TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

勿忘草5

 記憶が戻らないまま、そして違和感も拭えないまま数日が過ぎたが、ウィーンでの生活は概ね順調だった。
 ドイツ語が理解出来ないことは不安だったが、記憶にはなくても頭のどこかでは覚えているのか、語学学校へ行き始めると不思議なくらいスラスラと頭に入ってきた。日常会話と音楽用語はほぼ聞き取れるようになったし、近所への買い物程度なら一人でも行かれるようになった。しゃべるのはまだ少しおぼつかなかったが、そこも追々、解決していくような気がする。
 ただ、なくしてしまっているらしい記憶は一つも思い出せていない。街並みも学校の友人だったはずの人たちも懐かしいと思うことはなく、全て新しい記憶として蓄積していくことしか出来なかった。

 そして月森との生活は、不思議なくらい問題なく過ごせていた。
 同居といっても四六時中、一緒にいるわけではないし、件のベッドも緊張したのは最初の夜だけで、朝は驚きはするもののある意味、慣らされてしまったし、夜は疲れに負けてすぐに寝落ちてしまう日々が続いているからそれほど気にならなくなっていた。話をしていても、記憶にある月森とはまた違う態度で接してくるから言い合うこともほとんどない。
 最初はそれが変な感じだったが、これもすぐに慣れたというか慣らされたというか、でもそれは自然な流れだったような気がするし、もしかしたら俺たちはそんな会話を交わしていたのかもしれないと思った。
 ただ、何かが違うような気がずっとしている。確かに会話はちゃんと成り立っているし態度が冷たいわけでもないのだが、月森の言葉はどこか事務的で感情が一切伝わってこない。俺の言葉に反論するわけではないから余計に月森の気持ちがわからない。出会った頃から会話といえば言い合いばかりでそんなにしゃべったことはないのだが、それでも月森の感情は感じられていた。
 それに、月森の口からは記憶のない期間を含め、俺の話がほとんど出てこない。俺が聞いたことには答えてくれるが、月森から自発的に話してくれることはなく、何かしら話してくれたっていいんじゃないかという気がする。
 そうは思うものの、話してくれないことを少しだけホッとしているのも事実で、聞きたいことはいっぱいあるはずなのに、それと同じくらい知ることを怖いとも思ってしまう。月森が俺に見せる態度や、ルームシェアと呼ぶには少し疑問があるこの部屋の状況は、嫌でも色々な想像が浮かんでしまう。
 ただの友人同士の同居なのか、それとも親友くらいにはなっているのか。それとも…。
 状況的にただの友人というのはあり得ない気もするが、月森の態度は仲の良い者に対するそれとは違う気もするからよくわからなくなる。
 状況と月森の態度がかみ合わなくて、俺の記憶の中の月森と今の月森も変わらないようでいてやっぱり何か違っていて、何一つ憶えていないことがものすごくもどかしくて、月森が何も話してくれないことが気になって、月森の気持ちがわからないから不安にもなる。
 それでもやっぱり知ってしまうことを怖いと思う気持ちが拭えないから、俺は聞くことも思い出そうとすることからも逃げているのかもしれない。



2020.4.25up