『嵐の訪れ』 第二部 (幻夢の章)
背中には確かな温もりがある。
俺はただその温もりを守りたかった。
でも、俺はそう思う事を拒み続けた。
人との関わりを極力さけてきた。
俺の中に流れる人斬りの血で
君を汚したくなかった。
でも、大切な人も守れない偽善者に
そんな資格なんかない…
神谷道場に着いた頃には、空には暗雲はなく、
変わりに三日月が顔を出していた。
三日月はまるで己を嘲笑うかのように
蒼白い光を放っている。
虫の音が夏の終わりを告げている。
季節は足早に過ぎようといる。
部屋に着くと剣心は押入れから布団を出し、
薫を床に寝せそっと額に触れた。
熱い…
相当熱がある。
このような時は…
それにしても…
女子の着物に手を出すのは、些か戸惑いはあった。
だが濡れた着物のままでは、体を冷やす。
意を決して濡れた着物を脱がし単衣(ひとえ)にする。
行灯(あんどん)のぼんやりとした光が
薫を艶やかでほっそりとした身体を眩しくみせる。
こんなに小さく細い身体で
俺を守ってくれると言ってくれたのか…
剣心は煩悩を打ち払うかの如く、頭(かぶり)を振り作業を続けて行った。
夏の終わりとは言え未だ暑い。
それでも小刻みに震え「寒い…」と呟く薫に布団をそっとかけ、
ありったけの火鉢(ひばち)に用意し火を熾す。
そして井戸に行き水を汲み、手ぬぐいを薫の額に当てた。
部屋から聞こえるのは、火鉢の中でパチパチと炭の焼ける音と
薫の苦しげな寝息だけが響く。
薫殿…
薫と出会い…
俺を君は暖かく迎い入れてくれ、
そして多くの幸せを分けてもらった。
俺とは無縁なものを与えてくれた。
陽の光が美しい事も、季節の移り変わりが
ただ時が過ぎるたけでない事も教えてくれた。
そんな薫の笑顔を守り続けたかった。
だが、俺は薫に深い闇を与える事しか出来ない…
俺がはっきり言わない事で、
薫を悩ませている事も承知している。
でも、それは許されない事…
俺が側にいるたけで不幸にさせてしまう…
それでも薫の側に居たいと思うのは、
俺が薫に甘えているのだろうか…?
ずっと悩み続けても、思いは空回りするばかりで、
答えは出る訳ではない。
剣心は己の拳を強く握りしめうなだれた。
一方、薫は混濁する意識の中、夢を見ていた。
辺りは深い闇に包まれ、粉雪が舞っている。
時折吹く風に、木々がザワザワと鳴く。
白い…白い…空間だけに支配された世界。
薫は雪深いに足を取られながら、さまよっていた。
何もかもが氷つくような寒さと戦いながら必死に歩いた。
その先に何が待ち受けているかは解らない。
それでも、歩みを止める事は出来なかった。
やがて薫の前方に2つの影が見えた。
白い着物に身を包み、艶やかな漆黒の髪の女性。
白梅香の薫り…
その側には見知ってる緋色髪の男。
女の瞳は慈愛に満ちている。
女は男の手を取り、歩き続けていた。
ひょっとして、巴さん?
側に居るのは…剣心…?
粉雪が舞い、二人包み込んでゆく…
悪くなる視界の中、薫は手を伸ばし
二人に追いつこうと必死に…
「けん…しん…を…連れて…行かないで…
と…も…え…さ……」
いくら叫び、呼び止めようとしても
虚しく闇へと消えて二人には届かない。
再び薫の前に見える光景は
深く胸に突き刺さる鈍い光…
赤く染まる雪…
鈍く光る懐剣…
血に染まる愛しい人…
「いや〜ぁ。剣心っっ!!!…」
薫は酷くうなされていた。
額には汗がにじんでいる。
頬を伝う涙。
時折苦しげに呟く言葉。
汗で貼りつく髪をそっと払い、
艶やかな髪に口付けた。
…薫殿…
俺は…君を悲しめるだけで・・・
俺は君を守ると約束したのに…
もう二度と君を失わないと誓ったのに…
俺は夢の中までも君を苦しめているのか…?
「薫殿…拙者はここにいるでござるよ…」
今の剣心には、何もする術もなく、
ただ薫の手を握り返すだけしか出来ない。
剣心は己の無力さに失望した。
− 第二部 完 −
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