TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

願いと現実と望みと真実と3 side:小日向かなで

 それは本当に偶然だったけれど、すごくすごく幸せな出来事だった。
 都内で開かれるコンサートにゲストで呼んでもらったあの日、事故で電車が止まっていることを知ったのはマンションのエレベーターに乗る直前で、焦ったまま乗ったそのエレベーターの中には、ヴァイオリニストの月森さんが乗っていた。
 同じ星奏学院の大先輩で、そんな縁で少し前に同じ舞台に立たせていただいたばかりだったこともあり、電車遅延のことなんて一瞬、忘れてしまったほど。
 挨拶をすれば、月森さんは私のことを覚えていてくださって、少し緊張したまま告げた先日のお礼から始まった世間話の途中、ふと今の緊急事態を思い出して、月森さんの前だというのに私ったらみっともないくらいに慌ててしまった。
 そんな私を見かねたのか、月森さんは呼んでいたタクシーに同乗しないかと私を誘ってくださった。悪いからと、自分で呼ぶからと遠慮している間に、私の荷物も一緒にトランクへと入れられていて、急いではいないから構わないと、そこまで言われれば断るのも逆に悪い気がして、ありがたく同乗させていただいてしまった。
 そういえば共演させていただいたときに聞いていた出立日が今日だったのだと思い出して尋ねれば、記憶の通りで今日、ウィーンへと戻るのだと話してくださった。
 会場までの道のりはヴァイオリンの話でとても有意義な時間となり、でも今の私に返せるのはお礼の言葉くらいで、だから力いっぱいお礼を言えば、月森さんは優しい表情で頑張ってと言ってくださった。それなのにやっぱり感謝の言葉しか返せないことが本当にすごく歯がゆくて仕方がない。
 月森さんのおかげで会場入りの時間にちゃんと間に合い、行われたコンサートでもすごく気持ちよく演奏することが出来た。楽しくて幸せで、すごくすごく満足した1日となり、このお礼をどう返そうかなと、私に何が返せるのかなと、そう考えることすらなんだか楽しかった。
 だからあの日の出来事が、驚くべきことに変貌するなんて、私は思いもよらなかった。

 それは朝早くに鳴った響也からの電話で知らされることになったのだけれど、そのときはまだ寝ていたのにって言うつもりで通話ボタンを押していた。
 かなで、と私を呼ぶ声がいつになく大きくて、そして焦っていて、どうしたんだろうって思う間もなく続いた言葉に、まだ少しぼんやりしていた頭が一気に覚醒させられた。
 月森さんと会ったあの日の出来事が、週刊誌に載っているというのだ。それも、その記事の中での月森さんは、私の部屋に泊まったことになっているというからもうビックリ過ぎて言葉が出てこない。
 その沈黙を逆の意味にとったらしい響也に、そんな訳ないない、違う、違うと全力で否定すればほっとした様子で、私には好きな人がいるのにって怒りたくなったけど、そんなことよりもその記事の内容をちゃんと確かめたくて、響也と待ち合わせをすることにした。
 そして見せてもらったその記事には、『通い愛、お泊まり愛!?』なんて大きく見出しが付けられていて、日本に帰国している間に何度も私のマンションの部屋を訪れているとか、それも深夜にこっそりだとか、最終日にやっと一緒に出てきて仲良く話をしている様子を激写とか、身に覚えのないことばかりが書かれていた。
 写真も角度のせいか、実際はそんなことなかったのにすごくくっついているように見えるし、当事者の私でさえ、恋人同士みたいって思ってしまえる感じの写し方になっている。
 確かにあの日、私がすごく嬉しそうな顔をしていたのは事実だけど、でもマンションで月森さんに会ったのはあの日が初めてだし、月森さんもエレベーターで会ったとき驚いていたし、それ以外の部分は全部でたらめだ。
 そう言って怒った私に、響也は人違いされたんじゃないのか、なんて言ってくる。あの日、偶然、私に会ってしまったから月森さんの恋人が私ってことで記事を書かれてしまっただけで、もしかしたら本当の恋人も同じマンションに住んでいるのかもしれないと言われ、確かにあのときは焦った気持ちのほうが勝っていてまったく疑問にも思わなかったけれど、よくよく考えてみれば月森さんがマンションに居たことを不思議に思う。
 例えば恋人ではなくても誰か知り合いとか、と思ってふと、あのマンションに住んでいる土浦さんの存在を思い出した。土浦さんも星奏学院の出身で、指揮者として活躍し始めている大先輩。卒業した今でもよく大学に顔を出し、後輩の指導をしてくださっている。
 土浦さんの部屋に泊まったのならば、土浦さんは私より上層階に住んでいるから、月森さんが先にエレベーターに乗っていたことに納得出来る。それを響也に話せば、逆に納得出来ないという顔を返されてしまった。
 もしも月森さんに本当の恋人がいたとして、私がこの記事の内容を否定すれば、じゃあどこに泊まったということになり、それが土浦さんの部屋なら、なんだ全部誤解だったのかと、本当の恋人の存在にたどり着く前に話は終わって万々歳になる。つまり私はうまく利用されたんじゃないか、というのが響也の考え。
 けれど、何度もマンションに訪れているとか、それが真夜中とか、書かれていることがもし真実であるのなら、泊まったのが土浦さんの部屋だとはちょっと考えにくいかもしれない。だって月森さんのご実家は同じ横浜のはずだから家に帰れなくてという言い訳は使えないし、当の土浦さんと仲がいいという話は聞いたことがなく、むしろ、高校時代は犬猿の仲だったらしいことは星奏学院の生徒なら大半が知っている。だから、やっぱり言い訳には使いにくいと思う。
 考えは振り出しに戻ってしまったけれど、その人となりを知るほどお話をさせていただいたわけではなくても、月森さんが保身のために人を陥れるようなことはしない人だと、そのくらいのことは私にもわかる。
 事実は全然わからなくても、響也のように利用されたとは絶対に思えなかった。



2016.10.10up