TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

勿忘草1

 俺は土浦梁太郎、星奏学院の普通科に通う高校2年生で、誕生日になれば17歳になる。
 サッカー部に所属しているが、不本意ながら出場させられている学内コンクールでピアノを弾くことになり、今は休部中だ。
 ピアノは子供の頃から身近なもので、色々と思うところがあって人前では弾いていなかったが、毎日の練習は欠かしていなかった。コンクールでは勝つことを目的にはしていないが、出場するからには中途半端なことをするつもりはない。
 第2セレクションが終わり、今は第3セレクションに向けて目下練習中の日々を送っている。


 はずだった。


 目が覚めればそこは妙に白くて殺風景な部屋で、そしてなんだか頭の中は靄がかかったようにぼんやりとしていた。
 それでも目が覚めたから起きるという体に染み付いた習慣でとりあえず起き上がろうとしたが、少し動いただけで鈍い痛みに全身が襲われ、訳がわからないままさ迷わせた視界には、チューブが垂れ下がる液体らしき物が入ったパック状の物が映り込んだ。
(点滴…?)
 テレビなどで見たことのあるそれが、どうしてここにあるのだろうかと考えながらそのチューブを辿れば、それは俺の右腕へと繋がっていた。
(俺?)
 疑問は深まるばかりだが、とにかく本当に自分の腕に繋がっているのか確かめようとして、右手がものすごく冷たくなっていることに気付いた。かじかんでいるのとは違う、外からというよりも内側から冷やされているような感覚で、指先は微かに動かすことが出来たが肘を曲げることが出来ない。
 身体中の鈍い痛みとなかなか思うように動かない腕に苦労していればやけに周りが騒がしくなり、動くのを諦めて視線を上げれば、いつの間にか側に女の人が立っていた。
 何かしゃべっているようなのだがそれを俺の耳は音としか認識せず、まるで鈴の音を聞いているような気分だった。
(誰…?)
 色素の薄い髪と目の色、そして顔の造りはどう見ても日本人のものではない。白い上下の服装はたぶん看護師のもので、でも、その風貌で鈴のような音を発せられているせいかまるで実感がなく、夢でも見ているのだろうかと思う。
 しばらくすると今度は白衣を着た先生と思しき男性が部屋に入ってきたが、こちらもまた日本人ではない風貌で、その声はやはり言葉ではなく音としか認識出来ない。どうしたらいいのかさっぱりわからなかったが不思議と焦りはなく、俺は動けないことも忘れてぼんやりとその二人が発する音を聞いていた。
 そんな俺の意識がはっきりと認識したのは、その場には似つかわしくない走る足音で、その勢いのまま扉の開く音が続いた。
「土浦っ!」
 そして俺の名前を呼ぶ声が、今度は音ではなくはっきりと耳に届き、俺は声のする方に顔を動かしてみたが、脇に立つ2人が邪魔で顔が見えない。
「月森?」
 だがその声には聞き覚えがあって、俺は無意識にその名前を呼んでいた。
「土浦っ、気付いたんだな。よかった…」
 脇に立つ2人を避けるように足元へと回ってきたその人を見た瞬間、俺はものすごい違和感を覚えた。声を聞いて思い浮かべた月森と、目の前に現れたその人は、よく似ているが何かが違う。
「土浦?」
 その違和感は顔に出ていたのだろう。月森によく似たその人は心配そうな顔と声で俺の名を呼ぶが、それもまた違和感がある。俺と月森はこんな表情を見せられるような友好的な付き合いはしていない。むしろ自他共に認める犬猿の仲だ。
「お前、誰…?」
 わからなくて思わずつぶやけば、途端にその目が驚いたように見開かれ、違和感がどんどん増していく。月森なら俺のこんな物言いに、眉間に皺を寄せる不機嫌そうな顔を返すはずだ。
「さっき名前を呼んでくれただろう。俺がわからないのか?」
 詰め寄るように近付かれ、俺はドキリとした。こんなに近くで月森の顔を見るのは初めてだ。それも心配そうな不安そうな、俺の見たことのない顔をしている。
「月森……なのか…?」
 まだ違和感はぬぐえず、だが状況的に月森でしかないような気もする。俺の声に月森はほっとしたような笑みを見せ、違和感は増していくのに頭の中はまだぼんやりとしていて考えがうまくまとめられない。
 状況といい違和感といい、俺はやっぱり夢でも見ているんじゃないかと思う。そんな気分で月森を見ていれば、脇に立つ白衣の男性が何かをしゃべり始めた。
(ドイツ語だ)
 ついさっきまでは音としか認識できなかったその声が、内容は理解出来なかったが言葉をしゃべっているのだと初めて認識出来た。だが何故、俺はそれをドイツ語だとわかるのだろうか。学校で英語は習っていても、ドイツ語は習ったことなど一度もない。
 月森も含め、頭上で交わされる三人の会話の内容はさっぱりわからず、俺は一体どこにいるんだろうと思う。見えるこの室内と自分の置かれた状況から察するに病院なのだろうが、病院に来るような怪我や病気の記憶は全くないし、ドイツ語が交わされるような環境にいる理由も全く思い付かない。高校に行って授業を受けて、放課後はピアノを弾いている毎日だったはずだ。
 ふと会話がやみ、三人の視線が俺へと向けられていることに気付く。
「な、何?」
 何かを待たれているような気配を感じるがその何かがわからなくて声を出せば、白衣の男性がまた口を開いて俺に何かを話しかけてくる。それがドイツ語の言葉なのだと理解出来るようになっても、俺にはやっぱりその内容がわからない。
「何言ってるのかわからないんだけど…」
 仕方なく俺は、月森に助けを求めることにした。この状況で頼れるのは月森しかおらず、でもなんだか情けないような気もしてつぶやくように声を出した。
「本当に?」
 真剣な表情で俺を見ていた月森はさっきみたいに驚いた表情を見せた。
「俺にドイツ語なんてわかるわけないだろ」
 当たり前のことを言わせるなと思いつつもそう答えれば更に驚いた顔を見せられたが、不意にその表情が真剣なものへと戻り、また白衣の男性と話し始めた。
 俺は無意識に月森を見ていたが、真剣な表情が驚き顔になり、そして何故か不安そうな表情へと変わったとき、月森はこんなにも表情豊かなやつだったのかと驚かされた。
「俺が先生の言葉を訳して伝えるから、質問に答えてほしい。君の言葉も俺が訳して伝えるから」
 しばらくしてそう言われたときには、月森の表情は見覚えのある、感情のよく読み取れないものへと戻っていた。俺はいつも通りの月森の表情に安心して、頷くことで了承の意を伝えた。
「まず、名前は?」
 名前から始まり、生年月日や家族構成、住んでいる場所といった自分のプロフィールから、日常のことや物の名前などを聞かれた。大抵のことは答えられたが、目が覚める前に何をしていたのかという質問は頭の中に答えをみつけられなかった。俺の答えは、看護師がメモを取っているのか、質問の合間にペンが紙を滑る音が混ざる。
「最後に、今日の日付を西暦から答えてくれ」
 静かに告げられた最後の質問に、俺は頭の中にカレンダーを描く。
「2003年5月…」
 そこまで答えて、今日は何日だっただろうと思う。第2セレクションが終わったところだし、今が5月だということはわかるのだが日にちがわからない。記憶力はいいほうだし、次のセレクションまでのカウントダウンをしていたはずなのに、明確な日付が頭の中にはなかった。
 日付はわからないと答えるつもりで、思い出そうと空を見ていた視線を月森に戻すと、質問の間中、俺がどう答えても無表情に近かった月森の表情がほんの少しゆがんでいるように見えた。
「5月は合っているが、今は2005年だ。君はもう18歳になっている」
 俺の答えを聞く前に、月森は沈痛な面持ちで俺にそう告げた。



2020.2.14up
下書き(仮)ページで書いていた記憶喪失ネタで
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