TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

混沌たる心情の果てに9

「あの日、店で月森の姿を見つけたときは本当に驚いた」
 そう言った土浦の顔に、どこか柔らかな笑みが浮かんだ。
「声を掛けてきたそうな雰囲気はわかったけど話す気はなかったし、だから無視を決め込んだのに待ち伏せされて避けられなくて、それなら軽蔑でもされればもう会わなくて済むと思って起こした行動も全部、お前は俺の予想とは逆の行動で返してきた」
 あの日の会話の内容を俺も思い出す。何も知らなかったとはいえ、俺はあのときもずいぶんと土浦を追い詰めていたのかもしれないと思った。
「どう言っても、どんな態度をとっても、お前は納得してくれない。ピアノを弾いている姿を見られていなければ、ピアノなんて止めてしまったんだと言えたかもしれないが、あの状況ではそれも出来ない。 それなら利用してやろうと思った。いつでもどんなときでも音楽に対して真っ直ぐな月森が羨ましくて憎らしくて、俺と同じところまで堕ちて来ればいいと、そんな風に考えた」
 土浦の表情から、笑みが消える。
「けどお前は俺の誘いには乗っても、堕ちてくるどころかずっと高いところにいるままだった」
 次に向けられた土浦の表情からは、悲しみのようなものが感じられた。

「月森蓮って名前はさ、たぶんお前が思っている以上に力があるんだ」
 そう告げられて、俺は眉間に皺を寄せてしまったことを自覚した。
 自分の名前と立場についてはもう数え切れないほど言われて慣れてはいたが、実力とは別のところで名前が上がることがいつまで経ってもなくならないことは少しうんざりしていた。
「まぁ、お前はそういうのを好ましく思ってないんだろうし、だから高校の頃だって周りがお前のことをどう言おうが、答えは言葉ではなく、音楽で返してた。その実力で文句を言うやつらを黙らせていたし、いつでも他人のことなんか気にしてなかった」
 淡々と言葉を続ける土浦の顔から、まるで感情を読み取られることを避けるようにまた表情が少しずつなくなっていった。
「そんな実力あるヴァイオリニストの名前があれば、俺の名前なんて気にしないだろうって思った。目論見通り、月森から紹介された仕事では素性を探られることなくピアノを弾くことが出来た」
 真っ直ぐに俺を見ていた視線が、その言葉と同時に俯くように逸らされる。
「俺はお前の名前を利用した。立場を、実力を、何もかもを利用した。俺の全てを隠して、弱みも隠して、それを月森なら詮索なんてしてこないだろうと、そんな風に思いながら利用していたんだ」
 俺といえば土浦の話に相槌を打つことも出来ず、ただその言葉を黙って聞いていることしか出来なかった。

「お前には知られたくなかった。俺の過去も、こんな状況の俺も…」
 俯いた表情を更に隠すように顔を手で覆った土浦に、掛ける言葉は何も思い浮かばなかった。
 今ここで俺が何を言っても慰めにはならないだろうし、慰めてほしいと思っているわけでもないだろう。もしも逆の立場ならば寧ろ慰められたいとは思わない。
「土浦…」
 ただこんなにも追い詰められた土浦を見ていると、すべてを聞きたいと言ってしまったことを少し後悔する。
 そのすべてを知りたい。だが、土浦をこれ以上傷付けたくない。
 俺に出来ることならば、どんなことをしてでも土浦の力になりたいと思う。だからあの店で会ったときに待ち伏せをしてでも土浦と話がしたいと思ったのだろうし、土浦からのある意味馬鹿げた提案に乗る気にもなったのだろう。
 だが今は、それだけでは説明出来ない感情があることも自覚している。
 だから掛ける言葉は見つけられないのに、この手は土浦へと自然に伸びていた。

「月森…?」
 俯いた顔を包み込むように抱き締めれば、土浦から驚いたように名前を呼ばれた。
 思えば、土浦からの誘うような態度に応じてはいても、俺から土浦に向かって手を伸ばしたのは初めてかもしれない。すべてを欲しいと考えることはあっても、俺から土浦に触れることは今までなかった。だから勢いと感情に任せたさっきのキスも、俺からしたのは初めてだった。
「なんだよ、同情かよ…」
 同情という言葉にそれは違うと思ったが、何がどう違うのかは自分でもよくわからず、もしかしたらこれは同情なんだろうかとも思う。
「…わからない。だが、同情で誰かを抱き締めたいと思ったことは一度もない」
 どんな理由であれ、誰かに触れたいと思ったことは今までになかったと思う。ましてや、こんな風に抱き締めたいなどと思うような相手がいたこともなく、そう思う相手が土浦だったことに驚きすら感じてしまう。
 だが、驚いてはいても嫌だと思う感情はどこにもない。思えば再会したあの日からずっと、俺は土浦に対して一切の嫌悪を抱いてはいなかったのだと気付いた。