします。 送付先 〒648-0018 和歌山県橋本市隅田町垂井622)

○ [国宝] 梵鐘(福岡 観世音寺)



 文武天皇2年(698)にあたる「戊戌年」と銘文をもつ京都妙心寺の梵鐘とともに、現在最古の梵鐘とされる。両者は瓜ふたつの兄弟鐘であり、妙心寺の梵鐘にみえる「(筑前国)糟屋郡」や観世音寺の梵鐘にみえる「上三毛」の線刻からほぼ同時期に北部九州で製作された可能性が高い。

  鐘の上帯と下帯を飾る唐草文様は、天台寺跡(福岡県田川市)出土の新羅系軒瓦のものと似ており、朝鮮半島の影響がみられる。
 

○ [国宝] 周茂淑愛蓮図 狩野正信筆(九州国立博物館)

 
雪舟とともに室町時代を代表する画家・狩野正信(1434-1530)は、明治時代初めまで日本画壇を文字通り牛耳った狩野派
の初代。室町幕府8代将軍足利義政の御用絵師として活躍しました。15世紀後半の東山文化を代表する水墨画の最高傑作である本作品は、正信による唯一の国宝です。
 

    蓮の合間にただよう船と二人の人物が描かれていますが、左側の人物は、蓮をこよなく愛した中国北宋時代の儒学者・周茂淑(1017-73)です。中国文化に深く傾倒していた室町時代の知識人たちは、こうした中国の故事に基づく絵画を多数制作させ、鑑賞しました。
○ 蒙古襲来絵詞(宮内庁三の丸尚蔵館)


 鎌倉将軍家に仕える、肥後国の貧乏な御家人竹崎季長が、対モンゴル軍戦争で活躍し、恩賞をもらうまでの経緯をあらわしたのがこの「蒙古襲来絵詞」。
  季長が鎌倉に出発する前に参詣した、肥後の甲佐明神への感謝の気持ちが込められた作品である。
  「絵詞」巻末の奥書の年、「永仁元年」(1293)は、鎌倉幕府内で一度は失脚した旧泰盛派が復権を果たした年でもあり、この「絵詞」全体が、恩賞をつけてもらった安達泰盛へのオマージュであったことが推察される。
 

○ てつはう(長崎県 鷹鳥町教育委員会)

 
  蒙古襲来絵詞で有名な、馬に乗る竹崎季長の頭上で炸裂する砲弾。
  これは、長崎県鷹島で発見されたもので、元軍船の積んでいたものと考えられる。
  赤茶けたのは鉄錆で、黄土色の詰め物は硫黄である。 鼻を近づけると、今でも硫黄の臭いがする。外側は土製で、焼しめてあり、ろくろでつくった跡がある。
  従来、爆音で敵を驚かせるための武器だとされてきたが、この鉄片や青銅片の詰まった状態を見る限り、相当程度の殺傷能力をもっていたと推測される。

○ 花鳥蒔絵螺鈿聖龕(九州国立博物館)

 近世初期、西欧に輸出された教会祭儀用の漆器の一つ。
  聖画を納める厨子形式になり、器形はヨーロッパ人(イエズス会宣教師)の注文、技術は日本の蒔絵、螺鈿などの漆芸、意匠は和洋折衷という特色がみえます。

   近世初期の日本と西欧の文化交流の象徴的な作品。南蛮漆芸の中でも最上のもので、油彩の聖母子像は外国製です。
 

○ 花樹鳥獣蒔絵螺鈿洋櫃(九州国立博物館)


 本作品は、桃山頃からヨーロッパからの注文に応じて製作されるようになった輸出漆器(ゆしゅつしっき)の一つであり、 類品中最大級の大きさを誇るものです。
 半円筒型の蓋をもつこの洋櫃には、蒔絵(まきえ)と朱漆(しゅうるし)で、唐花草文(からはなくさもん)および七宝繋文(しっぽうつなぎもん)の帯が表現されています。
   蓋表面や正面には、唐獅子(からじし)・虎(とら)・鳳凰(ほうおう)・鷺(さぎ)・鹿(しか)などのさまざまな動物の模様が蒔絵で描かれています。
  帯や模様の間には、鮫皮(さめがわ;実際にはエイの皮といわれています)が埋め込まれています。

  鮫皮と蓋内側に塗られた緑色漆が使われているところから、この洋櫃は17世紀の前半、1630-40年頃の制作と考えられます。



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