『音色のお茶会』
急転直下の放課後1
控えめなノックの後、こちらの返事を待たずに練習室の扉が開くのはいつものこと。「月森君っ」
たが聞こえてきたのは所在を確かめるように呼ばれる俺の名前ではなく、扉を開けたその人の名を呼ぶ知らない声だった。
不本意な成り行きで月森と一緒に演奏することになり、二人で練習をするようになった。
相変わらずな俺たちの間で意見の衝突は避けられないが、それでも少しずつお互いの意見を取り入れた演奏が出来るようになってきていた。それは妥協ではなく、徹底的に言い合って意見を出し合った結果によって生み出された新しい音色だった。
まだ完璧な演奏には至っていなかったが、少しずつ重なり合っていく月森との演奏は思いがけず心地好いもので、不本意だと思っていたことなど忘れ、俺は毎日の練習を楽しみにしていた。
放課後は特に時間を決めずに練習室で待ち合わせをしている。校舎の構造上、練習室に近い音楽科棟にいる月森のほうが先に練習を始めていることが多かったが、今日は俺のほうが先に着いたようだ。
ピアノの準備をし、鍵盤へと指を向けたタイミングで扉を叩く音が聞こえる。返事をする前に扉が開き、その行動が月森であることを告げていた。
月森はノックをする割にこちらの返事を待たない。何度か返事を待てと言ってみたが改める様子はなく、ピアノを弾いているときには気付かないこともあり、諦め半分で気にならなくなった。
そして返事を待たない代わりなのか、ピアノを弾いていないときには確認するように名前を呼ばれる。今日もそうなのだろうと鍵盤から視線を上げると、聞こえてきたのは月森の声ではなく、月森を呼ぶ女性の声だった。
ピアノの椅子に座っている俺の場所からは、大屋根が邪魔をして扉の辺りはよく見えない。つまり月森からも声の主からも俺の姿は見えていないのかもしれないが、無意識に近い反応で思わず息を潜めてしまった。
扉は開いたまま閉められることなく、二人の会話が俺の耳にも届く。
「あの…、これ、読んでください…」
震えるような声に続き、微かに紙の立てるカサカサという音が聞こえてきて、見えていない二人の状況が嫌でも頭に浮かんできてしまう。
たぶん、手紙か何かを渡されたのだろう。こんな状況に出くわしたのは実のところ初めてではなかったが、まるで盗み聞きをしてしまったようで後ろめたく、息を潜めてしまったことを後悔した。
だが、後悔とはまた違う意味でなんとなく気分が重い。いや、重いというか、悪い。
自分でもよくわからない気持ちに気を取られているうちに、ぱたぱたと走り去る靴の音が聞こえてきたが、それは扉が閉まる音と共に遮断され、無音になった。