TeaParty ~紅茶のお茶会~

『世紀末のお茶会』

「神様からの贈り物」

"ピピピピピピピピピ………"
部屋の中に目覚ましの音が鳴り響く。
俺は眠い目をこすりながら反対の腕を伸ばし、手探りで時計を探し出して止める。
「ふぅ…」
たったそれだけの動作が、最近妙にだるくてしょうがない。どうも調子が悪い。
「はぁ…」
なんとなくため息をついてしまう。今まで朝が弱い事なんてなかったのに。俺はしばらく布団にくるまったまま横になっていた。起きたくても起きられないのだ。
「どうしたんだい?耕作君」
どのくらい転がっていたのだろうか。心配顔の高杉さんがベッドの横に立っていた。
「あ、おはようございます。なんでもないっスよ」
俺は心配かけまいと起きあがった。さっきよりだいぶ調子はよくなっている。
「おはよう。…本当に大丈夫かい?」
高杉さんの優しい笑顔を見ると、ドキッとする。もう何年も見続けているのに、いつまで経っても慣れない。
「ちょっと二度寝しただけです。ご心配おかけしました」
「それならいいんだけど…。無理はしないでくれよ」
そう言って高杉さんは俺の髪にそっと触れた。そこから高杉さんのぬくもりが伝わってくる。この安心感が、たまらなく心地よい。
「耕作…」
俺の名を呼ぶ高杉さんの声。
「洋一郎さん」
答えて俺は目を閉じた。そっと触れてくる高杉さんの唇。
いつもとかわらない幸せな朝。
けれどこの日、俺にとんでもないことが起こる…いや、起こっているなんて、想像もしていなかった。

「はい。それでは後ほどお伺いしますので。…はい、失礼します」
俺は午後の営業先への電話を切って腕時計を見た。
今から向かえばお昼に着くな…。あ、そうだ。今連絡すれば、お昼を一緒に食べられるかもしれない。
俺の左腕に付けられた時計と同じ物を持った人は、午後の営業先で働いている。
電話電話っと…。俺は押しなれた携帯の番号に電話をかけてみた。
『はい、高杉です』
聞き慣れた声が返ってくる。
「あ、高杉さん、俺っス」
『耕作君。こんな時間に、何かあったのかい?』
今朝のことがあるからだろうか。高杉さんは心配そうにそう聞いてきた。
「いえ、これからハットリに行く予定なんで…。高杉さん会社にいます?」
『ああ、デートのお誘いかい?今日は1日デスクワークだから中にいるよ』
さらっとそう答えてくれた高杉さんの言葉に、俺はちょっと顔が赤くなったような気がした。
「じゃあ、俺今からそっちに向かいます。お昼一緒しましょう」
『じゃあ、ロビーで待ち合わせでいいかな』
「そうですね。わかりました。俺待ってます」
俺は用件を伝え、電話を切った。
高杉さんが勤めているハットリコーポレーションは、うちの会社の得意先で、俺が担当している。
おかげで高杉さんに逢う機会が増えてはいるけれど、同じ営業をやっている関係で、逢えない事の方が多いのだ。
俺はカバンに荷物を入れ、出かける準備をした。
「さてと…。行って来ます」
この時は、高杉さんに逢えるんだ、という期待が大きくて、最近具合があまりよくない事を忘れていた。

何度も足を運び慣れたハットリコーポレーション。
ロビーの受付嬢も、顔パスで出迎えてくれる。
たまにすれ違う顔見知りの営業の人に挨拶をしながら、俺は高杉さんのことを待っていた。
12時10分前。ちょうど良い時間着いていた。
ここで待ち合わせをするのは初めてのことではない。それでも、いつになっても初めてのような緊張感がある。
高杉さんのことを考える瞬間は、俺にとって一番緊張して、そして幸せな時間になっている。
こんなにも、四六時中考えていても気持ちが薄れない人は、高杉さんが初めてだ。
「緒方君、待ったかい?」
優しい声が聞こえて俺は振り返った。
高杉さんのことを考えている間に、いつのまにか12時を過ぎていた。
「いえ、ちょうど着いたばっかりです」
ただ、待ち合わせをしてお昼を一緒に食べるだけ…。たったそれだけの事がすごく特別な事に思えた。
「今日はどこに行こうか…。そうだ、新しいお店が出来たからそこにしようか」
「高杉さんにお任せします」
そう答えてから俺はちょっと不思議に思った。
なんでだろう?腹減ってないなぁ…。いつもならこの時間はすきまくってる時間なのに…。
でも、そんな事を言って高杉さんを心配させるわけにはいかない。
「どうだい?うちとの取引は順調かい?」
高杉さんの言葉にハッとして俺は顔を上げた。
「順調っスよ。今、俺にとっての一番の取引先ですからね」
ハットリコーポレーションに仕事で来なければ、俺は高杉さんに出会うことはなかったかもしれない。
俺と高杉さんの出会いの場所なのだ、ここは。
「それは良かった。ここではいろいろあったからね」
そう言って高杉さんは笑った。
高杉さんと出会ったこと以外でも、いろいろな事があったなぁ、と俺は思い出してみる。
良い事も悪い事も、ここにはたくさんの思い出がある。
「いろいろありましたね…。懐かしいなぁ。でも、俺も成長したと思いませんか?」
営業をやって、もう何年なんだろうか。高杉さんの一言が、俺を頑張らせてくれたような気がする。
「緒方君は、なんでも一生懸命だからね」
高杉さんの優しい笑顔がすごくうれしい。
「そこが俺の取柄ですからね」
そんな会話をしながら2人で歩くのは楽しい。
店に入り、注文をした後も、なんとなく仕事の話をしてしまうのは、同じ営業をやっているせいだろうか。
いろいろなアドバイスがもらえるから、俺は高杉さんと仕事の話をすることが嫌じゃない。
恋人同士で仕事の話が出来るのも、いい関係だと俺は思っている。
「それにしても…。緒方君、最近調子悪そうだけど大丈夫かい?」
急にそう訊ねられ、俺はびっくりした。
気が付かれていないとは思っていなかったけれど、極力元気にしていたつもりだったのに。
「僕が気が付いていないとでも思っていたのかい?」
「そんな事ないですけど…。でも、すごく悪いわけではないですから…。心配しないで下さい」
俺はそう言って笑いかけた。
「緒方君。僕がそう言われて心配しないとでも思っているのかな。他の誰でもない、緒方君の事だから心配しているんだよ」
高杉さんの顔は真剣だった。
心配されるのはすごくうれしい。だけど逆に心苦しい。本当は誰よりも心配をかけたくない人だから…。
「一生懸命なのは緒方君のいいところだけど、一生懸命すぎて、自分の事をおろそかにしないで欲しいんだ」
高杉さんは、いつも俺の事を考えてくれている。
高杉さんのことを好きになって良かった、と改めて思う。
「はい、気をつけます」
俺はそう答えたけれど、今食欲がない事を言えずにいた。

ハットリでの仕事も案外早くに終わり、今日は会社に戻らず、直帰する事になっていたため、俺は一足先に家へと向かっていた。
「はぁ…。つっかれたなぁ…」
思わずため息を付きながら駅の改札を出た。
まだラッシュに巻き込まれない時間だから人は少ない。それでも体調を崩している時というのは、あまり電車の中に居たくないものだと思った。
健康管理は営業マンの基本だよな…。
昼間の高杉さんの言葉を思い出し、俺は病院に寄ってから帰ることにした。

俺は病院が好きじゃない。基本的に健康だった俺は、今まで病院のお世話になった事はあまりなかった。
最近では、年1回の会社の健康診断くらいしか病院の中に入っていない。だからだろうか。待合室で待っている時間というのが妙に長く感じられた。
「緒方さーん。緒方耕作さん」
看護婦さんに呼ばれ、俺は診察室の中に入った。
「今日はどうされましたか?」
そんな会話から始まり、すぐに終わると思っていた診察は、なぜかいろいろな検査をさせられて思ったより時間がかかっていた。
そんなに悪かったんだろうか…。
俺は不安になっていた。朝起きられないのと、食欲がないのと、ちょっと疲れやすくなってただけなのに。
でも、考えてみれば、今まで健康だった俺が、こんな症状になる方がおかしかったのかもしれない。
最初に入った診察室に戻り、俺は先生と向き合って座っていた。
先生の顔は、さっきよりも真剣な表情で、俺の不安はいっそう強くなった。
「2ヶ月ちょっと…でしょうか」
カルテを見ながら先生はそう言った。
「2ヶ月ちょっと…ですか?」
俺は恐る恐る聞き返した。そして次の瞬間言葉の意味を考えてハッとした。
「え!!!2ヶ月ちょっとって、そんな!俺、そんなに悪かったんですか」
俺は思わず叫んでいた。
それなのに先生はちょっと笑うような、困った感じの顔をしているだけで答えてくれない。
「何とか言ってくださいよ」
俺は半分涙目になっていた。
「緒方さん、おめでとうございます」
そんな俺に向けられた言葉は、その一言だった。
「は?何言ってるんですか!!まじめに答えてくださいよ!」
俺は訳も判らずそう言って立ち上がりかけていた。
「まあまあ、落ち着いてください、緒方さん。一人の身体じゃないんですから」
先生の言葉の意味が分からなかったけど、とりあえず俺は椅子に座りなおした。
「おめでとうございます、妊娠2ヶ月ちょっとですよ」
先生は、笑顔でそう俺に告げた。
俺はしばらく言葉の意味を考えていた。
「えーーーーーーーーーーーーーーーー!!!お、俺が、妊娠ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
俺の声は、きっと病院中に響き渡ったと思う。そのくらいの声で、俺は叫んでいた。



1999.12.15~12.26