TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

勿忘草3

 俺と土浦は高校二年生のとき、学院内で開催されたコンクールがきっかけで出会った。
 考え方も性格も音楽性も何もかも違う俺たちは事ある毎に言い合いを繰り返し、その言動のすべてが相容れなくて、本気で嫌いだと思った回数は片手では足りない。
 コンクールが終わり、これで土浦との対立の日々は終わるのだと思っていたら、今度はアンサンブルを組む機会が多くなった。コンクールのように競い合う間柄ではなくなったが、ひとつのものを作り上げていくことは競い合うよりも対立を生んだ。
 音楽に対して妥協するつもりも、仕上がりに手を抜くこともしたくないが故に練習中の俺たちは険悪な雰囲気だったはずで、その対立に度々付き合わせてしまったあのときのメンバーには申し訳なかったと思う。

 そんな状態を繰り返している中、俺の土浦に対する考え方は少しずつ変わっていった。土浦の意見を取り入れてきれいな旋律を作り上げられたとき、俺の意見を土浦が認めてくれたとき、少しずつお互いがお互いを認め合えるようになったとき、俺のかたくなに土浦を嫌う気持ちは綻び始めていた。
 いいライバルになれると思った。奏でる楽器は違うが、土浦とひとつの音を作り上げることはとても刺激的だった。お互いがお互いを高められるような関係が、それまでそんな相手に出会ったことがなかったから、本当に貴重な出会いをしたのだと俺は思った。
 それから周りに驚かれる程、土浦と過ごす時間は増えていった。音楽に対する考え方は相変わらず正反対で言い合うことがなくなったわけではなかったが、それがお互いにいい影響を与え合っていた。

 いい関係を築けたのだと喜んでいたのもつかの間、クリスマスイブに行われる演奏会に向けての練習の頃から、土浦は俺のことを避けるようになった。意見がぶつかっても言い返してこなくなり、アンサンブル練習中は土浦らしくないミスをよく繰り返していた。何があったのだと問い質しても、なんでもないという答えが返ってくるだけだった。
 それまでの俺だったら、そこで土浦を切り捨てていたかもしれない。ちょうどウィーンへの留学準備を進めていた頃だったし、煩わしいことに振り回されるのは嫌だったが、俺にとって土浦の存在はもう、煩わしいものではなくなっていた。だからどんなに冷たい態度をとられても、俺は土浦の存在を俺の人生から切り離さなかった。

 そんなある日、久し振りに土浦と言い合った。それはまだ犬猿の仲と呼ばれていた頃のような言い合いで、何がきっかけだったのかもわからなくなっていたし、落としどころもわからないほど続き、言い合う内容は音楽から離れ、ただ相手に対しての文句だけになっていった。
 文句の言葉が出尽くせばただ黙って睨み合う時間が続き、だがそれは俺に向けられていた土浦の真っ直ぐな視線が、不意に揺れながら逸らされて俯いたことで動き出した。見せられたその表情は土浦らしくないもので、俯いたまま、違うと、小さく耳に届いたつぶやくような声も初めて聞くものだった。
 突然、否定の言葉を口に出されても意味がわからず、何が違うのかと問おうとすれば、それまで以上に真っ直ぐな視線が戻ってきて、そして一言、好きなんだ、と土浦は俺に伝えてきた。だがその言葉の意味を頭が理解する前に土浦は踵を返して走り去り、俺だけがその場に取り残された。
 立ち尽くしたまま、俺は聞こえたその言葉を反芻した。そして土浦が俺のことを好きだと言ったのだと頭が理解した途端、まるで身体中に電気が走ったような衝撃を受けた。それまで、誰に告白されても気持ちが動いたことなどなかったのに、土浦の言葉には心がものすごく揺さぶられた。
 俺は土浦の言葉を、気持ちを、嬉しいと思った。そして、どんな態度をとられても土浦を切り離さなかった自分の気持ちの、その理由を自覚した。
 気付いたときには、俺は走り出していた。運動部で鍛えていた土浦を追いかけることは難しかったが、今ここで気持ちを伝えなくてはいけないと思い、力いっぱい土浦を追いかけた。
 逃げる土浦の腕を掴み、それでもまだ逃げようとする土浦に、俺も好きなんだと告げた瞬間、振り返った土浦が見せた表情は、今でも心に焼き付いている。

 突然の告白と自覚で始まった二人の新しい関係は、俺が留学するまでの三か月間の蜜月とその後一年間の遠距離恋愛を経て、ウィーンで一緒に暮らす今へと続いた。
 ヴァイオリニストと指揮者という目指すものは違っても、一番のよき理解者で、一番のライバルで、そして誰よりも心を許せる恋人という関係を、これからずっと続けていくことに何の疑いも感じたことはなかった。

 だが今、土浦の気持ちは、俺を好きになる前へと遡ってしまっている。



2020.3.29up