『嵐の訪れ』 第三部 (働哭の章)

 天からの恵みを受け、小鳥がさえずり始める。

雨戸を開ける音が響く。



 縁側に座ると、もう秋めいた澄んだ風が、

肌に心地よいが、剣心の心は晴れない。

昨晩中、思いを巡らせるが、答えは出せずにいた。



障子から差し込む陽の光りが、薫の顔をまぶしく照らす。



「う〜ん。けんしん?」



 …剣心?…

 私………あっそうだ。剣心を迎えに…

 それで……それで…

 白梅香の薫りがして…

 巴さんがいて…

 剣心が…



薫は急に不安になり身体を起こし名を呼んでみる。

それは幼子(おさなご)が母親を探すかのように…

しかし、身体が重く思うように動かせなかった。



「おはよう。薫殿。すまない。起こしてしまったでござるな。

 お粥を炊いてみたのだが、食べれそうでござるか?」



薫が目覚めた気配を感じ、そっと障子ごしに声かけた。

剣心は勤めていつもと変わらないように薫を労う。



「おはよ〜ぅ。頂くわ…。」



微熱がある身体では思うように動けずに、

横たわったまま返事をする。



「入って良いでござるか?」



「ええ…」



スゥーという音と共に、静かに障子が開かれた。

逆光で余り良く剣心の表情が読み取れない。



「昨夜よりも熱も大分下がったようでござるなぁ。

 念の為、小国殿に診て貰った方が良い。」



剣心は薫の額に手をながら云うと

薫は差し伸べられた手の暖かさに内心ドキリとした。



「あっ。すまない…今、粥を持ってくる…」



剣心は足早に部屋を出て行った。



薫は、また一人で取り残されたのには不満があるが、

自分より大人びた彼の少し照れた表情に思わず笑みがこぼれた。



薫は一人取り残された部屋の中で、

頭の中で昨晩の出来事を思いだそうとした。

しかし、薫は頭の中に靄がかかったように

夢と現実混ざり合い困惑した。



暫くするとお粥と茶を持ち剣心が部屋に帰ってきた。



「あっ。ありがとう。でも、茶の間で頂くわ。

 なんか行儀悪いようなきがするし。きゃ…!」



身体を起こしながら言う。

でも、力が入らなくて、よろけてしまう。



「無理しなくても良い。薫殿はまだ熱があるのだから…」



倒れないように薫を支えながら、やんわりと制す。

肌に伝わる剣心の温もりに薫の心の音は高鳴る。



 やだ…剣心に聞こえたらどうしよう…



薫を布団の上に座らせると粥をすくい差し出す。



「子供じゃないんだから、自分で食べれるわよぅ。」



頬を染めて反論するが、



「拙者にやらせて…」



と珍しく恥ずかしそうに照れて呟く剣心に何か嬉しくて、

素直に口を開く。



「おいしい。」



「そうでござるか。ではもう一口。」



そう言うと嬉しそうに笑う。

未だ悩ませる思いはあるが、

そんな穏やかな日々が剣心には嬉しかった。



粥を全て食べ終わると、暫く沈黙が続いた…

最初に口を開いたのは薫。



「剣心…私、夢を見てたの…とても鮮明な夢…

夢って目覚めたら忘れるのに。でもね。頭から離れないの…」



「ああ…」



「話聞いてくれる?」



「……」



薫が時折うなされていたので、大体想像出来たが、聞くのが怖かった。



「夢の中で雪道を歩いていたの。それで目の前に人がいたの。」



「……」



「誰だと思う?私が一番大切に思っている人がいたのよ。」



「解らぬ…」



「そう…」



寂しそうな目をして剣心を見つめた。

剣心とて解らないはずはない。

己の事を指している事ぐらい…

しかし、ここで肯定する事は出来なかった。



「話続けても良い?」



「薫殿…身体に障る…話なら後で聞くでござるよ…」



「今、聞いて欲しいの。」



薫の真っ直ぐな眼差しが、事の重大さを物語っている。

逃げる訳には行かなかった。



「聞くでござるよ…でも、お願いだから布団に入って欲しい…」



剣心の呟く声が、子供のように震えていた。

薫は素直に布団に入る事にした。



「私は二人に追いつきたくて…後を追うの。声をかけても、

 叫んでも振り向いてくれないの。やっと追いついた先には、

 私の愛しい人の亡骸が…」



「薫殿…もういい…」



「辛いかもしれないけど、聞いて欲しいのよ…」



涙をいっぱい溜めて言う。



「女の人が懐剣を握り、紅い血が滴り、雪は紅く染まって…

 何故、そんな夢見たか考えたの。」



「薫殿…」



「私、頭の中では、割り切っているって思っているのに。

 心で許してないのよ。剣心を導いてくてた人なのに。

 恨んでも憎んでもいけない人なのに…

 こんな醜い私が憎い…」



薫は両手で顔を覆うと、肩を振るわせた。

薫の純真な心根が、それを許さなかったのだろう。



「すまぬ…」



剣心は低く呟くとうなだれた。

短い言葉だけど薫の心には深くしみた。



「剣心は誤る必要ないのよ。」



薫は剣心を涙で濡れた瞳で見つめると

そこには、頬に伝う雫を拭おうともしない剣心の姿かあった。



「剣心…泣いているの?」



「えっ…」



薫は起き上がり剣心の雫一つ透くってみる。



「綺麗…剣心は今まで泣いた事も、笑った事も無かったんだね。」



「俺は…泣いたりしていない。」



「可愛そうな人…泣いている事も認められないなんて。」



そう言うと薫は包みこむように抱いた。

庭先には赤とんぼがゆらりと飛んでいる。

剣心は何処からか梅の匂いがしたような気がした。

庭先を見ると梅の木の下で嬉しそうに二人を見つめる巴の姿がある。



『それで、いいのですよ。貴方。貴方は無理しすぎだから。

 幸せになって下さいまし。私は影ながら見守っていますよ。

 もう貴方の前には現れる必要も無さそうですし。

 このお方と共に幸せになって下さいまし。』



静かに梅の匂いは消えていった。



「巴…有難う…」



「今、巴さん微笑んでいたわね。声まで聞こえなかったけど。

 巴さんは何て言ったの?」



「幸せになれと。薫殿は辛くはないでござるか…」



「辛くないなんて嘘は言えないけど、

 今の剣心があるのは巴さんのおかげだから…」



「薫殿は強いでござるな。」



「そうよ。女は強いのよ。」



少し胸をはって言うと



「拙者が泣いていたのも、出来れば内密にして欲しい…」



「どうしようかなぁ。」



「おろ。お願いでござるぅ。」



おどけて言うと



「やっと。いつもの剣心に戻ったね。」



薫はホッと胸を撫で下ろした。



「薫殿。有難う。薫殿はいつでも拙者を導いてくれる。

 拙者は薫殿に甘えているのかもしれぬな。」



  剣心が小さく呟くと当時にゴ―ンと時計の音が鳴った。

声は掻き消されてしまう。



「えっ。今なんて?」



「聞こえなかったら良いでござるよ。」



「えぇーずるい!またはぐらかそうとして!」



ジタバタして悔しがると、



「ほらほら。病人なんだから、大人しくするでござるよ。

 今、小国殿呼んで来るでござる。」



「大丈夫よ…それより、剣心一晩中看病してくれたの?」



「ああ…」



「じゃ大丈夫よ。もうこの通り。

 ねっ。それより側に居させて…

 やっと巡り会えたのだから…」



「そうでござるな…薫殿…」



そう言うと、薫を抱き寄せた。



「剣心?」



「暫くこのままで居させてくれぬか…」



「………ええ…」



夏の名残を惜しむかの様に庭に咲いている向日葵に

優しく照りつける陽の光。

風にそっと運ばれ、飛んでくる秋の気配を感じながら、

剣心は薫の温もり愛しく思った。



− 第三部 完 −



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