TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

願いと現実と望みと真実と4 side:土浦梁太郎

 月森の記事が掲載されたことを知ったのは、俺が今、専属で指揮をしている楽団メンバーの噂話からだった。
 練習の合間、聞こえたその会話に思わず聞き耳を立ててしまったのは、月森の名前と一緒に挙がった小日向もまた、俺の知っている名前だったからだ。
 小日向は星奏の後輩で、ヴァイオリン専攻だから話す機会は少ないが、彼女が仲間たちと合奏団を組んで色々と頑張っていた高校生の頃から知っている。
 聞こえる会話から仕入れた情報は、今日発売された雑誌に、月森と小日向が付き合っていて、月森は小日向の部屋に通い詰めている、という内容の記事が載っていたということだった。
 月森のこんな記事は初めてじゃない。二人で食事に行ったとか、ホテルから二人で出てきたとか、そんな内容の記事は過去にもいくつかあったが、それはすべて二人きりではなかったという事実が明らかになり、自然消滅していった。
 だが今回は今までとは少し違うような気がして、思わず休憩時間に立ち寄ったコンビニで件の雑誌を探して購入してしまった。書かれていた内容は噂話として聞いた内容とほぼ同じだったが、帰国する日の朝、二人が一緒のタクシーに乗ってどこかに向かった、という追加の情報があった。
 あの日の朝、月森がタクシーを呼んでいたことは知っている。 小日向が同じマンションに住んでいるということももちろん知っていたから、月森と小日向がマンションで偶然、会っていてもおかしな話じゃない。
 この一ヶ月の間、月森がマンションに何度も訪れていたというのは事実だ。そして、月森と小日向がそのマンションから一緒に出てきて、更に一緒のタクシーに乗った、というのも、写真に残されているのだからおそらく事実なんだろう。
 たぶん、繋がりのない事実がタイミングよく、いやむしろタイミング悪く繋がってしまったから、まるでひとつの真実のように記事にされてしまった。
 そう頭では理解しているのに、胸の奥の方がチクリと痛むことを止められない。
 あの日の朝、月森と小日向が会ったのが偶然ではなかったのだとしたら。月森がマンションを訪れていた理由が、俺ではなく小日向だったとしたら。
 いや、そんなことはあるはずがない。
 月森を信じていないわけではない。だが、世間一般的に俺が月森の恋人として認識されることはなく、今回も含め、今までの記事で挙げられてきた女性たちとの交際のほうが自然だということも俺はわかっている。
 誰が誰を好きでもいいじゃないかと思うのだが、他人事だからこそあれこれと話が広がることもわかるし、それだけ月森が注目されているということもわかる。わかるからこそ、真実を言えないことが苦しい。
 俺がこういった噂話を嫌っていることを周囲はみんな知っているから、俺に対してこの話題を振ってこられなかったことは救いだと思う。もしも噂話の輪の中にいたら、違うと、月森は俺の部屋にいたんだと、言ってしまいたくなる。
 すでに日本にいない月森には、まだこの記事のことは伝わっていないだろう。いつもならバッサリと否定する月森だが、今回はどうするのだろうと思う。
 事実無根だと、恋人の存在を否定してくれても構わない。小日向と一緒にタクシーに乗ったことだって、月森にしては珍しい行動だとは思うが別に弁解などしてくれなくても構わない。そう思うのに、胸の痛みは治まらず、心の中はもやもやとした感情が渦巻いている。
 この話題の中に入ることも出来ず、一人で真実を抱えていることが思いのほか辛い。二人の関係を隠そうと決めたとき、月森よりも俺の方が強くそう言っていたはずなのに、今更、隠していることを辛いと思ってしまう。
 言ってしまいたい。月森は俺の恋人なんだと、そう言って月森を独占してしまいたい。誰にも渡したくない。たとえただの噂話で誤解なのだとしても、月森が俺以外の誰かと付き合っている話など聞きたくない。
 月森と付き合い始めたとき、こんなことが起きることはわかっていたし、ちゃんと覚悟していたはずだ。今更、ぐだぐだと考えたってしょうがない。
 俺は沈んでいきそうになる思考を振り切るように、自らの両頬を強めに叩いた。

 余計なことは考えないようにしていた集中力が途切れた帰り道は、記事の内容も含め、思考は月森のことで埋め尽くされていた。
 高校時代の出会いから、犬猿の仲だった頃や付き合い始めたばかりの頃など、いいことや悪いこと、楽しかったことやむかついたこと、嬉しかったことや悲しかったこと、そして今回の帰国で月森と過ごした時間をひとしきり反芻し、最後には記事に書かれた内容と写真へと思考が辿り着き、知らずためいきが落ちる。
 写っていた月森に笑顔は相変わらずなかったが、小日向と並んだ姿に違和感はなかった。腕を組んだり手をつないだりしているわけではないのに親密そうに見えるのは、書かれた内容を結びつけて考えるからなのだろうか。
 小日向はこの記事のことを知っているのだろうか。月森と恋人同士だと書かれ、どう思ったのだろうか。
 そして、こんな記事を書かれてしまって大丈夫だろうかと、初めてその考えに至った。
 子供の頃からのコンクール出場に加え、高校生の頃に他校の生徒たちも含めて始めた合奏団での活躍もあり、今では演奏会などの公の場に出ることもあるヴァイオリニストではあるが、それでも小日向の身分はあくまでもまだ学生だ。そんな彼女がこんな記事で騒がれてしまったら、これからの音楽人生に影響が出る可能性だってある。記事の内容が事実であるならば、多少のやっかみは避けられずとも世間はきっと祝福ムードになるのだろうが、いつものように月森が強く否定すれは、全ての非を小日向が被らされてしまうかもしれない。
 小日向は俺たちに巻き込まれただけに過ぎない。真実を知っていたのならまだしも、なんにも知らないというのに、急に話題に上られているのだからいい迷惑でしかないだろう。
 俺は自分のことばかり考えていた。ズルいと思う。小日向には俺たちのせいできっと嫌な思いをさせて、それなのに俺は淋しいとか辛いとかそんなちっぽけなことと、自分の秘密を守ることばかり考えていて、迷惑をかけてしまった後輩のことなんか、これっぽっちも考えていなかった。利己的過ぎる自分のその考えに嫌気がさす。
 今回の記事は、月森と小日向だけの問題じゃない。これは俺の問題でもあるのだと、今までの記事みたいに傍観者ではいられないのだと、そう思った。