TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

願いと現実と望みと真実と5 side:月森蓮

 俺と小日向さんとの記事が世間を騒がせていると知ったのは、掲載された雑誌が発売された日の、ウィーン時間では昼過ぎ、日本時間でいえば夜になった時間帯だった。
 基本的に、噂話には疎い。それが自分のことであれ他人のことであれ、まったくもって興味がない。だからいつも自分のことで記事が書かれても気付くのは遅いのだが、今回は母から知らせがあり、今までよりもずっと早くに知ることとなった。
 小日向さんは、今まで書き立てられた相手とは立場が全く違う。わざとねつ造された記事ではないことに気付いたのであろう母は、おせっかいかとは思うけれど、と書かれたメールとともに記事のコピーデータを送ってきてくれた。それは俺の疎さを知っているからこそだろう。
 記事に目を通せば、日本を発った日の朝の出来事を中心に、憶測と事実を織り交ぜた文章が綴られていた。
 くだらないと、そう一蹴してしまうのは簡単だが、今回だけはそれが出来なかった。相手が小日向さんであることは朝の一部を除き全くの誤解だが、それ以外を土浦に置き換えれば、記事の内容はほぼ真実であると言えた。何度も部屋を訪れていることも、時間ギリギリまで一緒にいたことも、朝早くでも真夜中でも、時間が少しでもあれば土浦の部屋へと通い詰めていたことも、そこに偽りなどどこにもない。
 あの日、あの朝、小日向さんを誘ったのはもちろんただの親切心だったが、一人でいたら感傷的になりそうな自分を誤魔化したかったことも否定出来ない。
 土浦とギリギリまで一緒に居られたからこそ、離れなければいけないことが無性に淋しかった。一緒に部屋を出ることも出来ず、これからまた長い時間を離れて過ごさなければいけないことに、あの日は何故か、いつもよりも心が痛かった。
 だからそれを誤魔化したかった。そこにちょうど居合わせた小日向さんを、俺は親切心という名のもとに勝手に巻き込んだ。今回の記事は、そんな俺の行動と考えが招いたものだろう。
 だが、おそらく当事者とされてしまっているのは小日向さんで、身に覚えのない言いがかりをかけられて迷惑していることだろう。そして土浦にしても、真実を口に出せないことでどれだけ心を痛めさせてしまっているのだろうか。
 知らなかった、で許されるものではない。もしも母親からの連絡がなければ、俺はしばらくこの事態を知らずにいて、そのままずっと、俺以外の色々な人に迷惑をかけることとなっただろう。だからこそ、母は早い段階で俺に連絡をしてきたのだと思う。

 そろそろ帰宅している時間だろうかと土浦に電話をかけてみたが、繋がったのは留守を告げるメッセージで、またかけるという短い伝言だけを残して電話を切った。
 小日向さんにも連絡を取りたかったが、あいにく連絡先を知らない。今でも頻繁に星奏に顔を出しているという土浦なら、連絡先を知っているだろうか。
 繋がらなかった電話をかけ直すまでの間、いつものようにヴァイオリンを弾こうと手にしてみたが意識がヴァイオリンに集中してくれず、奏でる音色もなんだかくすんでいるように思えて手を止めた。
 土浦を好きになってから、俺の弾くヴァイオリンの音色は気持ちをそのまま映し出す鏡のようになった。楽しいときには明るく、気持ちが沈んでいるときにはどこかもの悲しく、そして土浦を想って弾けば甘く、土浦と喧嘩したときには硬く、俺の心を隠さず伝えてしまう。
 ヴァイオリンを弾くのを諦め、印刷した件の記事へと手を伸ばす。 今までも何度か書かれたことのある根も葉もない記事に対し、俺は事実と嘘をはっきりと答えてきた。今回も同じ対応を取りたいのだが、小日向さんは恋人ではないと否定出来ても、恋人である土浦の名前は口に出せない。その事実の一部だけを否定してみたところで、隠したままの真実がある限り世間は納得しないだろう。
 白黒でそれほど鮮明ではない写真は、だからこそ真実を捻じ曲げ、言葉にして書かれたことが真実であるかのような錯覚を起こさせる。
 この記事を見た小日向さんはどう思ったのだろう。世間は小日向さんのことを、どう思ってしまうのだろう。
 そして土浦は、どう思ったのだろう。俺は、どう思わせてしまったのだろうか。少なからず、よく思っているわけがないことはわかる。誤解はされていないだろうが、そう思うのも俺の傲りかもしれない。
 土浦はこの記事のことを知っているのだろうか。それともまだ、知らないのだろうか。どちらにしても、俺は自分の言葉できちんと土浦に話をしたいと思った。