TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

混沌たる心情の果てに8

「最初はたぶん、そんな大したことじゃないんだ」
 ポツリと話し始めたその言葉を、俺は黙って聞いていた。
「俺の音楽性が求められたものと違ってたってことぐらいで、さすがに俺だって子供みたいに自我を通そうとしたわけじゃないし、折り合いはちゃんとつけているつもりだった。 自分が成長できないような気がして師事していた先生の元を離れたのだって、別に勝手に飛び出したわけでもなかったし、ちゃんと俺のことを認めてくれて、頑張れって言ってくれてたんだ。 それなのに俺が先生の音楽性を批判してるって噂が流れ始めて、噂はあっという間に広がって、一気に俺の評判は悪くなった。いくら違うと否定してみても違う音楽性を求めたことは事実だし、立場が弱過ぎて自分ではどうすることも出来なかった。 先生は誤解だとわかってくれてたけど、それでも噂は広がる一方だった」
 自嘲めいたその顔が、それでもどこか淋しそうに思えた。

「それから、何もかもがうまくいかなくなった」
 その言葉と共に、土浦の顔から表情が消えたのがわかった。
「そんな俺に、コンクールへの出場を勧めてくれた人がいた。俺の音楽を世間に広めて認めてもらえるチャンスだってな。 逆に批判しているっていう噂を自ら証明しにいくようなものだって考えもしたけど、それでも俺の音楽を認めてもらいたくて受けてみれば、高評価で最終選考まで残ることが出来た。 ここは喜んでおくべきところなんだろうが、俺はそう出来なかった」
 それまで話していただけだった土浦が不意にこちらへと視線を向けてきた。
「何か、不審に思う点でもあったのか」
 それはまるでお前ならどう思うと聞かれているようなそんな視線で、だから俺は思い付いたそのままを言葉にした。
「あぁ。思いっ切りな」
 そう答える表情はどこか淡々としているが、話の内容は思っていた以上に重そうだ。
「それで、君はどうしたんだ」
「最終選考への出場を辞退した。そうしたら本当に一切、仕事としてピアノを弾くことが出来なくなった」
 気になって訊ねれば、やけにあっさりとした声で答えが返ってきた。

「一体、何があったんだ」
 そう訊ねてみたが、土浦は首を振るだけで答えてはくれなかった。
「知らないほうがいいことっていうものもあるんだよ」
 なんでもないことのように、そして誤魔化すように笑ってみせる土浦は、もしかしたら俺に迷惑をかけたくないと思っているのかもしれない。
 同じ業界の中にいるのに土浦がこんな状態になっていることに気付かなかったのは、裏に何か大きな力が関わっているから、ということ以上に、俺がこういった人間関係に疎く、興味を示さないことが大きな原因だろう。
 そして疎い割には横にも縦にも大きな繋がりを持っていて、こういった問題のときには慎重に動くことを要求される。
 だが、ここまで踏み込んでしまったのならば今更だと思う。それが土浦のことならば、尚更だ。

「つい最近の話というわけではないのだろう。それからどうしていたんだ」
 土浦がコンクールの詳細について話してくれないのならば、話を先に進めようとその先を促してみる。
「なんとかピアノを弾ける場所を見つけても、どこで弾いていても必ず噂が邪魔する。親身になってくれる人もいたが、迷惑を掛けることにしかならないから結局、長くは続けられない。 そうやって転々としていると不意に大きな話が舞い込んでくるが、そこには必ず交換条件が付いてくる。それを断る度に噂は大きくなって尾ひれが付いて、だからどうしたってピアノからは遠ざかる一方になる」
 交換条件という言葉に気分が悪くなったが、俺もその交換条件に乗った一人だ。俺から言い出したのではないなんてただの言い訳で、俺には土浦を責める権利などなかったはずだ。
 そしてやっと、責めるように言った俺の言葉をすぐに否定しなかった土浦の、その態度の理由を理解した。
「大舞台なんかじゃなくていい。場所なんてどこでもいい。ただピアノを弾いて、それを聴いてくれる人がいればそれでいい。そんなささやかな願いでさえ、俺には叶わなかった。ピアノを弾ける場所を取り上げられることは、もう嫌だ…」
 まるで痛みに耐えるように感情を押し殺した土浦の表情が本当に辛そうで、心が痛かった。

「俺の紹介した仕事は大丈夫だったのか」
 そんな事情を知らなかったとはいえ、更に嫌な思いをさせてしまったのではないかと気付き、俺は自分の浅はかさを嫌悪せずにはいられなかった。
「そこはまぁ、うまく立ち回った。…っていうより、俺が月森を利用したんだ」
 どこか沈痛な面持ちでそう告げられ、どういうことなのだろうと続く言葉を待ったが土浦はその表情のまま俯いてしまった。
 さっきから、話が核心に触れそうになると土浦は黙ってしまう。言いたくないことを無理に聞き出そうとは思わないが、すべて話してほしいという思いの方が強かった。
「君にとって俺を利用することが必要だったのならばそれは構わない。だがもしそれを悔いているならば、俺にすべてを話してくれないか」
 利用したと言われればもちろんいい気はしない。だが、土浦にそうせざるを得ない事情があったのならば、本当に構わないと俺は思った。

「構わないって、お前…」
 俺の言葉に土浦は顔を上げ、そして俺の顔を見るなり大きなためいきを落とした。
「本当に、お前は強いよな」
 多少、皮肉交じりの苦笑いにも似た表情をしていたが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
 強くはないと思う。たぶん、世間を知らないだけなのだろう。そして君だからだと、そんな言葉がふと思い浮かんだが、それは言葉にしなかった。
「あの日、月森に再会したとき、俺は一番会いたくないやつに会ったと思った。だが同時に、これはチャンスなのかもしれないと、そうも思った」
 俺は今日、二度目の、何かを決意したような土浦の瞳を見せられた。



2013.8.23up