TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

心に刻み込まれた微熱5

 次の日、降っていた雪はやみ、その代わりにその雪がだいぶ積もっていた。
 夜、冷たい風に当たっていた所為か、なんとなく寝付けなくて睡眠不足の所為か、ほんの少し身体がだるいような気がしたが、別にたいしたことはないだろうと俺は学校へと向かった。
 歩道はある程度、雪掻きされていて、道の隅に雪の塊が出来ていた。降っているときは真っ白だった雪が、いろいろなものと混ざって所々黒くなり、降っているときには触れることの叶わなかった雪が、触れても簡単には溶けないものになっている。
 雪はたくさん降れば積もるもんなんだよな…。
 俺はそんな風に思いながら歩き慣れた、でも雪に白く彩られ、いつもと違って見える道を歩いた。

 寝不足で授業には集中できず、昼休みも教室でぼんやりしていた。
 教室の窓から見える正門前は冬という寒さに加え、積もった雪の所為で人はまばらだった。その、数人しか居ない生徒の中に俺は月森の姿を見つけてしまった。
 何でまた、こんなときに限って…。
 遠目でも分かる姿勢のよいその歩き方は、いかにも月森らしい。
 きっと、何もかもが真っ直ぐなのだと思う。その真っ直ぐさが無性に気に障っていた。でも今の俺には違う意味で少し辛い。そして、少しうらやましい。
 真っ直ぐに見つめられた月森の視線を思い出し、胸にちくりとした痛みが走ったような気がした。その痛みとともに気分が落ち込んでいったけれど、その姿から目が離せない。
 音楽科の校舎へと向かうその後姿を目で追いかける。見られているなんて思ってもいないのだろうけれど、遠ざかるその後姿は月森の俺に対する気持ちそのもののような気がした。
 どうしようもない胸の痛みに視線をそらそうとしたそのとき、
「っ…!」
 急に月森は振り返った。
 顔が、表情が見えるような距離ではないと、そう思ったけれど、月森の視線は確実に俺を捕らえているようにも思えた。
 それが一瞬だったのか、それとも長い間だったのか。
 歩みを再開した月森が校舎の中に入るまで、俺は動くことすらできなかった。

 昼休みの一件もあり、午後の授業は午前よりも集中できなかった。
 振り返った月森の表情は遠過ぎてよく分からなかったし、実際、目が合ったかどうかも本当は分からない。でも、少し見上げるような首の角度が気になった。
 相変わらずの身体のだるさもあり、俺は授業が終わると早々に教室を出た。
 頭の中で色々なことがごちゃごちゃしていて、早く帰って何も考えずに眠ってしまいたかった。
 とにかく帰ろうとエントランスの階段を下りていると、ここでもまた見付けたくない姿を見つけてしまう。
 なんでこう、会いたくないと思う日ほど会うかな…。
 購買で買い物を済ませた月森が歩いてくる。俺は止まりかけたその歩みを再開し、階段を下りる。下りきったところで、月森は俺に気付いた。
「土浦、君も帰りか」
 何の変わりもなく普通に声をかけられただけなのに、俺は少し動揺する。
 月森の手には鞄もヴァイオリンケースも握られていて、“君も”と言われたということは月森も帰るところなのだろう。
「あ、あぁ」
 俺は短い言葉を口に出すのがやっとだった。
 まるであの日のように、俺たちは同じ方向へと足を進めた。

 やっぱり俺たちは黙ったまま歩いていた。俺はあの日以上にその空気に耐えられなかった。
 けれど口を開くと、言わなくていいことを口走ってしまいそうな気がした。
 うっすらと残った雪を踏みしめる、そんな音だけが妙に耳に響いた。
 その積もった雪の所為なのか、身体のだるさの所為なのか、なんとなく足元がおぼつかない。別にふらふらするわけでもないけれど、気を付けていないと転びそうになる。
 ほんの少しだけ前を歩く月森の後姿は昼休みに見たときと同じで、姿勢よく真っ直ぐに歩いている。その歩みが速いわけではないのに、俺は少し遅れていく。
「土浦、具合でも悪いのか」
 そんな俺に気付いたのか、月森はその歩みを止め振り返った。あの日以来、ずっと無表情に見えた月森が少し心配そうな顔をしている。
「いや、ちょっと寝不足なだけだ」
 その表情に、俺は視線をそらしながら答えた。
「そうか…」
 短く返された言葉に、そのまま歩き出すだろうと思っていた俺の予想は外れ、逆に俺のほうへ一歩近付いた。
「でも、顔色が悪い」
 大して変わらない高さで真っ直ぐに向けられる視線が、そらしていても分かる。
 心臓が、うるさいくらいの音を立てている。
「大丈夫だ…」
 その視線に、自分の心臓の音に耐えられなくて一歩踏み出そうとして、俺はその視界が揺れたような気がしてもう一度立ち止まった。
「土浦!」
 月森が俺の腕を掴みながら俺を呼ぶ声で、軽くよろめいたのだと気付く。
 俺の腕を掴むその手の強さに、俺の心臓は更に激しい音を立てた。
「あ、悪ぃ…」
 体勢を整えながら辛うじて出た言葉に、すっと月森の手が離れた。
「いや、とにかく早く帰ったほうがよさそうだ」
 ふと月森を見ると、心配そうだったその表情がまたいつもの無表情へと戻っていた。
 どっちが、月森の本心なのだろうか。
 また、先を歩く月森の背中を俺は見つめていた。昼休みに感じた、あの痛みがよみがえる。
 月森はもう、本当に忘れてしまったのだろうか。
 俺もいつか、この痛みもこの気持ちも忘れるのだろうか…。いや、忘れられるのだろうか。
「月森、お前に話したいことがあるんだ、どうしても」
 その背中に声を掛ける。考えるよりも先に、言葉が口をついて出る。
 今なら、言えそうな気がした。そして、今じゃなければ、言えない気もした。
 そんな俺の言葉に月森はもう一度止まり、振り返った。
「俺にはない」
 けれど月森は、無表情のまま短くそう答え、また歩き出してしまった。
 これじゃまるで、あの日と同じじゃないか。
「待てよ。逃げんなよ。何もかも、なかったことにすんなよ」
 俺はとっさに月森の腕を掴んだ。
「頼むから、何もなかったことにしないでくれ」
 そのまま腕を引き、無理やりに向きを返させた。
 感情の読めない瞳が、俺を見ている。
「君は自分が言っている言葉の意味を分かっているのか」
 冷たい言葉が、俺の耳に届く。
「当たり前だろ。俺だってそんなにバカじゃねぇよ」
 思わず、月森の腕を掴む手に力が入ってしまう。
「・・・」
 月森は無言で俺のことを見ている。だから俺も、そのまま月森を真っ直ぐに見つめ返した。
「続きは家で聞こう」
 そう答えた月森は、けれどその表情を変えることはなかった。



2008.5.8up