TeaParty ~紅茶のお茶会~

『世紀末のお茶会』

「優しい声3」15555Hit ぶりぶりさまへ♪

 玄関を開けた高杉がその時に感じたのは妙な不安感だった。
 まるで誰も居ない部屋に足を踏み入れるような、何の気配も感じないような、なんともいえない感情が急にあふれてくる。
「ただいま」
 玄関に、閉まった扉の音と高杉の声だけが響いた。
 いつもだったら緒方が笑顔で出迎えてくれる。それがなかった事に対して高杉はちょっとだけ淋しさを感じたけれど、なんとなく予想もしていた。期待がなかった訳ではない。けれど自分に言い聞かせていたのも事実だった。
「緒方君?」
 けれど高杉はついさっき感じた妙な不安感をまだ感じていた。出迎えに来なかった事は気にならない。しかし帰ってきた高杉に気付いたという気配すら感じられない。緒方の気配そのものが、この家の中から感じられないような気がして高杉の不安感は更に増した。
 部屋には緒方が居るはずだった。でもなぜか気配が感じられない。
「緒方君!」
 高杉は急いで靴を脱ぎ、部屋へと上がった。その靴を脱ぐというたったそれだけの行動すらもどかしい。
 物音がしない部屋に入るのは、もちろん初めてではない。けれどそれは誰も居ないと分かっていることで、なんとも思わなかった。あるはずの気配を感じられない、物音すらしない、そんな部屋に不安を抱えたまま入る事なんて考えた事などなかった。考える必要なんて、なかったのだ。
 初めてのその経験は、高杉にただただ不安だけをのしかからせた。
「緒方君?」
 ノックもそこそこに開けた緒方の部屋は、けれどそんな無礼を怒る人影すらまったくなく静まりかえっていた。
「居ない…」
 それでもその場所に、今日一日の緒方の気配が残っていた。かすかにでも、物を動かした形跡がある。たぶん、いつもだったら気付かない、そんなかすかな変化も、今の高杉には全てといっても過言ではないくらいに感じられていた。
 その事で、一瞬だけでも高杉は安心した。今、例え傍に居なくても、姿が見えなくても、それでも緒方の姿が心にある。そんな風に思えた。
 それでもやっぱり不安は解消されない。されるわけでもない。本当に緒方の姿をその目で見るまでは、本当に安心できるわけなどないのだ。
 部屋の扉を閉め、高杉はリビングへと向かった。いつも二人で過ごしていたリビングに居るかもしれないと、高杉は思ったのだ。
 リビングに一歩踏み入れた高杉の目に最初に入ったものは、テーブルに置かれたひとつのカップだった。それは二人で買い物に行って買ってきた色違いでおそろいのカップだった。
 高杉は自分の立つ場所からでは死角になっているソファーへと急いだ。高杉には緒方の姿を見つけたという確信があった。
「……っ」
 緒方はソファーで眠っていた。少し疲れた顔で、帰って来た高杉に気付かないほど、それは深い眠りだった。
 高杉はそんな緒方の姿を見て、何も言えなかった。声を出す事も出来なかった。それは、起こしたくない、などという理由からではない。
 その時の高杉の脳裏には、ベッドで横たわる緒方の姿が過ぎった。いつまでも目覚めなかった、一昨日までの緒方の姿が。目の前で眠っている緒方の姿が、そのまま脳裏に浮かんだ緒方と重なる。

 危ないと叫んだ声。
 振り返るように見つめた視線。
 落ちるように倒れた身体。
 しっかりと受け止めた腕。
 叫ぶように呼んだ名前。
 目を閉じたままの顔。
 そして。
 不思議そうに見つめる瞳…。

 高杉はその場にしゃがみこんでしまった。
 全身の血が一気に下がったような気がした。下がって、そのまま動けなくなった。
 緒方が倒れたその時から目覚めた時までの場面が、一気に高杉の中を流れていった。思い出したくもないような場面だけが、まるで壊れたテレビのように繰り返し流れる。
 不安とあせりと、どうしようもない悲しみと。全てが一気に襲ってきて、目の前が真っ暗になる。
 そして頭の中が拒否反応を起こす。考えたくもない、そんな嫌な事ばかり…。
「緒方君!!」
 高杉は眠っている緒方の肩を大きく揺すって叫ぶようにその名を呼んだ。
 今すぐに目を覚まして欲しい、今すぐに、その声を聞かせて欲しい。今すぐに…。
「……えっ」
 眠っていた緒方は、とてつもなく悲しい感情が入り込んできたような気がして急に眠りから覚めた。体が揺すられたその振動よりも、心がものすごい勢いで揺れたように思えた。
「どうしたんですか?」
 目覚めた緒方には何が起こったのかまったく分からなかった。目の前の高杉が自分を必死な顔で見つめている事が、何故だか分からない。
 けれど、またそんな悲しい顔をさせてしまったのが自分なのだと気付くと、どうしようもなく悲しくて仕方がなかった。悲しい顔なんかさせたくない。自分のせいでなんて、尚更なのに。
 高杉と緒方は、お互いを見つめていた。それだけで気持ちが伝わるような気がした。
 もどかしくて悔しくて、そして悲しくて…。
「目を、覚まさないと思った…」
 高杉は思ったその言葉を、そのまま口に出した。
「良かった…」
 そして、その頬に一筋、涙が落ちた。
 その涙は、悲しみからきたものなのか、安心からきたものなのか…。
 こんなにも、相手を想って心が揺れる…。
「ごめんなさい…」
 緒方の口からそんな言葉が出た。そして、今にも泣きそうな表情で高杉のことを抱きしめた。
「緒方、君?」
 高杉はそのまま、ただ名前だけを呼び返した。その言葉も行動も、予測外のものだった。
「俺は、俺は…」
 悲しい顔なんかさせたくない。あなたにはいつだって…。
「俺は、なんで忘れちゃったんだろう…」
 悔しくて、もどかしくて、少し淋しい。緒方の中で、ぽっかりと何かが空いてしまったような気がした。
「ごめん、僕が緒方君を不安にさせるなんてしてはいけなかったことなのに」
 高杉には、自分がとってしまった行動が許せなかった。自分の勝手で、自分の不安を抑え切れなかったばかりに、自分よりももっと不安な緒方を、こんなにも悩ませてしまったことが、本当に許せなかった。
「忘れてる…。俺、なんかすごく大事なものを忘れてる…!」
 高杉の謝罪の言葉に首を振りながら、抱きしめた腕に力をこめ、緒方は必死に、しがみつくように叫んでいた。。
 後悔にも似た感情が緒方の中にあふれていた。思い出せない今までの自分が、思い出せない今までの日常が、緒方の心の奥底で違うと叫んでいるような、今の緒方を責めているような、言葉では表せないようなもどかしさでいっぱいになる。
「大丈夫だよ…。緒方君が、自分を責める必要なんてないよ」
 必死でしがみついてくる緒方を、高杉は優しく抱きしめた。
 こんな風に、悩んでほしくなかった。悲しい顔だって、してほしくなかった。出来る事なら、そんな悲しみは自分が全部引き受けてしまいたかった。
「俺は…、俺は…」
 何か言いたかった。でも、緒方にはその先の言葉が浮かんでこなかった。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 何が、なんて分からない。
 それでも、高杉のその言葉は心を落ち着かせることが出来た。
 言った高杉の心も、言われた緒方の心も…。



2002.7.13
続いてます。まだ…続きそうです^^;;
今回は高杉さんを泣かせてしまいましたが…
いつになったら記憶を取り戻すんでしょうね…緒方君…。