TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

混沌たる心情の果てに7

 進展は何もないまま時は過ぎ、相変わらずな日々を過ごしていたある日、俺はある噂話を耳にした。
 普段、まことしやかに囁かれる噂話などには全く興味はないのだが、その噂話の中に土浦の名前があれば、それはまた別の話だった。
 噂話など得てしてそんなものだとわかってはいたし、それを鵜呑みにするつもりは始めからなかったが、聞いたその内容はあまりいいものではなかった。
 真実と虚実の境目を慎重に探っていけば今までわからなかった土浦のことが少しずつ明らかになり、土浦のことを陥れるような何かがあったらしいという情報に辿り着いた。
 実のところ、この業界内で土浦の名前を聞くことは今までほとんどなかった。過去に出場したコンクールの記録でさえ何故か探し出すのは容易ではなかったし、ようやく探し出した記録も、詳細がいまいち把握しきれない曖昧なものが多かった。
 事実が隠されているわりに、噂話はそれこそ山程あった。それはまるで真実を隠すために意図的に噂がばら撒かれたような印象を受けた。
 少しずつ土浦のことを知るたびに、俺は土浦のことを本当に何も知らなかったのだと気付かされた。何も知りもしない俺が、音楽から離れているというただひとつの事柄だけでその理由を問い質す権利などなかったはずで、だから俺に対して土浦が嫌な顔をしたのは当たり前だったのだろう。
 大事な何かを見逃していたのだと、初めて気付く。俺は一体、土浦の何を見ていたのだろうか。俺に一体、何が出来るというのだろうか。

「こんな夜中に話ってなんだよ」
 噂の域を出ないこの真相を土浦に確かめようとタイミングを計っていれば、まるでそれに気付いて避けられているのか、土浦に会う時間が極端に減った。スケジュール管理という名目で俺の行動を全て把握している土浦にとって、時間を合わせないようにすることくらい簡単なことだったのだろう。
 会えないのならばこちらが会うように行動すればいいのだと、その日はずっと土浦の帰りを待ち続け、真夜中を過ぎてようやく帰ってきたところで話があると切り出せば迷惑そうな返答が返ってきた。
「やりたくて待ってた、とか言われるんだったら、もう少し早く帰ってくればよかったって思えるのにな」
 まるで話を摩り替えるようにその話題を持ち出され、俺は強い視線で土浦のことを見返した。
 立ったままの土浦は座った俺を見下ろすように少し冷たい表情をしていたが、それは何か違う感情を隠すためにわざとそんな表情をしているような印象を受けた。
 やはり何かを誤魔化したくて、出来れば話をする時間を取りたくなくて、わざと俺を避けていたのだろう。
「早く帰って来いとは言っていない。俺は話をしたいと言っただけだ」
 俺は土浦の本心を推し量りながら言葉を続けた。土浦からの言葉を額面通りに受け取っているだけでは、たぶん本心に辿り着くことは出来ない。
「ま、確かに。最近、何か言いたそうな顔で俺のことを見てたよな」
 からかうような言葉は向けてくるのに、土浦は壁へと寄りかかって腕を組み、俺のほうを見ようとはしない。それは話を聞く気がないというよりは、聞きたくないという、拒絶にも感じられた。

「何が言いたい?」
 ソファから立ち上がり土浦との距離を縮めれば、一瞬、困ったように瞳が揺れるのが見えた。 
「そんなに、俺に手を出してほしいのか」
 その距離を更に詰めてすぐにでも触れられるところまで歩み寄れば、始めからこちらなど見ていなかった視線が更に逸らされた。
「それとも、誰にでもそうやって思わせ振りな態度を見せているのか?」
 追い詰めるように言葉を続ければ、その瞳が動揺と驚きを表すように見開かれた。
 土浦の噂話の中に、こういった類のものも少なからずあった。だがそんなことはただの噂話なのだと思っていたから真相を確かめるつもりなど始めからなく、即答で違うと返されるのだと思っていた。
「そうなのか!」
「違う!っ、そうじゃ、ない…」
 その驚いた表情がまるで俺の言葉を肯定したかのように思えてきつく問い詰めれば、今度は即答で否定してきたが、その声と表情は何かを隠しているような、そして後悔しているような印象を受けた。

「そうじゃないんだ…」
 繰り返すその声は、土浦らしくないほどに弱いものだった。
 誘うような態度を見せていた土浦の本心をあまり深く考えていなかったことを後悔する。どう考えても何もなくて土浦があんなことを言い出すとは思えないのに、俺は本当に土浦のことを考えていなかったのだと思い知らされた。
「本当は何があったんだ。君をピアノから引き離しているのは、一体何なんだ。何が君を、こんな風に追い詰めているんだっ」
 肩を掴んで土浦の顔を覗き込むように叫べば、一瞬、その顔が泣きそうに歪んだように見えた。だが隠すように俯かれてしまい、見間違いだったのかどうかさえ、確かめることは出来なかった。

「知って、どうするっていうんだよ」
 俯いた土浦から聞こえたのは、小さくつぶやくようなそんな一言だった。
「なんだよ、俺がどこか別のところでもこんなことやってるんじゃないかって心配してるのか?」
 だが次の瞬間、土浦の表情はいつもの、俺をからかうようなものへと変わっていた。
「それは嫉妬か? 独占欲か? ああ、違うか。お前はそんなことをしている俺を軽蔑してるんだろう。誘いには乗ってくるくせにな」
 そう言って俺に対する怒りにも似た感情をぶつけてくる土浦からは、さっき感じた泣きそうな姿など全く感じられない。
 何が土浦の本心なのか見極めたくて土浦の視線を真っ直ぐに受け止めて同じように真っ直ぐ返せば、焦点が合わせられないほどにその顔がゆっくりと近付いてくる。
 それが何を目的にしての行動なのかわかっているから、俺は敢えて自分から引き寄せて土浦の唇に自分のそれを重ね合わせた。
 驚いて見開かれた土浦の瞳が目の前にあり、その瞳が瞼に隠されるまで、俺はずっとその瞳を見続けていた。

「っ、ぁ…。なんだよ、いきなり…」
 ゆっくりと瞼が落とされ、驚きに戸惑っていた土浦の舌が俺を誘うような動きへと変えた瞬間に、俺は無理やりそのキスを解いて土浦から離れた。
「君はいつもそうだ。都合が悪くなるとこうやって話を摩り替えて誤魔化す。本心を隠すために俺を利用する。その誘いに乗った俺は、確かに君にどうこう言える立場じゃないのかもしれない。だがそうやって何かから逃げて隠そうとしている君の本心を、俺は知りたい」
 こんな風に誤魔化している土浦を、俺は見過ごせない。隠し切れずに見せた泣きそうなその表情の意味を、俺は心から知りたいと思った。

「っていうより、お前はもう知っているんじゃないのか」
 土浦は小さくため息を落とし、少し困ったような顔で、それでも俺のことを真っ直ぐに見返してきた。
「土浦に何か圧力が掛かっているのだろうということまでは突き止めた。俺が知っているのはここまでだ」
 噂話の域を出ないことは言葉にせず、俺は最終的に知り得た事実だけを言葉にしたが、俺が知っているのは本当にそれっぽっちのことなのだと気付かされた。
「そうか、やっぱりそこは知られてたんだな…」
 ゆっくりと俯いた顔がもう一度上げられたとき、弱々しく見える笑顔が俺に向けられていた。
 こんな表情は今まで見たことがない。いつだって俺には、弱いところなど見せようとはしなかったはずだ。

「どう説明したらいいんだろうな…」
 ゆっくりと壁から離れた土浦はソファへと座り、困ったように俺を見上げてきた。
「やっぱり俺には話したくないか?」
 そう聞けば、土浦は曖昧な笑みを見せた後、小さく首を振った。
「いや、そうじゃないんだ」
 そして何かを決心したかのように真っ直ぐ、俺を見つめてきた。
 だから俺は土浦と向かい合うように腰を下ろし、その話を聞こうと思った。