TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

心に刻み込まれた微熱3 *

 初めて入った月森の部屋は、あまりにもらしい気がした。
 棚に並んだ楽譜や音楽関係の本が、机に置かれたヴァイオリンケースが、そしてきちんと掛けられた白い制服が見える。
 そんな、目で見た光景に意識を向けていないと意識が流されそうになる。
「土浦…」
 触れるか触れないか、そんな距離で名前を呼ばれる。唇に触れる吐息が、やけに熱い。
「……っ…」
 このキスは、何回目だろうか…。
 そんなことをぼんやりと考えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
 触れるだけだったその唇の、その熱さ以上の熱を感じ思わず開いた唇に、その熱がするりと入り込んでくる。
 その感触に思わず頭を引こうとして、けれど後頭部にあたる柔らかな感触に阻まれ、それは無理だったのだと思い知る。
 その柔らかな感触は後頭部だけではなく背中全体に感じられ、わずかにかかる重みと体温は月森のもので、俺の両手は月森の手に縫いとめられている。そんな自分の置かれている状況を思い出し、俺は目をぎゅっとつぶった。
「っん」
 逃げ切れなかった舌が絡めとられ、軽く吸われる。その熱さと微かな痛みに頭の中がくらくらした。
 敏感になった口腔内を、ゆっくりと月森の舌が触れてくる。柔らかく熱いその感触に、身体の力が抜けていく。
「はぁ…」
「土浦…」
 離れた唇に、大きく息をつくと月森に名前を呼ばれ、つぶったままの目をゆっくりと開いた。
 目の前に、月森の顔がある。その瞳が、揺れるように俺を見つめている。それは少し困っているようにもとれるし、まるで獲物を狙うかのようにも見えた。
 こんな表情の月森は、見たことがない。こんな風に、月森に見つめられたこともない。
「試して、みろよ…」
 俺はもう一度、月森にそう告げた。
「好きなんだろ、だったら…」
 言い終わらないうちに、まるで噛み付くかのような唇にその言葉は奪われた。
 さっきまでのゆったりとしたキスではない。深い深い、何もかも探り出されるような、引きずり出されるような、そんなキス。
 俺の言葉は月森に火をつけた。こうなると分かっていて、俺は言った。
 それを俺は…。
「ぁ…」
 シャツ越しに触れてきた月森の手に、俺の思考は遮られた。
 ざわざわとした感覚が身体中に伝わり、無意識に身体がはね、唇が一瞬離れた。追うようにもう一度口付けられ、撫でるかのようにシャツの上を手が滑っていく。
 それは思ってもみなかった感覚だった。身体の熱がじわりじわりと上がり、身体はもどかしく捩れていく。
 月森の手が離れて自由になった俺の手は、まるで何かに耐えるかのようにシーツを握り締めていた。
 口で吸うことの出来ない酸素が足りなくて頭を振れば、舌先だけを残して月森の唇が離れていく。息を吸うと同時に、無意識に追いかけていた俺の舌がまた絡めとられ、もう一度唇が重なる。
 まるで包み込まれるように頬に触れてくる月森の手と、いつの間にか外されていたシャツのボタンの隙間から忍び込んできた月森の手に、初めて触れられる肌が、ざわりとした感覚を全身に伝える。
 でもそれは、嫌悪からくるものではなくて…。
 その、早急過ぎるともいえる月森の行動に着いていかれなくて、けれど身体も心も追い立てられていく。
「ん、ふぅ…」
 漏れ聞こえた鼻にかかったような自分の声に、俺は思わず強く首を振った。その反動で、ゆっくりと月森の唇が離れていく。
 まさか自分の口から、そんな声が出るとは思ってもいなかった。それは自分のものとは思えないほど…。
「隠さないでくれ」
 とっさに顔を隠した腕を、やんわりと掴まれた。
 それは触れられただけで力は込められていなかったけれど、逆に俺は必死に腕に力を込め、半ば無意識のように首を振っていた。
 月森の顔が見られない。今の、俺の顔を見られたくない。
「土浦…。すまない」
 すっと腕を離され、そしてそのまま月森が身を引いたのを気配で感じる。
 身体にかかっていた重みと一緒に、その熱が、ぬくもりが、すぅっと離れていく。
「月森…」
 確かめるようにゆっくりと腕を外すと、ゆっくりと離れていく月森の手が見えた。
 視線を合わせようと月森を見上げると、後悔にも似た瞳がそらされる。
 今日、何度目だろうか。見たことのない月森が、そこにいる。
 こんな表情をするとは思ってもみなかった。こんな表情を、見せられるとは思ってもみなかった。
「君の気持ちを、試すようなことをしたいわけではないんだ」
 小さく、つぶやくようなその言葉は、月森が背を向けたことで更に小さくなる。
「言うつもりはなかった」
 まるで独り言のように、月森は言葉を続けた。俺はゆっくりと起き上がり、その背中を見つめていた。
「君に嫌われていると、そう思っていたから…」
 その表情は見えなかったけれど、その言葉が俺を思いがけず切なくさせた。
「人から嫌味を言われることは慣れていたし、そんな風に言ってくる一人なのだと思っていた。だから俺は最初、ずっと君のことをなんとも思っていなかった。君の言うとおり、その他大勢だったのかもしれない。何度か君と話をするうちに、あまりにも意見が合わなくて衝突する度に、俺も君のことを嫌っているのではないかと思った」
 俺はまだその背中を見つめたまま、黙って月森の言葉を聞いていた。
「でも、それは違うと気付いた。逆だったんだ。俺は君のことを…」
 月森が、小さく自嘲気味に笑ったのが感じられた。
「やっぱり、言うべきではなかったのかもしれないな」
 そう言って、月森はゆっくりと振り返った。月森は、やっぱり俺の見たことのない表情をしている。
「月森…」
 見つめられる目が、その視線が、すごく優しい。
「すまなかった」
 微笑んだ月森の表情はなんだか儚げで、俺は更に切なくなって思わず胸の辺りのシャツをぎゅっと握り締めていた。
 何がこんなにも切ないのか、俺には分からない。
 いや、本当は…。
「最後にもう一度だけ…」
 そう言った月森の指先が、俺の頬にそっと触れた。
「そうしたら忘れるから。君も、忘れてくれ」
 痛みをこらえるような、そんな瞳を見たような気がしたけれど、それはすぐに瞼の下に隠れて見えなくなった。
 ほんの一瞬だけ、本当に一瞬だけ掠めて、その唇は離れた。
 離れた唇に、吐息がかかる。微笑んだ月森の表情が、俺の胸を締め付ける。
 何かを言われたような気がしたけれど、その声は耳には届かなかった。



2008.4.21up